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今日で結婚10周年を迎えました。
2009年12月6日、日曜日。その日は大安。
私たちは如水会館で挙式しました。
あれから10年が経ちました。
気が付けば10年。決して短い時間ではありませんが、過ぎてしまえば早かったかもしれません。
色々ありましたが結婚10周年まできました。
同年の3月に先に入籍を済ませていたので、法的に家族となり両家が一緒に歩むことは始まっていました。結婚式、披露宴、2次会を踏まえて儀式的な意味合いと対外的な表明をした形です。
約1年前から2009年12月6日(日)に挙式することを決めて準備をしてきました。
理由の一つに、新婦が20代のうちに挙式したいという私の希望。そのためには妻の誕生日より前でなければなりません。また当時の職場環境では日曜日しか休みがなかったため土曜日ではだめで、必ず日曜日にする必要がありました。更に私と妻は同じ12月生まれですから、私の誕生日にも近い日取りの方がよりめでたい(それと印象に残って忘れない)と考えました。そしてあわよくば大安がいいなと思ったところ。
全ての条件に合致する日が2009年12月6日でした。
この日に挙式することを決定してから式場選び、両家顔合わせ、入籍、引っ越しなど計画を進めてきました。まずこの日程ありきでした。また<12月第一週の日曜日>というのも、私にとって重要な意味がありました。奇しくも2009年という年も。
1999年12月5日(日)。この日に私は学生競技ダンスを実質引退しました。
大学に入って始めた競技ダンス。その集大成となるのが、4年生のときの全日本学生競技選手権大会です。夏に全日本学生競技選抜選手権大会(通称夏全)が開催さるため、通称冬全と言われる大会です。夏の選抜は各ブロックの団体成績上位の大学出場する大会ですが、冬全は全国から全大学が出場する文字通りの全日本戦です。この大会が最も規模が大きく重要な大会であり、4年生は最後の公式大会になることがほとんどです。4年生の冬全で優勝することが学生競技ダンス選手の最大の目的とする選手が大半です。
私も例に漏れず、4年間の集大成という位置付けでこの1999年の冬全に挑みました。結果は予選敗退でしたが人生で一番のダンスが躍れた日でした。学生競技ダンスとの出会いはその後の人生に大きな影響を与えました。私の人生にとっても大事な日でした。
その日からちょうど10年。同じように12月第一週の日曜日。挙式しました。全員とはいきませんでしたが大学の競技ダンス部同期、そして幾人かの先輩後輩も出席して披露宴を行いました。2次会には別の先輩、後輩が出席してくれました。最後の全国大会からちょうど10年。そこには同期で主将を務めた伊從もいました。
伊從彰造。現在、イヨリダンススタジオ港南のオーナーを務めるプロダンサーです。
学生時代に大学史上初の夏全のチャンピオンに輝く名選手で、当時部の主将を務めていました。なお私は副主将でした。
伊從は夏全王者になってから、夏休みを利用して古傷を負った膝の手術を行い、卒部までに学生競技ダンスに復帰することはかないませんでした。20年前の冬全の日を、主将が出場しない状態で迎えたのでした。同期としても一選手としても部にとって、そして同期にとって大きな存在でしたから最後の大会は一緒に出場したかったです。
その10年後に私たちの結婚披露宴2次会でダンスのデモンストレーションを踊ってくれました。2次会では私たち新郎新婦の付け焼き刃で練習したワルツも披露しました。10年前にできなかった同じフロア―で踊るということが現実のものになったのです。各々学生時代の相手ではなく人生のパートナー同士で。本当に偶然の日程でしたが10年という節目で再び集まれたことは奇跡のようでした。
それからまた10年。
今では娘が二人生まれて新しい家族が増えました。この10年では東日本大震災があり、私の柔道整復師国家試験合格、転職、鍼灸マッサージ教員養成科入学と卒業、大学病院勤務にあじさい鍼灸マッサージ治療院開業と個人の大きな変化がありました。妻も転職、学業、研究、イベント開催、団体設立など変化がありました。
なんだかんだで無事に結婚10周年を迎えたことにほっとしています。10周年のことを娘たちは理解していて長女はプレゼントを作るとキティちゃんのクッキーを作りました。夫婦になって10年。10周年は4名で過ごします。
日常の有難さを再確認する日となります。
甲野 功
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