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~経歴 幼少期保育園編~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 保育園時代
保育園時代。姉の服を着せされて。

 

現在、小学生と保育園の子どもを育てています。子ども達がどのような成長を遂げるのかを不安と期待で見守っています。

 

鍼灸のやり方の一つに経絡治療というものがあり、幼少期の状況が大人になったときの体調に関係するという考え方があります。未就学児、つまり小学校に入る前の時期に、風邪をひきやすい、体調を崩しやすい、寝つきが悪かった、癇癪持ちだった、などの状況を問診で確認しておく。その時期の身体の状態はベーシックな証(体調のタイプ分けしたようなもの)で年を重ねたり、ストレスで精神的に弱ってきたりして体が衰えた時に表に症状として出てきやすいと考える場合があります。


三つ子の魂百まで、と言いますが幼少期の状態がその後の人生に影響を及ぼすというのは直感的に理解できます。

 

これまで私がどのような過程を経て今に至ったのか不定期で紹介してきた~経歴~シリーズ大学学業編からスタートしましたが、遡って幼少期すなわち保育園時代から振り返った方がよいのかなと考えました。
この歳になって子どもの保育園の送り迎えをしていると、実は保育園時代の出来事や環境が今に関係しているなと感じることがあるのです。


幼少期をどのように過ごしたか。育てる側になった今振り返ってみます。

 

私はけっこう保育園時代のことを覚えています。記憶が定着するのが3歳くらいからと考えると4~6歳くらいの保育園児だった頃のことを割と覚えている方だと思います。

 

まず私の世代では圧倒的に幼稚園が主流で、保育園に通っていた子どもは少数派でした。
今でも私の親世代の人では幼稚園と保育園の違いが分からない人もいます。幼稚園は文部科学省管轄で学校。保育園は厚生労働省管轄で親の労働をサポートする位置づけ。小学校と幼稚園が併設されていて、小学校の校長先生が併設幼稚園の園長も兼ねている例も。幼稚園はだいたい3歳から通うようになりますが、保育園は0歳から通うことができます。子どもが保育園に通うためには保護者が仕事をしているという条件があるので基本的に共働き家庭か片親家族です。もちろん病気などで片方の親しか働けない場合でも保育園登園はできますが。

 

私が保育園時代を過ごした昭和50年代は専業主婦が多く、母親が働いている家庭が珍しかったです。
生まれも育ちも東京都新宿区で、この都心部でも当時はフルタイムで働いている母親は多くはなかったです。今では<待機児童問題>と言われるくらい保育園が足りませんが、一つに共働き家庭が増えたことが原因です。間違いなく子どもの数は減っているのですから。今とは反対で保育園に行かせる家庭は少なく、うちは1クラス(1学年で)15名でした。小学校にあがったときにクラスの大半は小学校併設幼稚園からの子どもで、保育園から上がった私を含めた3名は同じクラスになりました。小学校で自分たちがマイノリティーだということを痛感したものです

 

私の母は小学校の教師でした。父は単身赴任で平日は地方にいました。保育園に行かないと生活ができない状況。気週末にしか父は帰ってきませんし、母親は小学校で担任を持つ先生です。私は物心ついたときから保育園に通っていました。確か0歳から通っていたそうです。
通っていた保育園は薬王寺保育園といいました。卒園後にこの薬王寺保育園は閉園するのですが、時を経てつい数年前に復活しました。現在は幼稚園が存続の危機に陥っているところが多く、保育園が足りないのでどんどん増やしているのが新宿区です。

 

家から薬王寺保育園に向かった先に母親の職場となる小学校がありました。そのため私は毎朝母親と歩いて保育園に登園していました。記憶に残っているのは母と二人で保育園に登園する景色。2つ年上の姉がもう小学校に上がっていた頃です。
母と保育園に向かう途中、母の教え子も小学校に通学するので、会うことがあります。そのときに子ども心にもはっきりと、母親から担任の先生に変わる、ことが分かりました。プライベートと仕事で雰囲気が変わる。
大人になれば至極当然のことですが、保育園児だった私にはそれがなかなか辛かったです。登園時間だけでなく、休日で母が教え子やその保護者にあったときに雰囲気が変わる。まさに人が変わるというか。<いさおくんのママ>から<甲野先生>に人格が変わる。そういうのをリアルに感じていました。

 

保育園は幼稚園と違って夕方までいます。朝から登園して昼飯をとってお昼寝をして夕方まで保育園で過ごすのです。
5歳くらいなると食事の準備も園児たちで行います。
お昼寝がうまくできなくて自分だけ眠れないこともありました。
夕方のお迎えも早く迎えに来る家庭から帰っていくのですが、私の家庭は小学校の先生ということで特に遅い方でした


現在我が子が通う保育園では夕食をとって8時過ぎまで申請を出せばみてもらえますが、当時は6時まで残る子どもは少なかったです。
私が保育園の頃は一番遅いお迎えになることもありました。夕方遅くなると年齢に関係なく園児が玄関前に集められて少数の保育士さんが面倒をみます。使わない教室は電気が消されて園内が暗くなってきます。今日は最後になるかな?自分より遅い子がいるかな?と思って待っていました


ある時かくれんぼをして遊んで待つことになりました。体が小さかったのでピアノの後ろに隠れました。ここは上手な隠れ場所だと思って。すると誰も見つけることができず、まさか保育士さんが「いさおくんはもう帰ったのね」と言い出しました。仕方なく自ら出てきましたが、今では笑いごとにならないでしょう。

 

保育園という場所はかなり辛い思い出が多いです。今よりもおおらか、悪く言えば子どものことをおざなりにしていた時代です。いじめを受けて、ずいぶん嫌な思いをしました。そのようなときに保育士は助けてくれず、私はしくしく泣いていただけ。
困ったときに親は助けてくれないということを保育園時代に学びました。父親は東京にいませんし、母親も外では小学校の先生。一日の半分を保育園での共同生活で過ごし、どこか達観した気持ちになりました。


いざという時に親はあてにならない。保育園時代に得た人生の教訓だと思っています。

 

この経験は小学校に進むときに大いに役に立ちました。保育園育ちは逞しいなと幼稚園からの同級生をみていて思いました。親になって私は幼少期の子どもに対して一緒に過ごそうと思うのは、保育園時代の経験からです。
そしてそれなりの大学に入学卒業できるだけの学力がついたのも一人で困難に乗り越える習慣を小さいうちから持てたからだと思っています。
ですから我が子を0歳から保育園に入れることを申し訳ないなと思う気はありません。保育園で逞しく育ってほしい。その分、父親としてしっかりと子どもの面倒をみるという気持ちになるので。

 

~経歴 小学校編~へ続く

 

甲野 功

 

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