開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
僕には”人生を変えた4名のダンサー”がいます。
全員が社交ダンスのプロであり僕が大学生の頃、競技ダンスをしていた頃に影響を受けた人達です。
その中の一人に、本池淳先生がいます。
★本池淳
業界内では言わずと知れた元全日本ファイナリストである社交ダンスのトップダンサー。現在は競技からは引退し教室運営やデモンストレーションの活動を続けています。
昨日は代々木を訪れる用があったため、昨年12月に本池淳・法子組がオープンさせたダンス教室「BEST ART」に出向きました。
本池淳先生に21年前のお礼を直接言いに行きました。
本池淳先生は武蔵野美術大学(以下、ムサビ)のダンス部出身で僕の1学年上。僕は東京理科大学(以下、理科大)で大学は違うのですが接点がたくさんありました。
ここからの話は大学時代のことなので当時の呼び名「本池さん」に変えて書きます。
僕も本池さんも連盟委員という部活の役職に就いていました。
連盟委員は各大学から選出されて大会運営の仕事を行います。大会シーズン中は毎週各大学の連盟委員が集まる連盟会議があります。
僕は1年生の後半から連盟委員の仕事をしていて新2年生でありながら上級生が誰も参加ない連盟リーキャン(泊りがけの連盟会議イベント)に参加していました。理科大からは同期の女子しかいない状態で、同部屋に誰も知り合いがいない。一緒に仕事をするのは他大学の上級生だらけ。
どうにか頼りになる人を探さないといけない状況で、出会ったのが本池さんでした。ムサビと理科大は同じ理工戦校という括りがありよく一緒になりました。
また当時から本池さんはモダン(当時の表現、今はスタンダードと言います)のスター選手。あこがれの先輩でありました。
僕も含めてとてつもなくモダン弱小校だったその頃の理科大。ヒート表に580台の背番号があると他大学の選手がラッキー!と喜ぶくらい弱い大学でした(つまりこいつが落ちるから少し楽だという認識)。招待試合で決勝に残ることもできず、レギュラー戦では準決勝に残ることもできない。有望選手は皆ラテンにいく。
正直な話、実績を残しているモダンの先輩がいない(そもそもモダン人がいない)ので他大学の強豪選手から習えるものはどんどん習っておこうと思っていました。特に僕はクイックステップを一番の得意種目としており、同じクイックステップを得意としていて本池さんはうってつけの先輩。本池さんのクイックステップは時代を先取りしたオンリーワンのものでした。本池さんがやっているあのステップをやりたい!と無理してルーティンに入れてもらったものでした。
本池さんから競技ダンスにおける大事な事をたくさん学びました。
●クイックステップの奥義は「誰よりもハッピーに踊り、見ている人をハッピーにさせること」。
ステップ講習会でおっしゃられた発言で、その後のダンスに大いに影響を受けました。
●リズムには前取りと後取りがあり、日本人は前取りが得意だが西欧は後取り。そこが分からないとステップがバタバタする。
理工戦のジャッジ控室でのお話。童謡の桜を例にとって教えてくれたのですが、当時は全く意味が理解できませんでした。20代半ばくらいにやっと意味が分かりました。分化と筋肉の構造も含んだ内容だったのだと、治療の勉強をして理解できました。
直接言われたこともありました。
●「甲野な。上級生のビデオばかりみていちゃダメだ。海外のトップ選手の動画を見ないと上にはいけない。」
当時YouTubeはおろかDVDすら無かった時代。1本1万円くらいするVHSの市販ビデオか、生で踊っているところを見るしか海外選手の動きを確認できませんでした。ファイナリストとの意識の差を思い知られたものです。
こういったアドバイスは今でも覚えているくらい心に残っています。自分のダンス技術に大きなプラスになりました。
ただ、ここまでですと単に、すごい他大学の先輩、といったところ。もっと重要な出来事がありました。
3年生になる直前の春休み。溜まった不満が爆発し、部活を辞める決心をしました。
同期はどんどん辞めていく。上級生も辞めていく。2年生でレギュラー戦フル出場。自身の成績はどん底で1年間通して1回しか1次予選を突破できない。上級生の連盟委員が辞めていくので頼る人もいないまま連盟の仕事。金曜日に連盟委員会、土曜日に前日準備、日曜日に大会で出場と仕事。6週連続大会出場もありました。
一人で何もかも背負っている気がして、一緒に踊る同期のパートナーさんも信用できず。あることがきっかけで、もうやっていられるか!となりました。連盟委員で一番関係があった後輩一人に、もう辞めるから、と告げて部から遠ざかりました。
そんな春休みのある日、春の連盟リーキャンで本池さんやムサビの同期に「一度遊びに行かせてください」とお願いしていたことを思い出し、最後の思い出にしようと単身、武蔵野美術大学キャンパスに向かいました。たった一人で自主練習に訪れた僕を変わったやつだと本池さんは思ったそうです。
待ち合わせていたムサビの部員と本池さんに連れられて練習教室に向かいました。
途中、僕の目にはガラクタにしか見えないものを拾って、うん使えると持っていく本池さん。
練習教室にアルミのようなシートをピンと張って簡易姿見を用意する部員。シートがローラーに巻き付かれていてハンドルを回すとテンションがかかります。手作りのようです。
部員はみんなジーンズえお履いてで絵具やらペンキらしきもので汚れている。
当たり前ですが理科大と様子が随分異なるものだと眺めていました。
本池さんが練習を始めました。汚れたジーンズのまま。全力でチャチャチャを踊る本池さん。
モダンではないラテンを練習!
普段どんな練習しているのか興味があったのにまさかの裏種目。学生の競技会では踊らない種目をやるという。
他にも何となく練習しているムサビの部員たち。誰もダンス練習着に着替えていない。
更には、教えてくれと寄ってきたムサビの下級生。こんな雑魚選手に習わなくてもと思いながらも断れず教える(どちらかというと習いに来たつもりだったのに…)。あげくムサビはスタジオ自由でそちらのスタジオも見学したいので連れて行ってくださいと言われる。
他大学の後輩をスタジオ見学に連れて行くのか?
もう何もかもが自由で、でたらめ。理科大の常識は全く通用しない。違いすぎる。美大生とはこのようなものなのかと頭が混乱。
半日足らずムサビの環境にいて、何だか悩みがどうでも良くなってきたのでした。ダンスはもっと単純で楽しむことだった。ガチガチに考えていたことがバカバカしくなってきた。
もう一度肩ひじ張らずにダンスを続けてみようと帰る電車で考え直すようになっていました。
結局また部に戻ることにしました。
そして大学の舞研を全うできたことで今の仕事に繋がっています。
あのとき退部していたらこの仕事に就くこともなかったでしょう。
単身武蔵野美術大学を訪れてから半月して、三森秀明、酒井良美、杉野貴史ら現在もプロのトップ選手として活躍する後輩達が入部します。訪問からひと月後の春東都で僕はクイックステップの部で準決勝進出を果たし、4年振りに理科大モダン勢がレギュラー戦入賞となりました。個人及び部全体としても良い方に変化していきました。
その後、一緒に頑張ってきた最初のパートナーが退部する出来事もありましたが、ムサビに行く前ほど悩まず前向きにいられました。
本池さんと知り合い、ムサビ舞研があったからこそ今があると本当に思っています。
本池さんがプロになってからはほとんど接点がなく、脱サラして治療の道に進んでからは自分のスキルアップで手一杯でした。情報として、僕の一学年下の上智の武藤さんと組んだこと、プロになったこと、プロ競技会でも成績を残しA級になったこと、A級選手の中でもトップ選手になったこと、ドラマ出演やデザイン、イベントなどダンスそのもの以外にも活躍の場を広げていること、などが耳にはいってきました。
そして現役選手引退の報。
同世代の選手が引退する。まだまだできると思っていたので驚きました。
引退すると知ったときに、あの21年前の出来事についてきちんとお礼を言っていなかったことに気づいたのです。それからというもの、どこかのタイミングで直接言わないといけないと頭の片隅にありました。
そして代々木に教室を作ったと知りました。代々木は柔道整復師科と教員養成科で合計5年間通った場所。理科大よりも長く通ったところです。母校からすぐの場所に本池先生の教室「BEST ART」ができた。偶然にしても驚きです。必ず代々木に行って直接話をしようと決意して機会を伺っていました。
昨日やっと実現してほっとしています。
本当に本池さんは僕の「人生を変えたダンサー」でした。
甲野 功
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