開院時間
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10月29日の朝、飼い猫のマーチが息を引き取りました。
生まれて約20年弱、人間でいえば100歳近かったではないでしょうか。天寿を全うしました。マーチは我が家で生まれて我が家でその生涯を閉じたのです。
雑種の白猫であるマーチは我が家で生まれました。
何年前に生まれてのか正確な記憶がありませんが、3月に生まれたのは確かです。3月生まれだったのでマーチと名付けられました。私以外の家族はあまりマーチの事が好きではなく、一番世話をしたのが私でした。
子猫の頃からとても手がかからない猫で、食卓の上に乗らない、変なところでウンチをしない、キャットフードしか食べず人間の食べ物に興味を示さない、居なくならない、というよくできた猫でした。あまりに優等生であるのが両親にはつまらないと感じたようです。その分、私にしか懐かず部屋によく来てはくつろいでいました。
特に仕事をしながら柔道整復師のために専門学校に通っているときは勉強をしていると膝に乗ってきて、勉強のストレスがあるとマーチを撫でて気持ちを落ち着かせていました。布団に入ってくることも多く、掛け布団を手で支えて撫でてあげると喜んでいました。眠くて手が止まると怒ってニャーニャー鳴いて抗議したものです。
飼っていた猫で一番優秀で扉のドアに飛び乗って自分で開けることができました。突然扉を開けて入ってくるので驚くことが多々ありました。
頭が良いので叱ったりぞんざいに扱ったりすると私が日常よく使うものに敢えておしっこを引っ掛けて復讐することがありました。当時電気髭剃りを使っていたのですが、毎朝何か臭いなと思っていました。まんまと髭剃りのケースにおしっこを掛けていました。他にも日常使うカバンに掛けられたこともありました。
外猫で猫しか通れない大きさの窓から出入りしていました。ある日帰宅して自分の部屋に戻るとマーチが知らない猫とくつろいでいる場面に遭遇しました。マーチの友達猫は即座に逃げましたが。
ある日帰宅すると、玄関でマーチがネズミを生け捕りにして前足で押さえつけて私の帰りを待っていました。玄関を開けて音に気を取られてネズミが逃げてしまい、悔しくてしばらく玄関に佇んでいました。
父が会社の関係者から猫の置物を貰ってきました。その置物は人が通ると大きな音でニャーと鳴く機能がありました。せっかくなので玄関のスリッパ入れの上に置いておきました。その後帰宅すると猫の置物は割れており、代わりにスリッパ入れの上に座ったマーチがニャーと鳴いて出迎えてくれました。
一度マーチは皮膚病にかかって、私が犬猫病院に連れて行きました。そして私も皮膚病をうつされたということもありました。
このようなエピソードがマーチと私にはありました。
それが一番の協力者であった私が結婚を機に自宅を出ると、家にあまり居場所がないようでした。日向ぼっこが大好きで日の当たるとこで座っていることが多く、夜は食卓の椅子で孤独に寝ているようでした。マーチは雌猫なので妻という新しい家族には嫉妬しているようにも感じました。
猫が大好きで文字通り猫可愛がりをいつもしていた私も、自分の子どもができるとそちらに愛情を全力で傾けるようになりマーチとは疎遠になってきました。猫の毛が赤ちゃんには良くないことは分かっていましたし。二人目が生まれる前に自宅に戻ってきてからも、子ども中心でほとんどマーチに構うことが無くなっていました。その分両親に世話してもらっていたのですが。
人生の大半を猫と共に過ごしてきました。
最初に猫を飼い始めたのは小学校2年生の頃。二つ上の姉が捨てられた子猫を拾ってきたことが始まりでした。
父は子供の頃猫を飼っていたので家で飼うことを許可してくれて、猫を飼う生活が始まりました。最初の猫はポテトと名付けられました。当時小学2年生だった私には猫という存在が少し怖くてどう扱ったらよいのか分かりませんでした。文字通りポテトと一緒に成長したものです。ポテトは雄猫で近所の飼い猫に師匠がいて鍛えられていました。最盛期は近所のボスだったようです。
数年して2匹の子猫が捨てられているのが見つかり、一匹を引き取ることにしました。名前をミルクと名付けてポテトとミルク、2匹の猫を飼うことになりました。この2匹は外猫で外出自由にしていました。
それから数年して母が知り合いからチンチラの子猫がいるから里親にならないかと言われます。見に行った結果2匹の兄妹猫を引き取ってきました。シロとグレと名付けられて室内で飼う猫になりました。
シロとグレが家に来た頃くらいでしょうか。自由奔放だったポテトは家に帰ってくることが少なくなっており、ある時知らない名前の首輪を付けて帰ってきました。別の家を見つけてそちらの方に鞍替えしたようです。ポテトらしいね、と家族一同納得したものです。それがポテトを見た最後でした。
ミルクも家から離れることはありませんでしたが別の家で餌を貰ったり、お風呂に入れてもらったりしているようでした。新しい猫が来ると距離を置く習性があるようで、下の世代に譲る気持ちがあるようです。ミルクも15年以上生きましたが最後は自宅の外、近所で息を引き取ったそうで、ミルクを世話していた近所の知り合いは弔ってくれたそうです。
シロとグレを飼い始めてから数年経って、また子猫を拾いました。当時一人暮らしをしていた祖母が高齢のため一人暮らしが限界であったため隣に引っ越してきていたのですが、祖母のところに猫がいた方が良いかと考えてまた猫を飼うことにしました。
その雌の子猫は小さかったのでそのままチビと名付けられました。チビも外出自由の外猫でした。成長してから不妊手術をしようと考えていましたが、気付いたら子猫を生んでいました。人間でいえば未成年くらいの年だったと思います。生んだ当人も焦ってしまって生まれた子猫を加えて隠れてしまうことがありました。チビを私の膝に乗せると安心して丸くなって寝ころび、そこに赤ちゃん猫が来ておっぱいを飲むという感じでした。生まれた子猫は5月生まれだったのでメイと名付けられました。また一匹猫が増えました。
メイが大きくなりチビお母さんも成人猫に成長しました。そろそろ避妊手術をしようかと思った矢先にまた3匹の子猫をチビは生みました。今度は落ち着いて母猫として育てていました。3匹の子猫はマーチ、モモ、チャチャと名付けられました。
そう、ここでやっとマーチが我が家で生まれるのです。
この頃、家猫のシロとグレ、実家の外猫としてミルクがギリギリ生きており、隣の祖母の家にチビ、メイ、マーチ、モモ、チャチャがいるという8匹の猫を我が家が飼っている状態でした。さすがに多すぎるので生まれた子猫は里親に出すことになりました。モモとチャチャは貰われていきました。マーチだけが残ったのです。
マーチが成長するにつれて野生動物の習性でしょう、チビお母さんは突き放すようになっていき、チビとメイは家を去っていきました。その結果、しばらくは家猫のシロとグレ、外猫のマーチ、この3匹が我が家で飼っている状況が続きます。祖母は亡くなり、マーチは実家の方に住み着くようになります。両親がマーチが好きでなかったのはシロとグレを可愛がっていたからでした。
シロとグレも17~18年あまり生きて息を引き取りました。
このように、小学校2年生当時から30年以上に渡って、私は猫と暮らしてきました。猫を飼うことで嫌なこと、大変なこと、困ったこと、たくさんありましたが良い思い出の方が勝ります。
私は自分の子どもが生まれてから子育てで戸惑ったことがほとんどありません。抱っこするのも、寝かしつけるのも、オムツを替えるのも、吐いた後の処理をするのも、最初から問題なくできました。それは間違いなく猫を飼っていた経験があったからです。
猫のウンチはとても臭くてそれを処理するのは大変でした。毛は至るところにつきますし、布団は汚れます。そして猫は頻繁に吐きます。虫に鳥、ネズミ、あげくはウサギまで狩ってきて家の中に持ってきます。どれだけ死体を処分したでしょうか。それに比べれば我が子の世話は苦になりませんでした。
猫は成長しても赤ちゃんのままと言われます。人間の赤ちゃんくらいの大きさで成長が止まりますし、行動パターンは2,3歳児と同じです。きまぐれで、すぐに体に乗っかてきて、構わないと怒りだすし、何かに夢中になっているときに中断させると泣き出します。猫を飼うことは育児の練習になりました。
マーチの晩年は自分の子どもに手一杯でほとんど構ってあげられませんでした。実家に家族で戻ってきたときも子ども達とは打ち解けようとしなかったマーチ。子ども達は当初、怖くて仕方なかったようです。
マーチは最後台所で息を引き取りました。警戒心が強いと人間の目にとまらない場所で死ぬそうですが、両親に見守られながら亡くなりました。下の子を保育園へ送って帰ってくるとマーチはもう息をしていませんでした。死後硬直が始まっていました。独身時代に辛いときに助けてくれたマーチの最期を見届けられなくて申し訳なかった気持ちになりました。庭に穴を掘りました。マーチを子ども達がお昼寝に使っていたタオルでくるんであげました。抱き上げたときに、驚くほど軽くなっていました。「うちに来てくれてありがとう」と最後のお別れをして弔ってあげました。涙で声が震える中、声に出して言いました。
マーチが亡くなる前日の朝、いつもつけている数珠を付けようとしたら破裂するように中のゴムが切れて数珠が散乱しました。何かの予兆だったのかもしれません。30年以上一緒にいた猫たちの最後の生き残りマーチがいなくなるという。
マーチが亡くなった日の夕方、上の子を迎えに行き自宅に戻ったときにマーチが死んだことを子ども達に伝えました。下の子は3歳でよくわかっていないようでしたが、上の子は声を出さずにしくしくと泣き出しました。痛くて泣くのでもなく、嫌な事があって抗議の意思を表す泣き方でもない、悲しくて涙がこぼれ落ちるような感じでした。前からもう長くないと話していたのですが、やはり死んだことを知るととても悲しかったようです。
ペットが先に死ぬのは飼い主に「死というもの」を教えるためという話があります。
小学校1年生の子どもには身内が亡くなる経験は初めてのことです。本当に死んじゃったのだと上の子は理解したようです。
その夜、おもむろに上の子はマーチの絵を描きました。今までそのようなことをしたことが無かったのに。その絵をおばあちゃんに渡して飾るようにお願いしました。
次の日にはマーチの人形を作ってきました。マーチを忘れないように部屋に飾ってと言いました。
ほとんど仲良くなかったのですが、しっかりと家族の一員だと思っていたようです。成長したなあと感心しました。
その後、子ども達と一緒にマーチが眠る場所に花を植えてお墓を作りました。この付近にシロもグレも眠っています。飼い猫たちのお墓です。
猫と暮らせば。
猫は幼少期から今まで成長する機会を与えてくれました。我が子が生まれてからは猫から離れてしまいましたが、最後に我が子を成長する機会を与えてくれました。
改めてこれまで飼ってきた猫たちのご冥福をお祈ります。
甲野 功
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