開院時間
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11月29日。今日は何の日?
『良い肉の日』かもしれませんが、我が家では次女の誕生日です。5年前の2014年11月29日に我が家の次女として誕生しました。今日は5歳の誕生日です。
子どもの頃、そして10年くらい前までは、誕生日とはその人のためのものだと思っていました。誕生日を迎えた人を祝う日。年に一度のその人に与えられた記念日。幼少期にはプレゼントをもらって、小学校では月ごとの誕生日会が開かれました。子ども向けのお店に行けば誕生日にはサービスがつきました。誕生日は特別な日。周りから祝ってもらえる日でした。
ある時期から自分の誕生日があまり嬉しくなくなりました。
また年をとったな、と。段々若くなくなった、衰えを感じるようになってきた、もう20代ではなくなってしまった。そういったネガティブなイメージが出てきました。大学までは周りはほぼ同学年ばかり。社会人になれば若いね、若いねと言われて。それが30を過ぎれば、周りに「まだまだ若いね。」「先が長くてこれからが楽しみだね。」など声を掛けることが増えてきました。
そのような時期に、当時働いていた職場で年配の患者さんがこのように話していたのです。
「誕生日は自分が生まれた日であると同時にお母さんが生んでくれた日でもあるの。自分のことだけでなく、母親にも感謝する日なのよ。」
この発言は、別の人が誕生日を迎えてまた一つ年をとったことを憂れいたときに出たもの。その考え方にはっとさせられました。生んだ母親のことを考えることをしてこなかったからです。それから誕生日はその人の母親のことまで考えるようにすることにしました。
自分に子どもが生まれるとその気持ちが一層強くなりました。私は二人の娘、どちらも出産に立ち会いました。男性が絶対に経験できないことの一つに妊娠・出産があります。経験はできませんがサポートをすることはできます。仕事柄、一般的なお父さんよりもずっと妊娠・出産に携われたと思います。
5年前の今日、色々と苦労しながら次女が生まれたことを思い出します。決してすんなりと出産に至ったわけではないのでなおさら記憶が鮮明です。
長女の出産した日。それは私自身が父親になったもう一つの誕生日でした。
次女が生まれた日は更にもう一人の子の親になった日でもありました。
3歳差の長女を育てながらの妊娠。切迫早産になり、長女の世話をかなりしなければなりませんでした。3度繰り返した逆子。鍼灸師のメンツもあるので鍼灸で3度戻しました(戻ってくれました)。出産当日は長女の保育園で初めての保育発表会があり、保育園から病院に直行しました。祖父・祖母に長女の面倒をみてもらい、出産に立ち会いました。安産になるように指圧やマッサージを繰り返しました。長女の時に比べて分娩台に乗ってから時間がかかりました。その間、水分補給をさせてマッサージをしてナースコールを押してと動き回り、もちろん妻ほどではないにせよ、体力を削られました。生まれた瞬間に首にへその緒が絡まっているのが見えて、即座に看護師が首からはらいました。あれだけ逆子になったのだから胎内で回転する際にへその緒が引っかかるのは仕方ないでしょう。医療従事者ゆえに見えてしまう、目についてしまうことがありました。
ほんの少しだけですが「産みの苦しみ」というのを感じました。
諸々のことを含めて5年前によく生まれてきてくれたと思います。
出産前の検診で女の子ということが分かっていました。名前も用意していました。
次女がお腹にいるときに妻にこれから生まれてくる娘のイメージで描いてもらったあじさい鍼灸マッサージ治療院のロゴマーク。開業してしばらくはロゴマークも看板もありませんでした。次女が生まれてくることに合わせて作成したもの。屋号の「あじさい」は長女の名前にちなんだもの。大きくなったときにお姉ちゃんだけずるいと言われないようにロゴマークは次女にちなんだものにしました。
家族で待っていたよ、という気持ちです。
誕生日はその人だけでなく、両親や家族にも大切な日。より一層感じています。
今朝、妻が長女に向けた言葉が印象的です。
「お姉ちゃんになって5歳になったね。おめでとう。」
そう、長女にとっても『お姉ちゃんになった誕生日』でした。
追記:
次女の誕生日を振り返った当時の文章を載せておきます。一部改変しました。
『
平成26年11月29日
深夜0時30分頃点けっぱなしの電気を消そうとしたら長女が起きて泣きだした。消すなと。こういうときは抱っこして寝付かせる。
明日は保育園の保育発表会。2歳児クラスから出るため彼女にとって初舞台。
お猿さんの役ということで夜から衣装を着て寝ている。おねしょをされては困るのでこちらはびくびくしながら寝ている。替えの黒いズボンあったかな、と思う。
明日は臨月の妻は見に行けないので一人で保育園に連れて行きビデオ撮影するという仕事。遅刻するわけにはいかないから早く寝て早く起きてもらわないと、気を揉んでいた。
しばらくして寝付いた長女。
その後妻に起こされる。時間は深夜3時過ぎ。
「ちょっと病院に行ってくる。」
眠気と明日の保育発表会のことで頭が働いていない私は
「うん、分かった。」
と答えた。
出産予定日は12月4日。そして12月6日が満月ということで生まれるのは当然12月に入ってから、と決めつけていた。
深夜に一人で病院に行くことに何の疑問を持たなかった。
朝6時。携帯アラームで目が覚める。
そこでメールが何通か入っていることに気付く。
妻からだった。要約すると以下の通り。
・陣痛が始まった
・分娩室には朝10時頃入る予定
・保育発表会よろしく
・終わったら病院に来て
瞬時に目が覚めて、混乱した。
一人目の長女のときは、夜テレビを見ていたら突然破水。
緊張の中二人でタクシーに乗り病院に行った。
今回は事前に登録してあった陣痛タクシーを呼び、事前に用意してあった入院準備一式を持って一人で深夜病院へ。
あまりに冷静に病院に行ったことに驚いてしまった。
そして完全に不意打ちを食らった形で今日をどう乗り越えるか。。。ただただ焦った。
メールに書いてあった用意する荷物を詰めて、冷静になれと自分に言い聞かせる。
とにかく9時には保育園に行き、9時半から保育発表会。向こうのおじいちゃんも来る。欠席という選択肢は無い。
無いからこそ何も伝えず深夜に嫁は病院に向かったはず。
3歳児クラスは早く終わるが10時には病院には到着しないだろう。
出産には間に合わないか・・・。
今日は土曜日。事前に仕事の予約は入っていない(幸か不幸か)。当日電話して来る患者さんもいることもある。そうしたらどうするか。今年開業して断れるほど余裕があるわけでもない。
実母のおばあちゃんは11時半くらいから出かける。
実父のおじいちゃんは悪天候のため外出が延期になったため一日いる。
義父のおじいちゃんには電話をして予定を変更して午後までいてくれることになった。
現在の状況を整理しつつ、まずは同居している両親(おじいちゃん、おばあちゃん)に報告するか、と決めた。
朝6時半頃。おじいちゃん、おばあちゃんを起こして今日生まれると伝えた。
実の息子でもまず見たことが無い驚きぶりで布団を跳ね除け驚くおばあちゃん。まあ、予想通りだ。
おじいちゃんには病院に出す連帯保証人のサインをお願いし、おばあちゃんには病院に持って行ってもらう荷物をお願いする。
二人とも事前に保育発表会に行けないことになっていたので、園に申請をしていなかったせいで見学することはできない。
幸いにも自宅で待機してもらえるので何かあったら先に病院に行ってもらうことができる。
一通り説明し荷物も用意して寝室に戻る。
ぐっすり寝ている娘を見ながら心を落ち着かせる。そして思った。
「長い一日になるな。」
朝7時半頃。朝食の用意をしていると長女が自ら起きてきた。普段はなかなか起きないが、保育発表会ということで緊張しているのか?
朝起きて母親がいないことは当然気付いたようだ。
いつになく丁寧に状況を説明する。
妹が生まれること、お母さんがしばらく入院すること。
きちんと理解しているようだった。
父と娘二人で朝食を済ませ、娘を抱っこして保育園に連れて行く。
ベビーカーはその後邪魔になることが予想されるのではじめから使わない。
そもそも二人のときはほとんど抱っこするように求めてくる。
妻に切迫早産の恐れがあるため安静にするよう指示が出たのが10月半ばだった。
子宮頚管が短くなっていてこのままだと入院しなければいけないので、極力安静にしろとのこと。
そこから長女を抱っこしたり持ちあげたりしてくれるのは私と保育士さんだけになった。
こちらのおじいちゃん、おばあちゃんは高齢で長時間抱っこはできない。
むこうのおじいちゃんは住む場所が違う。
保育園の送り迎えともに私が行うこととなり、お風呂も歯磨きも着替えも全て私。長女にとってお父さんが全て世話してくれる生活になった。
母親にくっつけない状況になり、私にべったりとなった長女はとにかく抱っこにおんぶをしろと言う。
散歩の際に靴を履かないこともしばしば。自分の足で歩く気が無い。抱っこで運んでもらえることが楽しいらしい。
朝8時40分。いつもよりも保育園に早くついた私は長女を抱っこしながら向こうのおじいちゃんと落ち合う。会場までたくさんに人が道路に並び会場が開くのを今か今かと待っていた。
この時点で腰が危険なサインを出していた。
妻の容体が悪くなってから食事を作ること以外の家事全てをすることになった。育児はもちろん、洗濯、掃除、片づけ、風呂の準備、保育園の準備、などなど。
本業は残念ながらそこまで忙しくないが、肉体労働の範疇に入る。
水曜日の栃木まで行くことも体力を使う。
夜中に長女が「おしっこ!」と言えば跳び起きておまるに連れて行く。もらしたときはシャワーで身体を洗わなければならない。
日々の疲労に加え、妻の出産というプレッシャーが腰の耐久力を落としているようだ。普段はこのようなことはまず無いのだが。
近年の研究で慢性腰痛の大半は心因性と言われている。そんな話を思い出した。
保育園に入ると人だらけ。約100名の園児とその親御さん。せまい会場に数百人が集まっている計算になる。
観覧席は入れ替え制で、ビデオ撮影は所定の位置から各家族一台まで。カメラが一切禁止。
一度も座ることなくビデオ撮影をしつつ長女の舞台を見た。
緊張しているようだがそれなりに踊っていたので安心。
朝10時半頃。保育園を出た私と長女と義父は、こちらの両親と落ち合いタクシーで病院に向かった。
本来ならば長女が中心のはずの発表会。お産にみな頭がいっぱいである。
病院について産科病棟につくと妻が陣痛室にいた。
なかなか陣痛が進まないので産まれるのはお昼過ぎるかもとのこと。
待合室で長女はおばあちゃんと遊んでいる。おじいちゃん同士は煎餅を食べながら談笑。
妻は少し歩いた方が陣痛が進むからと歩いていた。
状況が変わらないまま朝11時を過ぎた。
今日のこれからについて妻と話し合った。
11時半にはおばあちゃんが帰ってしまう。長女の世話を一番できるのは私。
妻としては出産に立ち会ってもらいたいし、産まれてからも色々頼むことがあるので私の手が欲しい。
おじいちゃん二人で長女の世話をしてもらうしかないが、時間がかかり過ぎるとどうなるか。
長女が大好きなお煎餅を持ってきたので食べ物で気を逸らしてしてもらうか。
そんな話をしているうちに、おばあちゃんは所用のため病院をあとにし、妻も陣痛室に戻っていった。
大人の男の3人と2歳の娘。外は大雨。どれくらい間を持たせられるか。
朝12時近くになり、案の定飽きてきた長女が外に行きたいと言い出す。
奥の手である、白エビの煎餅をあげて誤魔化す。
残り3枚しかないため、煎餅が切れたときが心配だと思った矢先。
好物の煎餅を貰ってはしゃいだ長女が転んで机の角に額を強打。
痛みで泣きわめく。抱っこしてあやす私。
泣きながらもう帰る、お外行くと叫ぶ。運悪く看護師がそろそろお産の準備に入りますので御主人は陣痛室に来て下さいと伝えにきた。
最悪のタイミングだ。
とにかく長女の機嫌を直して気をそらせないといけない。
一計を案じ、向こうのおじいちゃんと共に長女を病院内のコンビニに連れて行き、好きなヨーグルトとジュースをおじいちゃんが買ってくれるよ、と言った。
食べものに対する執着が強い長女は普段食べない甘いヨーグルトとお友だちが飲んでいて羨ましかった豆乳を選んだ。
私はご機嫌となった長女をおじいちゃん二人に任せて陣痛室に向かった。
陣痛室ではなかなか陣痛が進まず色々なポーズを取っている妻がいた。
助産師兼看護師の方が子宮口の状態をチェックしたり、波形をチェックしたりしている。
長女のときは陣痛促進剤を点滴で入れて数時間陣痛が進むのを待った。
今回は破水もしておらず、促進剤も入れていない。
そのせいか前回よりもとても冷静なように思える。
妻は保育発表会の様子を聞く余裕があった。
前回はあまりに陣痛が進まないので誰もいないときに出産を促す鍼をした。
呉竹卒業研修で不妊治療の講座で習ったもので、実際に使うことがあるとは思わなかったが、結果安産で長女が生まれた。
今回は看護師さんがいるので、鍼はできそうにない。そもそも鍼道具は待合室に置いてきているので、取りに行って長女がくっついてくるとまた問題。
今回はどうにもならないか。
昼12時を幾分か過ぎて分娩台に移動します、と指示が出た。
看護師の触診により子宮口が開いてきたとのこと。
何cmですよ、というが指の感覚で調べているようである。
職業柄、医療従事者の動きをチェックしてしまう。
荷物をワゴンに入れて分娩室に移動した。
妻が分娩台に乗ってお産が始まる。
前回は分娩台に乗って10分足らずで生まれたが、今回はそうはいかない。
陣痛の波がなかなか来ない。
旦那は出産時に役に立たない、とよく言われるが、私のケースではそうではない。
こちらの職業を知ってか知らずか、看護師が色々お願いしてくるのだ。
指示したらナースコールを押してください。
痛みがあるときは腰をさすってください。
前回はテニスボールで会陰部を押させられた。(会陰部って普通知らないよ)
妻は妻で、仙骨部をさすってとか、陣痛がくるツボ押してとか、飲み物ちょうだいとか言ってくる。
下腿の腓経ラインが安産に効くと知っている。
三陰交を中心に腓経ラインを押して飲み物を渡して腰をさすって。
モニターの波形が大きく動くようになるのを待つ。
保育発表会の頃から怪しかった腰は疲労とともに悲鳴をあげていた。
陣痛に耐える妻の影でこちらも、しんどいぞ!と心の中で叫んでいた。
三陰交に鍼刺して雀啄できれば楽なのに、と考えつつもそのときを待っていた。
12時40分前後に、一度診察します、との看護師の声。
「頭が出かかっているのでもう少しですよ。」
妻の頭側にいるのでどうなっているかは見えないが、何か操作をしている。
どのような助産の動きしているか確認してしまうのも職業病か。
看護師の腕が頭を持っているのが確認できた。
その後すぐに身体も引きずり出され、12時43分に出産した。
出てきた瞬間大きなへその緒が首にかかっていて、看護師が手で振りほどいたのが見えた。
思えば自然分娩は厳しいと言われた。
最初に逆子ですと診断されたときは、さほど焦ってはいなかった。
鍼灸師の常識、逆子の灸を施した。
結果、次の健診では正常に戻っていた。
そこからしばらく時間が経ってまた逆子になっていた。
胎内で回転しやすいのか母体に負担がかかっているのか。
2度目はお灸ではない特殊な東洋医学のやり方を行った。
また正常位に戻った。
そして三度逆子に。
この時期に逆子になることは少ないという時期。
もうスペースがないから戻る可能性は低い。臨月になると危険なので11月22日に帝王切開しましょうと言われた。
逆子の自然分娩は危険を伴い胎児に後遺症が残る可能性があるため、帝王切開をすることが一般的。
帝王切開をすると身体にメスを入れるためその後傷がうずくことがある。
私も妻も帝王切開は避けたいが、いたしかたない状況。
それでも望みをかけて、また東洋医学治療を行った。
結果、3度目の正常位に戻ることに。
これだけ逆子になると、またなるのではないかとびくびくしながら出産日を迎えた。
へその緒が首に巻きつくということは知っていたが、本当にかかるのだと感心したのと同時に、無事でよかったと安心した。
産まれた赤ちゃんはすぐに保育器に入り、状態を確認。異常なしとのこと。
その後身長体重を測ったり医師の診察が入ったりしながら生まれたばかりの赤ちゃんは忙しそうだった。
出産後ほどなくして胎盤が出てきた。前回よりも大きいなと思ったが、看護師曰く通常よりも大きい胎盤でへその緒も太いということだった。
妻は出産後2時間は分娩台の上で休んで体調チェックをしなければならない。
私は安堵とともに疲労で立っているのが辛くなっていた。
看護師さんが親子3人の写真を撮ってくれたが疲れで笑っていなかった。
午後1時頃、これからどうするか思案した。
このまま妻子は入院する。その手伝いをお願いされる。
待っている二人のおじいちゃんと長女はどうしようか?
何時間も病院で時間を潰すことはできないであろう。それでは奥の手を使うか。
私の姉が近くに住んでいる。姉にはちょうど5歳と2歳の子どもがいるのでおじいちゃんに長女を連れて行ってもらって子ども3人で遊んでもらおう。
折しも土曜日。雨なので外出していなかったため家にいた。
電話で事情を説明して、面倒見てもらうようにお願いした。
出産日が土曜日で助かった。
おじいちゃん二人に長女を連れて言ってもらうように電話した。
午後2時50分。妻が分娩台を降りて病室に移動。
長女の心配がひとまず無くなり、昼ご飯を食べていないことに気付く。
1階のコンビニで二人の食事を買ってきて病室で食べた。
ささやかなご褒美として抹茶ババロアも買ってきた。
授乳のためスイーツが食べられなくなる妻の前で悪いと思いながらも食べずにはいられなかった。
食事後に妻の腰や足をマッサージする。
この仕事をしているといつなんどき指を使うか分からない。
結局患者さん来なかったな、と気付いて少しさみしい。
午後4時半を過ぎて病院を出た。
安産で母子ともに問題ないことは良かったが、これから妻の入院中が大変だ。
長女は生まれて初めて母親がいない状況になる。
寝てくれるか?
帰宅して家の洗濯ものを干して食器を洗う。ぎりぎりまで姉に任せておこう。
午後5時頃に長女がおじいちゃん、おばあちゃんと帰ってきた。
従兄達と楽しく遊んだらしく、お人形を抱えていた。貸してもらったそうだ。
早めの夕食をおばあちゃんが作ってくれて一緒に食べることに。
いつものように私の膝に座るときかない長女は、膝に乗りながら食事。
予想通り朝から色々あって昼寝をしていない長女が眠りだした。
今日は疲れただろうからこのまま寝かしてしまおうと布団に寝かせる。
私はほっと一息つきながら夕食を済ませた。
午後7時頃のんびりテレビを見ていると、長女が起きた。
遅い昼寝ということか。
起きると泣きだしておばあちゃんと遊ぶと叫ぶ。
その頃おばあちゃんは所用で外出中。
いないと話しても探しに行くと言い出す始末。
電話したらおばあちゃんは新宿にいると言うので、待っていなさいと話しても聞き入れず。
仕方なく抱っこして外を一周することに。当然靴を履かない長女は歩く気が無い。
足腰が悲鳴をあげつつも少し休んだおかげで何とかもった。
午後8時過ぎにおばあちゃんが帰宅して一緒に遊んでくれた。
そのとき思い知る。休めるときに休むべきだ、と。
しばし睡眠をとることにした。
夜10時近くになって戻ってきた長女は不安定で、ご飯や果物を食べると言い出す。
ご飯や果物を食べたあとも寝ようとしない。
挙句、お風呂に入ると言い出す。普段はなかなか入らないのに!
もう夜11時を回っているが、仕方なくお風呂を沸かして二人で入る。
風呂の中で改めて、お母さんが木曜日まで入院するということ、お姉ちゃんになったことを言い聞かせる。
長女は神妙な顔で分かったと言った。
風呂から出たときには深夜12時近い。
パジャマに着替えさせて寝かせようとすると、おもちゃで遊ぼうと言い出した。
こちらは既に体力が限界に近いが付き合うしかなく、一緒に遊ぶ。
こうなると根気の勝負になった。
深夜12時を過ぎて長女がおもむろに言った。
「寝る。」
「うん、そうしよう。」
そう応えた。
普段妻が寝る場所に寝ると長女が、普段妻にするようにくっていてきて寝た。
「やっぱり長い一日だった。」
そう思った。
』
甲野 功
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