開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
私の持つ国家資格免許にあん摩マッサージ指圧師、鍼師、灸師の3つがあります。鍼師と灸師は一緒にして鍼灸師とするのが一般的です。あん摩マッサージ指圧師と鍼灸師を合わせて頭文字をとって「あはき師」と称することが我々の業界ではあります。この「あはき」の3つの資格は昔から視覚障害者のための生業としてきた歴史があります。そのため、私は視力に問題の無い晴眼者のあはき師でありますが、視覚障害者と一緒に仕事をしてきた経験があります。また視覚障害者の友人もいます。これは一般の健常者(晴眼者)にしては珍しい方だと思います。家族に視覚障害者がいたり、盲学校の職員であったりしない限り、あまり接する機会がないことでしょう。
先日あん摩マッサージ指圧師養成学校新設に関する裁判が行われて、東京地方裁判所は原告の訴えを棄却してあん摩マッサージ指圧師養成学校を新たに開設することを制限する法律は合憲だと判断しました。これは視覚障害者の状況を考えると規制する法律は憲法に反することは無く、有効であるとするものです。(※原告は控訴をして決着はまだついておりません)。
前回はこの件について書きましたが、そもそも視覚障害者の仕事はどのようなものか私が知る範囲で書いていきます。主にあはきの分野に限られますが、当事者の生の声を踏まえて現状を紹介していきます。
まず視覚障害者とあはきについて語るには杉山和一(すぎやまわいち)の名前を知る必要があります。一般には馴染みがない名前でしょうが日本の鍼灸師でこの名前を知らない人はいないはず、と言える重要人物です。杉山和一は江戸時代の人間で慶長15年(1610年)に生まれたと言われています。視覚障害者(盲人)であり鍼師、按摩師です。盲人でありながら検校の地位をもらいました。鍼を身体に刺す際に細い管を用いる管鍼法(かんしん法)を生み出したとされています。この管鍼法は日本独自のもので中国や韓国では用いません。管鍼法は鍼術におけるイノベーションと言えるものです。杉山和一の名は幕府にも轟き、時の将軍徳川綱吉の頭痛を鍼で治しました。その際に綱吉に褒美に何が欲しいと問われて「一つでよいから目が欲しい」と答えました。さすがの将軍もそれはできないので江戸の「本所一つ目」という場所の土地を杉山和一に与えました。まあとんちですね。
杉山和一はその場所に世界初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」を開設します。ここは視覚障害者が鍼・按摩を学ぶ場であり、今でいう視覚障害者の職業訓練校になります。世界初の盲学校ができたのが1784年、ヴァランタン・アユイによりフランス・パリにおけるもので、1680年頃にできた杉山流鍼治導引稽古所はその100年も前に視覚障害者のための教育施設を作っていたのです。
将軍徳川綱吉は鍼を推奨します。そのことによって、視覚障害者(盲人)にも生業ができて生きる手段が増え、一般庶民にも鍼を受けやすくなる環境が生まれたと言います。
杉山和一の前からもあはきはありましたが、杉山和一の生きた江戸時代以降、視覚障害者の職業においてとても重要な存在となったのです。この世界初の制度は海外の視覚障害者にも貢献しています。実際に私が出会ったエピソードを紹介します。
2011年4月12日。東日本大震災発生からひと月しか経っていない頃です。まだまだ将来が不安で、東京は落ち着きは取り戻していましたが暗い影が残っていました。
当時、神楽坂にあったアフリカ料理のレストランで開催されたチャリティーイベントに妻と参加しました。収益金をアフリカ支援にするというものです。イベントのゲストに、本人も全盲でスーダンの視覚障害者の支援活動をしているアブディンさんが登壇し話をしてくれました。なんとアブディンさんも鍼灸師だったのです。アブディンさんは全盲ながらスーダンの大学まで進学しましたが、国の情勢で大学が休講になります。そのようなときに日本では<視覚障害者に職業訓練を行い、資格を取らせて働くシステム>があることを耳にします。アブディンさんは「視覚障害者が医療行為?そんな話があるのか」と驚いたそうですが、嘘ではなく本当の話。そこでスーダン国内で日本に来るための試験を受け、見事合格します。来日したのでした。来日後は福井県で3年間勉強し、見事日本の国家資格を取得したのでした。
※なおアブディンさんは2020年に開催されるはずであった東京パラリンピック、ブラインドサッカーの日本代表を目指しています。
<五輪のために8㎏減。スーダン出身の41歳、アブディンがブラインドサッカー日本代表入りを諦めない理由>
このことがどれだけ凄いことか鍼灸を勉強した人なら分かるでしょう。言語も文化も違う外国人というだけでも困難であるのに、全盲というハンディキャップを背負って。東洋医学には通常使用しない専門用語だらけで、独特な東洋思想に立脚します。当然ながら現代医学の知識も必要で、健常な日本人でも簡単に合格できません。アブディンさんが周囲の人に言われたことは「日本人にとっても東洋医学は外国語」だそうで、大いに頷いてしまいました。
アブディンさんはスーダン大使館に掛け合い東日本大震災への支援として100万円を引き出したそうです。2011年4月当時、日本は被支援国家ランキングで世界2位になっていました。大震災から復興のため、それだけ世界から支援を受けている状況ですが、そのときの1位はスーダンだったのです。スーダンは南北に分裂し国内情勢が非常に不安定でした。被支援国1位で発展途上国にあるスーダンが、先進国である日本へ支援をする。このことが、どれだけ素晴らしいそして凄いことでしょうか。日本で視覚障害者に対する教育支援制度を使って来日して職能を得たスーダン人のアブディンさんが東日本大震災で大変な事態に陥っている日本のために大使館を動かす。それは我が国には歴史的に視覚障害者の生業としてあはき師の職業があり、支援システムもあったこと、そのシステムを海外の視覚障害者にも門扉を開いた結果によるものでしょう。江戸時代に作られて21世紀まで脈々と繋がる関係です。このように特に按摩師、鍼師という資格免許と職業において、視覚障害者とは深い関りがあります。
さて視覚障害者と一言でまとめていますが、程度によってかなり差があるのです。
視力が全くない全盲。光は何となく感じる。輪郭はぼんやりと見えて動きは何となくわかる。片目の視力が全くないがもう片方の視力は正常。強度の近視といえる程度の視力である弱視。視野の一部が見えない。視力障害の程度によって異なります。
また先天的に視力が無い、もしくは乳児期に視力を失った視覚障害者とある程度の年齢まで成長してから後天的に視覚を失った視覚障害者。前者は小児性の脳腫瘍などの疾患により視力を持たない状態のまま(視力があったとしてもその記憶がない)。後者は事故や怪我、糖尿病などの疾病により視力を失うもの。先天的な視力障害の場合、視力という概念そのものがありません。見えるという状態が分かりません。後天的、特に大人になってから視力を失った場合は、精神的なダメージは大いにありますが、それまでに培った能力(語学や知識、技術、人脈も)がその後の人生に役立つこともあるのです。
視覚障害者に向けのあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師の養成機関は全国にあります(数は減ってきているようですが)。視覚障害者の多くは盲学校と同時に職業訓練の意味合いも含めてあん摩マッサージ指圧及び鍼灸の勉強をすることが多いようです。つまり全員が全員、あん摩マッサージ指圧師になりたいと勉強をするわけではないそうです。
私には全盲のあん摩マッサージ指圧師の友人がいます。友人は幼少期の脳疾患のため視力を失い、モノを見た記憶はありません。ほぼ進路に選択肢は無く、あん摩マッサージ指圧師の道に進んだと言います。同級生にはあん摩マッサージ指圧師にはなったものの、音楽家やプログラマーなど別の仕事に就きたいと頑張った人もいるが、みんな成功せずにあん摩マッサージ指圧師の仕事に戻ってきたと語っていました。世の中には全盲でありながら世界的に評価されている音楽家もいますが、そういう方は本当に一握りで晴眼者との競争に勝てなくて戻ってくるのだと。
私は大学を卒業し、一般企業にも就職した経験をへて、あん摩マッサージ指圧師を目指しました。他の職業に就けるし、実際に就いたこともある上で選んだ職種です。対して視覚障害者の場合、仕方なくなった、という方がいるということです。また弱視や一部視野が狭いなどの場合、やり方次第では事務職を行うことは可能である場合もあります。視覚障害者でも障害の程度によってはあん摩マッサージ指圧師以外の一般職に就くこともできる場合もあります。状況は人それぞれですが本当にこれしか選択肢がありませんということもあるのです。
あん摩マッサージ指圧師以外にも他の職業もあるじゃないか、別分野で活躍している視覚障害者だってたくさんいるじゃないか、というのは健常者の理屈です。
それではあん摩マッサージ指圧師は(鍼灸も含めたあはき師も同様に)本当に視覚障害者に適した仕事なのか?という話をしましょう。
結論は大いに適した仕事だといえます。これは実際に4名の視覚障害者の方と働いた実体験です。 まず視覚障害者の視覚以外の感覚はとても鋭いのです。特に先天的な視覚障害者ですと、私からすれば超能力者とも思えるほどです。気配に敏感で人や物が側にあると分かります。本当に見えていないのか?と思う時がありました。当人たちもそう言われることがあると話していました。友人は触覚が鋭くビニール傘の触感で「これは最近売っていないタイプですね」と話したり、足音を聞いて「履物を変えましたか?」と聞いたり(実際に替えました)、嗅覚が鋭く私には判別できない臭いを嗅ぎ分けます。
そのため店内や施術室といった限定した空間では業務に支障がほとんどありません。按摩・指圧の施術では晴眼者と差が無いと思います。実際に一緒に働いた視覚障害者の方々は施術そのものにおいて劣っていたところは見受けらえませんでした。鍼灸整骨院に入った時にいた弱視の先輩は私と同い年でしたが凄く仕事ができて院内のナンバー2でした。
ヘルスキーパーという企業内で従業員向けに視覚障害者のあん摩マッサージ指圧師が働く環境があります。
日本視覚障害者ヘルスキーパー協会
企業内の一角に施術スペースを設けることで能力を発揮できることでしょう。
これらように環境を整えてあげれば施術において十分に力を発揮することができると言えます。ただし施術以外のことができるかは障害の程度によります。職場まで一人で通うことができるのか。事務処理ができるのか。掃除やベッドメイクといった雑務ができるのか。周辺の業務や機動性において晴眼者と比べるとハンディキャップがあるため雇用されづらいという面があります。訪問マッサージの人員は足りていないことが多いのですが、視覚障害者ですと訪問先にスタッフが送らないといけないため人件費がかかり雇用できないという実情もあるようです。前回書いた通り、無資格・無免許のマッサージ行為により余計に視覚障害者のあん摩マッサージ指圧師は仕事を奪われています。
日本が世界に誇れる視覚障害者のためのシステムと職業。本業で見れば健常者と同等の競争ができます。来年は東京パラリンピックが開催されます(後に新型コロナウィルスの影響により延期が決定)。視覚障害者にも注目が集まることでしょう。視覚障害者の職業として主に按摩師、鍼師が歴史的にありました。「按摩」を視覚障害者への差別用語として放送禁止用語にするといったおかしな認識を捨てて、状況を知ってもらいたいものです。
甲野 功
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