開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
今回の京都訪問では太子道鍼療院の樽井智彦先生に鍼灸治療をしてもらいました。
昨年もこちらを訪れていますが、そのときは話をしただけ。今年はきちんと鍼灸治療を受けてみることにしました。その前に新町お灸堂鋤柄先生のお灸を受けていたので連続に。
治療後は時間が許す限り話をしました。更に次の日には東京でまた会うというスケジュール。
昨年も太子道鍼療院を紹介しましたが今年も触れます。
今回は一人の鍼灸師「樽井智彦」に注目して書きます。
改めて書きますが、樽井先生とは東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科30期の同期です。2年間同じクラスで勉強し、席が隣になったこともあります。
入学当時、樽井先生は2月末に鍼灸国家試験を終えて鍼灸師免許を取得したばかりの21歳。私と言えば1月に長女が生まれたばかりの34歳新米パパ。世代も環境も大きく異なった同級生でした。
私は鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師を取得してから鍼灸整骨院に就職し、働きながら柔道整復師専門学校に通います。柔道整復師国家試験を終えたあとは整形外科のあるクリニックに就職し、色々あって職場を変えることを決意しました。次の進路を悩んでいるときに、柔道整復師科の同級生が教員養成科に進学しており、そこの素晴らしさをよく聞いていたので行くかどうか悩んでいました。
これから子供が生まれるというのにまた学校に行くなんて。
経済的な不安と教員養成科の期待を天秤にかけて悶々としているときに背中を押してくれたのは妻でした。
「(養成科に)行きたいんでしょ。私も働いているから何とかなるわよ。」
その言葉で決心し、<2年間で10年分の成長を>という母校の謳い文句に期待し、技術・知識・経験・人脈を買うという意気込みで教員養成科に進学しました。背水の陣で再び学生に戻ります。鍼灸師になってから丸5年経った春のことでした。
5年前鍼灸専門学校生だった頃にも教員養成科進学に対して説明会がありました。当時は本当に選ばれた人が行く感じで、進学など畏れ多いという気持ち。私より成績が良い同級生が落とされているのを目の当たりにして敷居の高さを痛感しました。先に教員養成科へ進学した柔道整復師科の同級生たちからも凄い人材がクラスに揃っていると聞いていました。1期上は確かに凄いメンバーでした。
そして期待して入学して30期の同級生を見たときに、そのほとんどが春に国家試験を受けた新卒ばかりということを知りました。鍼灸と柔道整復免許を同時に所得し1年間母校の職員として働いていた人がいて、その人だけが2年目。他の人は全員鍼灸師1年目だったのです。
ちょっと思っていたのと違ってがっかりしました。大ベテランの方がいて学べると期待していたので。蓋を開けてみれば鍼灸師歴が一番長いのは私だったという。
クラスには人生の先輩、興味深い経歴を持つ、柔道整復師から鍼灸に進んだため臨床現場で活躍してきた人など、多様性に富んだ同級生に恵まれました。また高卒→鍼灸専門学校→教員養成科というフルタイムで仕事をしたことがない一番若い世代も何名かいました。
その中のひとりが樽井先生でした。
21歳の新卒組はひと月前まで鍼灸専門学校生で3年前なら高校生。社会経験もほとんどないだろうし、鍼灸師としての臨床もこれから。そもそも私が鍼灸師になったときはまだ専門学校にも通っていなかったわけで。
正直なところ、内心侮っていました、彼ら彼女らのことを。得るものはあるのかな、とちょっと思っていたのです。
教員養成科の学生生活が始まると自分の考えが甘いものだと思い知りました。
まず私は鍼灸にきちんと取り組んでこなかったし東洋医学をきちんと学んでこなかった自覚があります。だからこそもう一度教員養成科で学ぼうと決めたわけですし。
5年前の国家試験から臨床経験は積んでも学術的な上乗せがほとんどなかった私には同級生の知識についていけない。まず私が学んだ頃と経穴(ツボ)の位置が一部変わっていて新しい経穴の教科書を読むことからしないといけません。国家試験の内容もずっと難しくなっていて東洋医学系の座学についていくのがやっと。
「そんなこと習っていないよ!これは常識なの?」と心の叫び。5年ぶりに経穴を一から書き出して覚えることに。
特に座学において樽井先生は凄かった。
分厚い中医学の辞典を持っていてそれで勉強しています。その頃、中医学と経絡の違いも知らなった私にはただただ凄いなと思っていました。
しかもてっきり中医学が大好きで勉強しているものと思っていたら、樽井先生曰く「本当に勉強したのは経絡治療。そのために中医学を勉強している。」と。それを聞いて私は半分呆れました。なんてストイックなのだと。
あん摩マッサージ指圧師になる過程で“ついでに”鍼灸師になった私とは意気込みが違う。凄い奴が世の中にいると思いました。
教員養成科時代、私はトータルの成績では上位にいましたが東洋医学系の座学では全く樽井先生に敵わなかったはずです。嫌々草野球をやらされていた選手とメジャーリーグを目標にしている高校球児くらいの差があったと思います。
樽井先生はとにかくぶれません。鍼灸に、経絡治療に、一途で真っ直ぐに突き進んでいる感じです。
色々な資格、技術を取り入れて「鍼灸術はあくまで目的を達成するための“手段”」と考える私とは正反対です。
変わり者が多いと言われる鍼灸師業界ですが、特に突き抜けた人間だと思っていて、彼のその姿勢に、その人生に興味があります。
教員養成科を卒業後、京都の鍼灸専門学校教員になり、夏は東京で行われる経絡治療夏期大学に毎年参加。経絡治療学会の関西支部講師となり、京都府鍼灸師会の理事も務めています。更には昨年に開業。教員養成科30期同期では一番若い開業でした。傍目からみて本当に一直線にキャリアを積んでいる感じがするのです。
私が教員養成科在学当時、同級生にこのようなことを話しました。
「(養成科)卒業して5年後くらいに集まりたいね。そのときどうなっているのか楽しみ。」
この言葉は学生生活しかしこなかった一番若い新卒ルーキー達が、<学生>という肩書を終えて一社会人となって5年経過したときにどのような人生を送っているのだろうか。そのような興味と、社会を知ってなお純粋にいられるのかな?という年上の意地悪な気持ちがありました。
そして今年が教員養成科卒業して5年目。鍼灸師ルーキーから2年間同級生として過ごした樽井先生の現在をみました。毎年夏期大学で上京するのでこれまでもちょくちょく会っていましたが、今年話をしてみて更に鍼灸を追求する姿勢がみてとれました。
「弾入を15回に分けてする練習をしている。」
弾入とは管(鍼管と言います)に入れた鍼を体に指すときに鍼の頭(鍼柄と言います)を指先で叩く動作のこと。人よっては1回で一気に入れた方が痛くないと言いますし、だいたい2~3回で入れるものです。
それを15回。
数ミリしか鍼管から出ていなにもかかわらず。
体表を五臓で5段階の深さで考える。各々1回で入れてしまうのは雑だから3回に分けたい。そうなると5×3で15回のコントロール。先輩鍼灸師に言われて練習中だと言います。
弾入動作は鍼師にとって基本中の基本。これまで数限りなくやってきましたが、これほど追求したことはありません。樽井先生だって既に相当なキャリアと肩書を得ても未だ学生のように実直に練習しているのです。羨ましいくらい真っ直ぐです。
京都を訪れたその日、ちょうど私の前に教員養成科の1期下の後輩が樽井先生のもとを訪れていて経絡治療の練習会をしていたそうです。その様子を嬉しそうに語る樽井先生。その日の夜に夜行バスに乗って東京に移動し3日間鍼灸の勉強をすると言います。どこまでも熱心。
彼の口から鍼灸師という存在について愚痴を聞いたことがありません。
やれ、食えない(儲からない)職業だ、パワハラがいまだに横行している、偏屈者が多い、世間の印象が悪い。このような声を業界内から耳にすることがあるのですが、樽井先生は一切不満を漏らしません。鍼灸が好きで鍼灸師であることを誇りに思っている。
これまで鍼灸をずっと冷めた目で見て距離を置いてきた私とは大違いです。年齢は一回り以上下ですがその姿勢を見習うところがあります。
7年前に<臨床も社会も知らない若造>と思った樽井先生は既に鍼灸師だった私なんかよりずっと鍼灸と鍼灸師を知っていたのでしょう。脇目もふらずに過ごしてきた。よくよく考えるとこの若さでここまでやっていることに驚嘆します。この先5年、10年でどのステージまで行くのだろうか。想像できません。
この日、京都で樽井先生の前に会った鋤柄先生もそうですが一つのことを追求する強さを学びました。まだまだ学ぶことがあります。
甲野 功
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