開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
今年からチャリティーマッサージで寄付先にした新宿こども食堂について書いています。
新宿こども食堂は地域に住むさいとうさんが発起人となって設立されました。私はさいとうさんの子ども食堂が必要だという考えに大いに共感したものです。それは自分自身が新宿区で育った経験があり、現在娘二人を育てているからです。
新宿こども食堂のホームページからさいとうさんの<立ち上げによせて>に書いた文章を抜粋してみます。
『
こども食堂を始めたいと呼びかけると、その日のうちに10人のママ友が集まり、すぐに30人を超えました。
彼女たちから
「うちの子は癇癪が強くて、道端で30分泣き叫ぶことも。子どもも疲れて不機嫌になる夕飯どきが一番大変で、毎日が本当にしんどい。区内の子育て支援は昼間だけ。夕飯どきにかけこめる場所があったら…」、
「気になる子がいる。遊びに来るといつまでも帰らない。共稼ぎの両親が9時過ぎまで帰宅せず、夕飯を買うお金は置いてあるが、さびしいみたい」、
「イジメがあって学童にも放課後広場にも居場所がない。あえて遠くの放課後広場にファミサポさんに連れて行ってもらっている。学校以外の地縁が欲しい」
などの声が。
ボランティアに参加するママ自身にも、切実なニーズがありました。
』
このような意見があることを聞いて
単純にお金が無くて食事ができないから困っている、では済まないことがある
と感じました。
私も娘の保育園の送り迎えには随分苦労してきましたし、今も苦労しています。保護者である親が疲弊してしまってはきちんとした食事(栄養面、金銭面だけでなく精神的なことや環境的なことまで含めて)が難しくなります。
私自身も共働き家庭でしたから、親が忙しい環境がよく分かります。
私が小学校性だった当時、専業主婦が当然でしたから学童クラブから夕方帰るときに、「あいつ何でこんな時間までランドセル背負っているの?居残りさせられた?」と陰口を叩かれた記憶があります。
父は単身赴任で週末にしか家に帰ってきませんでしたし、母は隣の小学校の先生でしたから当然フルタイム勤務でした。いわゆるかぎっ子で、学童クラブも嫌で小学校2年生から親がいない自宅に一人で帰宅する毎日でした。どうしても大人の目が必要なときは近所に住む知り合いの家庭に預けられていました。
昭和末期の当時と違って今では共働き家庭は当たり前になった新宿区。みんながそうだから仕方ないよね、という感じで特別な感じが無くなりました。その分注意がいかなくなっていると思います。
新宿区牛込地域に居れば、小学校4年生くらいから一人で繁華街に出かけることは可能になります。小学校1年生ですら歩いて新宿御苑に行くのですから、バスでも電車でも使えば簡単に新宿に出ることができます。
私は小学校の頃、おもちゃを買うのはいつも新宿三丁目の伊勢丹本店でした。地方出身の人に言うと驚かれるのですが、品ぞろえが良くて一番近いおもちゃ屋は伊勢丹のおもちゃ売り場でした。Amazonもトイザらスも無かった時代。当時の子どもには珍しいことではありませんでした。
精神発達の早い女子は、小学校5年生くらいには仲間内だけで渋谷、原宿まで足を延ばして洋服を買いに行っていました。バブル時代でありましたから、今の大学生よりも高価な服を買っていたと思います。もちろんファストファッションなど存在しなかった時代です。
寂しさを覚えた子ども達が、小学校高学年くらいになればあっという前に保護者の知らない世界に行くようになります。だからこそ小学校中学年くらいまでは居場所を作ってあげて、困ったら頼りにしてもらえる場所が必要だと考えています。それが子ども食堂でなくてもいいのですが。中学校に上がれば部活動という場が生まれます。新宿区では小学校5,6年あたりの時期に受け皿が大切ではないでしょうか。
そのような私の願いがさいとうさんの考えに共感して新宿こども食堂のお手伝いをしています。
新宿こども食堂というシンプルなネーミングですが、特に新宿では早くに設立されました。新宿区には他にも「さくらこども食堂」、「新宿ニコニコ子ども食堂」、「新宿ゴールデン街子ども食堂」、「かしわぎ子ども食堂」などがあります。新宿区では特に早く設立に動いたから「新宿こども食堂」という名前に。さいとうさんの先見の明と行動力があったからこそだと思います。
今年のチャリティーマッサージでは私自身の本業(言わば特殊技能)を活かして支援をします。
甲野 功
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