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~冬全~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 全日本学生競技ダンス選手権大会 通称、冬全
全日本学生競技ダンス選手権大会 通称、冬全

 

今年ももう少しで全日本学生競技ダンス選手権大会が行われます。今年は12月10日に獨協大学で。

 

学生競技ダンス連盟(以下、学連)の最大の大会であり、1年間で最後の4年生が出場する選手権大会(レギュラー戦)。この大会をもって4年生の選手は基本的に学生競技生活を引退することになります。


7月に行われる全日本学生選抜は出場校及び選手が絞られる学生個人最強を決める4種目総合戦でありますが、12月の全日本は学連所属全大学に出場権がある1種目単科戦。前者を通称、夏全、後者を<冬全>とよばれています。

 

この冬全は他の学生競技ダンス大会とは違う大きな舞台。ここで優勝することが学連選手の大きな目標といえるでしょう。

 

私が初めて冬全を目の当たりにしたのが大学1年生のとき。1996年12月でした。
そのときの冬全は今と変わらず、出場校も出場選手数も応援人数も、他の大会とは桁違いの多さでした。会場がぎっしりと人で埋め尽くされ、移動するのが困難なほど。北から北海道・東北・東部・中部・関西・中四国・九州ブロックの学連加盟校が参加。開会式をみて九州から北海道まで有名な大学から初めて聞く大学までたくさんの大学がいました。選手が多すぎで入場曲が終わってもまだ選手がフロアーに入り終わらないことに驚きました。全国の大学で競技ダンスを行っている事実を知りました。


応援に来ている人数もすごい数。当時はよく分かっていませんでしたが自身の学年(部歴)が上がるにつれて相当数のプロの先生方が来場されていることに気づきます。弟子の応援であり、母校の応援であり、さらにここからプロに入ってくるダンサーのチェックもあります。OBOGの数も普段の大会とは違う数で、フロアー外では同窓会のような雰囲気。注目度が違います。

 

1年生の時、普段ならば席に座ってみるところなのですがOBOGが多数いらっしゃるので後ろに立たされました。ライズというつま先立ちで観客越しにフロアーを見ていました。このような経験は初めてでした。


これほど注目される大会で、当時主将で4年生の先輩が優勝する瞬間に立ち会いました。東京理科大学舞踏研究部史上初の全国制覇をした瞬間です。そのときは4年生の先輩に連れられてフロアーサイドに座ってみていました。主将が優勝する可能性があったので。
結果、オナーダンスという優勝カップルがソロで踊るダンスを目の前で見ることができました。知り合いが日本一に輝くという体験は人生初めてだったので凄く感動しました。あれだけの人が注目する中で踊る主将はとてもつもなく偉大なヒーローに写りました。

 

あの冬全を見てから、この舞台で踊って結果を残したいと決めました。会場にいた1年生は誰でもそう思ったのではないでしょうか。それだけの熱気と熱狂。決勝(ファイナル)は曲がよく聞こえないくらいの大歓声に包まれ異様な雰囲気になります。

 

 

私は2年生から4年生まで合計3回冬全に出場しました。当時理科大がモダン弱小校であったので、上級生がおらず枠が余っていましたから。


2年生の初めての出場では、フロアー内が殺気立っていて怖かった思い出しかありません。完全にびびっていました。2年生の初めからレギュラー戦に出続けていたので場慣れしているはずでしたが、冬全のフロアーは別物でした。完全に気持ちで負けてしまいました。


3年生の時は2ヵ月前に新しく組みなおしたパートナーとの出場。勝負するにはほど遠い状況でした。2年生のときのようなビビるということはありませんでしたが、受かりもしない大学を祈念受験しているような気持ち。全く勝負になっていませんでした。

 

これが4年生になると気持ちが全く違い、4年間の全てを出そうという気持ちで戦いました。種目はクイックステップ。私のダンスの師匠坊迫先生も学生時代、最後の冬全で選んだ種目でした。本当はタンゴの方が成績が良かったのですが、1年生の頃から最後はクイックステップで終えると決めていたので迷わず選びました。


大会10日くらい前に太もも裏を肉離れを起こしてしまい、コンディション面に問題がありました。それでも学生生活最高の踊りを1次予選ですることができました。気持ちが体を上回ったのだと思います。1次予選をフルチェックで上がりました。なお夏を含めて全日本で1次を突破したはこのときだけ。最初で最後の出来事でした。
この時点で自らのピークを迎えてしまい、2次予選は1次予選ほどの踊りはできずに敗退。ここで私の学生競技ダンス生活が終わりました。


結果には満足していませんが、それまでの実績を考えれば納得できるものでした。何より1次予選で最高のパフォーマンスを出せたことは良かったことです。それも最後の冬全という舞台だからこそのダンスでした。あの舞台に立てて本当によかったと今でも思います。

 

2年生、3年生でも出場しましたが、やはり4年生で出なければ味わえない経験です。だからこそ学連選手は4年生の冬全に選手として出場してほしいと願います


私の大学同期は入部当初男性(リーダー)が10名以上いました。そこから退部者が出て、2年生で固定カップルが決まったのが7組。そして4年生で冬全まで出場できたのはたったの2組でした。色々な理由で同期達はあの場に選手として立っていませんでした。

私も3年生の夏にカップル解消をしているので危なかった身。運よく選手として全うできましたが、過半数の同期は応援側として会場にいました。その中には夏全を優勝した主将カップルもいます。夏全後にリーダーが古傷の手術をしており、リハビリが間に合いませんでした。もしかしたらあの場で優勝していたかもしれない同期かつ理科大主将もスーツを着て観戦していました。他にもカップル解消をしてシャドーとなり学連生活を終えた同期たち。みんなでドレスを着て集合写真を撮ることはできませんでした。

 

現在の制度では多くのシャドーカップルが冬全に出場することなく競技生活を終えています。私が現役の頃に比べれば他の大会に出られるだけましかもしれませんが、4年の冬全のフロアーに立てないというのは本当に寂しいし悔しいです。立つことができなかった同期達を見ましたし、3回も出場できて各学年のことを知っていますし。

 

とにかくシャドーになった後輩たちができるだけたくさん最後の冬全に立てるようにしたいと願い行動することにしました。例え0チェック1次落ちで、ただ出ただけ、と言われようが選手として出た経験を残して卒部させたい。そう願っています

 

甲野 功

 

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