開院時間
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前回少し書きましたが、私の母校である呉竹学園東京医療専門学校にマンガのリーフレットがありました。私が入学した2004年当時だと考えられないことで、驚きました。時代に合わせて広報活動が変化している、いや変化させていると感じています。先日、所用で代々木校舎を訪問し広報担当をしている方と話す機会がありました。ここ数年の東京医療専門学校が外に向けて発信する姿勢が大きく変わったことを伝えると、試行錯誤しながらやっていると答えていました。何がどう変わったのか、私の実体験を踏まえて書いていきましょう。
私が東京医療専門学校Ⅰ部鍼灸マッサージ科(以下、本科と記載)に入学したのが2004年4月。受験は前年の2003年10月でした。当時、本科の倍率が高く私が希望したⅠ部本科は倍率20倍だったとのちに先生に言われます。鍼灸よりもあん摩マッサージ指圧師の方が取りたい資格であったため、あん摩マッサージ指圧科がある学校のみを視野に入れていました。通学圏内であん摩マッサージ指圧師が取得できる専門学校の中で、一番希望にあったのが東京医療専門学校でした。他の学校も受験する準備を進めていましたし、1次募集で落ちることを想定して2次募集での受験も考えていました。それくらい志望者は多かったのです。面接時でも、リラクゼーション業界出身だった私は面接官にとても厳しい言葉を投げかけられて憤慨したものです。そしてⅠ部本科に入れなければⅡ部本科(授業開始時間が異なる)や鍼灸科(あん摩マッサージ指圧師は取ることができない)でもいいかと問われました。それは人気の順番であり、Ⅰ部本科に入れない人間がⅡ部本科へ、それでもだめな場合は鍼灸科にまわれという意味です。この頃は東京医療専門学校本科に入るために浪人する人がいました。私の知り合いにも2名、本科に入るために浪人した人がいます。またⅠ部本科に入れずやむなくⅡ部本科に入学した人も知っています。このように入学時点で厳しいハードルがあったのです。もちろん専門学校側の方が立場は上で、明確に<入学させてあげる>という態度がありました。学校側が受験生を選ぶ。そういう状況でした。
東京医療専門学校は90年の歴史を持つ最古参の鍼灸養成学校です。業界内の力は今でも上位にあり、呉竹という名前は関東圏の鍼灸師ならばだいたいが知っていることでしょう。伝統もありますし、実績も残してきたと思います。私が本科に入学した当時は学校からも教員からもプライドがにじみ出ているのを感じました。当時の色々なエピソードがありますが、今とは考えられないこともままあります。
本科を卒業して1年間空けて柔道整復師科に入学。そこを卒業してまた1年間空けて教員養成科に入学。本科3年間、柔道整復師科3年間、教員養成科2年間と計8年間通った学校です。2004年4月から2014年3月まで足かけ10年に渡り関わった東京医療専門学校。その変化も実際にみてきました。外部環境において一番の変化は志望者数の減少でしょう。鍼灸師やあん摩マッサージ指圧師、柔道整復師を目指す人が減ってきています。生徒数も私がいた頃より減っています。それは大宮校(呉竹医療専門学校)開校にあたり科を減らしたことも理由ではありますが。鍼灸業界の老舗養成校でも生徒集めが簡単に行かないようになりました。このことは業界全体でも言えることで、近年、鍼灸専門学校と柔道整復専門学校の規模縮小がみられます。人口自体が減少しているため当然と言えますが、以前よりも資格を取れば安泰というメリットが薄くなっているのでしょう。増えすぎた専門学校が自然淘汰される段階に来ていると私はみています。
このような時代において、東京医療専門学校はホームページをリニューアルしチャット機能も実装しました。TwitterやinstagramといったSNSも使い、最近ではYouTubeチャンネル開設をするという、ネットにおける広報活動を積極的に行っています。
正直な感想として、あの呉竹がよくやりだしたな、と思います。外側からみると予想通りかもしれませんが、鍼灸師の世界は保守的で閉鎖的なところが多分にあります。大御所と言われるベテランの先生は新しいものに手を出さず、組織も新陳代謝が難しい面があります。東京医療専門学校という伝統校も同じようなところがあり、SNSなど手を付けるとは思っていませんでした。とても嫌いそうなイメージがあったからです。卒業生だから感じるといいますか。
またマンガやイラストを多用したリーフレット類も意外でした。医療従事者であり、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、柔道整復師のイメージが軽く見られそうという意味で、以前だったらこのような発行物は出さなかったと思うのです。良くも悪くも古臭いイメージがあった(言い換えれば伝統がある)東京医療専門学校がずいぶんとポップな軽いものを作ったな、という。私が2003年当時に手に取った学校資料とは印象が全然違います。
私が教員養成科の特別授業で、開業鍼灸師に立場でSNSの活用に関する話を最初にしたのが3年前。関東鍼灸専門学校副校長の内原先生とのセットとは言え、思い切った決断をしたものだと驚きました。その後、東京医療専門学校自体がFacebook、Twitter、instagramと手を広げてきました。これだけ柔軟に時代に対応したのが意外でした。更にはYouTubeチャンネルまで。現物の販促物としてバックまで作成しています。ここまでやり始めた学校側の話を聞いてみたいと思いました。ちょうど縁があって広報担当者とお話することができました。動画編集ができるためYouTubeチャンネルを始めたが、手が空かず更新できないことが心苦しいと言います。定期的に更新しないと効果が出ないことを理解していて、これは本気なのだと感心しました。私もSNSを仕事に活用していますし、ホームページの管理も全て自ら行っています。各種媒体を更新して結果に繋げることがどれくらい大変かは分かるつもりです。こう言っては語弊がありますが、あの殿様商売をしていた東京医療専門学校がここまでやるようになったのか、という少々残念な気持ちと変化を厭わない姿勢を頼もしく思う複雑な気持ちです。
関東圏の鍼灸専門学校においては、関東鍼灸専門学校の内原副校長がTwitterを皮切りに様々な挑戦をして実績を残しネット関連の開拓者だとみています。関東鍼灸専門学校も伝統校で保守的なイメージがありましたが、殻を破ろうと動き出しています。教員養成科を出て学校教員の話を耳にするからこそ、この行動がいかに困難で画期的なことか分かります。そして業界トップの東京医療専門学校がこれだけ広報活動を展開していること。鍼灸専門学校も変化していかないといけないのだと示しているようにも思えます。
なんだかんだと関りがある母校、東京医療専門学校。授業内容、研究、国家試験合格率など内部の質を保つことはもちろんですが、外部へのアピールも積極的に行っています。伝統校という組織はなかなか変化しないと思っていましたが、そうではありませんでした。その姿勢を頼もしく思います。
甲野 功
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