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~1977年生まれ~

今年2018年9月に二人の著名人が現場を去りました。

 

「平成最後の夏」という形容詞が色々なところで見受けられましたが、今年の夏は多くの災害と共に印象的なことが多数起きました。
その中でも私と同じ1977年生まれの二人の出来事がとても印象的でした。

 

一人はアーティスト安室奈美恵さん(1977年9月生まれ)。言わずと知れたスーパースター。今年9月に芸能活動を引退しました。一般人になられたので安室さんと敬称付きで書いていきます。
もう一人は山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ)氏(1977年3月生まれ)。一時代を築いた総合格闘家。胃癌により今年9月急逝されました。

 

このお二方は私と同じ1977年生まれであり、安室さんは少女期からずっと続けていた芸能活動から身を引き、山本氏は現役のまま引退することなくこの世を去りました。9月に立て続けに起きた、同世代どころか同年生まれの、著名人の出来事に我が事を顧みる機会となりました

 

安室奈美恵さん
おそらく1977年生まれの日本人において、国内で一番有名な人であることは間違いないでしょう。同じ学年でもあり、私の世代、いや学年には「安室奈美恵と同学年」というのは大きなことでした。野球には「松坂世代」(松坂大輔投手があまりに有名なので)という括りがありますが、ある意味安室世代と言ってもいいでしょう。


同じ学年の人がスーパースターに駆け上がる様をリアルタイムで見ていき、得も言われぬ不安を思春期に感じたものでした。

 

最初に安室さんを認識したのはスーパーモンキーズ時代の頃。少女時代の彼女は、あくまで個人的感想ですが、サル顔でスーパーモンキーズというグループ名は何かの皮肉かと思いました(失礼)。当時の中学生にはそのように映ったのです。
それがあっという間にヒット曲を連発し、気付けばスーパーモンキーズから独立したソロアーティストになっていました。小室哲哉氏プロデュースになり、出す曲全てがメガヒットしていた頃、私は高校から大学生の時期。一番CDを買って歌番組を視ていた時期と重なります。
そして20歳にして結婚、出産。まるで生き急ぐかのように色々なことが起きる安室さんを、同い年なのに別次元の人間だなあ、と半ば呆れて、畏敬の念で見ていました

特に彼女のファンだったわけではありませんがいつもテレビ番組に出ている超有名人。それが安室さんでした。


私は大学を卒業して会社員となる頃、段々とテレビを視る機会が減っていきました。時を同じくして小室哲哉氏の元を離れた安室さんはテレビ露出が減っていき、ライブを中心に活動していきます。どんどん、そう言えば安室さんは何をしているのだろう?という過去の人になっていきました。私の知らないところで、ライブの観客を大切にし、本当に応援してくれるファンを増やしていき、テレビメディアに左右されない本物のアーティストに成長していました

 

そして昨年、突然の引退宣言が安室さんへ目を向けさせることになります。改めて注目した同い年の安室さんは、過去と変わらない体型とパフォーマンスを維持しており、子どもはもう二十歳とのこと。私の方はというと子どもが保育園。率直にこの人怪物だと思いました

 

今年9月の引退を期にたくさんの特集番組が放送されました。それを視ながら思ったことは、きっと安室さんは一般人の2倍くらいの濃さで人生を過ごしてきたのだろうな、ということ。華々しい実績の他、家庭やプライベートでは多くの困難があったのは報道で知っています。おそらく私が80歳くらいで到達する境地にいるのではないか。そう感じました。これからは休んで落ち着いた生活をしてください、と思います。

 

 

山本KID徳郁氏
1977年の早生まれなので学年は一つ上になります。彼が残した格闘技界への偉業は世間一般にまで届くものでした。


私は元々プロレスファンでその延長で総合格闘技まで興味が広がったくちです。戦後日本の興行はプロレスが主流でした。純粋なスポーツと一線を画すプロレスは、はっきり言えば見世物の要素があり、規格外の大男がリングで戦うことに意味がありました。そのため体が大きいに越したことはなく、背が低い小柄なレスラーに少年の意味であるキッドと名付ける風習がありました。有名なところではダイナマイト・キッド、ペガサス・キッドなど。一般人から比べればはるかに筋骨隆々でしたが、大型レスラーよりは小柄なレスラーはキッドのリングネームを付けていました。


山本KID徳郁氏も適正体重が60kg前半という一般成人男性からみても小柄でした。神の子という異名もありましたが、何より体格が小さいことがKIDの名前を付けた要因であるのでしょう。彼がスターダムに上がるにつれてプロレスラーでキッドを使う選手が減ったように思います。有名選手ではドラゴン・キッドが最後ではないでしょうか。それだけ山本KID徳郁氏のインパクトが強く、キッドと言えば山本KID徳郁氏、というイメージが強烈についたように感じています

 

今年9月突然の訃報。癌に罹患していることを公表してからわずか数ヵ月の出来事でした。

 

全盛期の姿は、攻撃的で獰猛、相手選手への過剰な攻撃やスタッフへの問題ある態度で罰則を受けることもありました。友人と「R指定の戦い方をするね」と話したほどでした。

あの当時の強烈な姿を知っていたため、まさか亡くなるとは全く思いもよりませんでした。癌を公表したといっても数年後には何かしらリングに復帰すると思っていましたから。同年代の早すぎる死は安室さん以上に衝撃を与えたのでした。

 

山本KID徳郁氏は学年が一つ上ですが同年生まれ。つまり同じ厄年でした。私も厄年真っただ中であり、本厄の年。更に人生で一番大きな厄年である大厄の年。
その大厄の最中亡くなられた山本KID徳郁氏。身体に気を付けないといけないと我が事ながら気を引き締められることでした。

 

私は見ることが好きですが、絶対に自分でやろうと思わないプロレス・格闘技ファンです。非力ゆえリングに上がる人間は無条件で尊敬します。鍼灸マッサージ業界には格闘技関係者が結構存在するのですが、リングで命懸けで戦った経験がある人には治療業界のキャリア関係なしに一目置きます。私ができない世界を経験していることへの尊敬があります。

 

大舞台で戦い続けた山本KID徳郁氏。その早すぎる死と同じ年齢であること。何ということだろう、と思います。ご冥福を祈ります。

 

 

安室奈美恵さんの引退と山本KID徳郁氏の死去。同じ年生まれのスターが違う形ですが、現場を去った今年の9月。
今一度、仕事のこと、家庭のこと、健康のこと、そして人生のことについて考えさせられました。

 

甲野 功

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