開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
今週末の3月1日(日)は第28回柔道整復師国家試験が行われます。私も2011年に受験しました。学生さんは国家試験直前で必死に勉強をしていることでしょう。新型コロナウィルスの影響で試験そのものが危ぶまれている段階かもしれません。日々状況が変わっていくのでこの文章を書いている時点でも先が読めません。私が受験した2011年も、そのわずか5日後の3月11日(金)に東日本大震災が起きました。国家試験が終わった安堵感がいっぺんに吹き飛ぶ大事件でした。当時は無職。就職活動もままなりません。そして柔道整復師専門学校の卒業式は中止になりました。私は謝恩会委員であったので同級生とずっと準備をしていたのですが、謝恩会も中止になりました。正確には自身の判断で中止を提案しました。卒業式がないのに謝恩会をするのも違うと考えたのです。当時は都内でも安全が確保できない状況でありました。計画停電もあり得る(実行された)と言われていましたし、テレビ番組は全て震災関連のニュースだけで、卒業を祝うムードはありません。卒業証書を教室に個別にもらいに行くという最後でした。
質は異なりますが今年のコロナウィルスと似ているなと思います。国全体の問題ということで。
私は普段あまり語りませんが柔道整復師免許を持っています。現在の開業では接骨院(整骨院)は行っておりません。外傷の方もほとんどいらっしゃらないので柔道整復師としての臨床から離れていますが、柔道整復師であることには変わりません。
柔道整復師専門学校で学んだ3年間は今でも大変役に立っています。学校はなかなか厳しいシステムでした。
国家試験を前に柔道整復師専門学校時代を振り返ってみます。
2008年に東京医療専門学校Ⅰ部柔道整復師科に入学します。当時は鍼灸整骨院で働いており、午前中は代々木にある校舎で勉強、午後2時半に職場に向かうという生活でした。この代々木校舎は鍼灸マッサージ教員養成科も併設されているため、2012年からまた2年間通うことになります。合計5年間学んだ校舎でした。
当時Ⅰ部柔道整復師科は2クラス約60名生徒がいました。Ⅱ部(午後からの部)も同じくらい、夜間部は30名くらいいました。1学年150名弱いたことになります。先日代々木校舎を訪れた時に3年生の生徒数を知って、ここまで人数が減少したのかと思いました。私の頃と違うなと。
まだ呉竹医療専門学校、つまり大宮校ができる前。東京校と新横浜校しかなかった頃です。2年生になるとき代々木校舎からも多数の教員が大宮校に移ったものです。
その頃の学校システムが特徴的で、定期試験の成績順に席順が決まるのでした。しかも前の方から成績順に並べることがほとんどでした。時に中央最前列から後ろに向かって並ぶこともありましたが、基本は教室の端最前列から成績上位者が最前列を座り、順次次の列に座っていくというもの。同じ東京医療専門学校でも鍼灸マッサージ科では自由に席を座ることができたのとは大きな違いでした。成績で席が固定されるという。
1学期、2学期、3学期と2回席替えがありました。露骨にクラス内での成績が分かるシステムだったので、席順が発表されると「あいつに負けた」「ここまで順位が上がった」などの声があがるわけです。
どうしてこのようなシステムを採用したかというと、柔道整復師科は医師が教える科目があり、外部講師が授業をしているときに前の席で寝られると失礼だからという意見を聞いたことがあります。またこのやり方の方が成績が上がるのだとも。真偽は不明です。
このシステムの怖いところは、だいたい成績が同じレベルの人しか近くに座っていないというところです。一クラス60名弱いますからそうやすやすと全員と仲良くなりません。しかし大体同じ成績の人しか側に座らないのでメンバーが偏ってくるわけです。更に授業中に教師が問題を生徒にあてる場面では、後ろの方の席になると答えられなくなります。周りにいる生徒も答えを教えることができないため、空気が重たくなっていくのです。
小学校から専門学校までいくつも学校に通いましたが成績で席順を決めるのは柔道整復師科だけでした。今でもこのシステムあるのでしょうか?
柔道整復師科の大きな特徴は柔道実技があることです。柔道整復師というくらいですから柔道は必須科目です。
質は異なりますが今年のコロナウィルスと似ているなと思います。国全体の問題ということで。私は普段あまり語りませんが柔道整復師免許を持っています。現在の開業では接骨院(整骨院)は行っておりません。外傷の方もほとんどいらっしゃらないので柔道整復師としての臨床から離れていますが、柔道整復師であることには変わりません。柔道整復師専門学校で学んだ3年間は今でも大変役に立っています。学校はなかなか厳しいシステムでした。国家試験を前に柔道整復師専門学校時代を振り返ってみます。
2008年に東京医療専門学校Ⅰ部柔道整復師科に入学します。当時は鍼灸整骨院で働いており、午前中は代々木にある校舎で勉強、午後2時半に職場に向かうという生活でした。この代々木校舎は鍼灸マッサージ教員養成科も併設されているため、2012年からまた2年間通うことになります。合計5年間学んだ校舎でした。当時Ⅰ部柔道整復師科は2クラス約60名生徒がいました。Ⅱ部(午後からの部)も同じくらい、夜間部は30名くらいいました。1学年150名弱いたことになります。先日代々木校舎を訪れた時に3年生の生徒数を知って、ここまで人数が減少したのかと思いました。私の頃と違うなと。まだ呉竹医療専門学校、つまり大宮校ができる前。東京校と新横浜校しかなかった頃です。2年生になるとき代々木校舎からも多数の教員が大宮校に移ったものです。
その頃の学校システムが特徴的で、定期試験の成績順に席順が決まるのでした。しかも前の方から成績順に並べることがほとんどでした。時に中央最前列から後ろに向かって並ぶこともありましたが、基本は教室の端最前列から成績上位者が最前列を座り、順次次の列に座っていくというもの。同じ東京医療専門学校でも鍼灸マッサージ科では自由に席を座ることができたのとは大きな違いでした。成績で席が固定されるという。1学期、2学期、3学期と2回席替えがありました。露骨にクラス内での成績が分かるシステムだったので、席順が発表されると「あいつに負けた」「ここまで順位が上がった」などの声があがるわけです。どうしてこのようなシステムを採用したかというと、柔道整復師科は医師が教える科目があり、外部講師が授業をしているときに前の席で寝られると失礼だからという意見を聞いたことがあります。またこのやり方の方が成績が上がるのだとも。真偽は不明です。
このシステムの怖いところは、だいたい成績が同じレベルの人しか近くに座っていないというところです。一クラス60名弱いますからそうやすやすと全員と仲良くなりません。しかし大体同じ成績の人しか側に座らないのでメンバーが偏ってくるわけです。更に授業中に教師が問題を生徒にあてる場面では、後ろの方の席になると答えられなくなります。周りにいる生徒も答えを教えることができないため、空気が重たくなっていくのです。
小学校から専門学校までいくつも学校に通いましたが成績で席順を決めるのは柔道整復師科だけでした。今でもこのシステムあるのでしょうか?
柔道整復師科の大きな特徴は柔道実技があることです。柔道整復師というくらいですから柔道は必須科目です。私も30歳を過ぎて柔道を初めて習うということに。柔道の基本である礼法、組み方、受け身、打ち込み、型稽古、乱取りなどです。1年生と3年生で実技授業がありました。個人的に柔道は好きで球技よりも体操の方が得意だった私は受け身も結構できた方でした。黒帯の人と打ち込みをしたときに一瞬で空中で逆さまにされたことがありました。気が付いたら風景が上下逆になっている。通常ならば一瞬で投げられるはずだったのですが、体格差のせいか勢いが止まってしまったのでした。上級者は引手を引いて頭を打たないようにしてくれるのですが、焦ったのか分からないのですがほぼ真っ逆さまに落ちていきます。高校時代に習った体操のおかげであごを引いて受け身を取ることができました。黒帯の同級生が「いやあ~受け身がうまいね~」と言っていましたが、一歩間違えたら大惨事では?と思いました。私は高校時代山岳部だったのですが柔道部と仲が良く、柔道場で背負い投げだけしっかりと習ったことがありました。そのため背負い投げだけ様になっていました。柔道実技を組む相手は180cmをゆうに超えていた長身だったので177cmの私でも簡単に懐に潜り込めました。他の相手と乱取りをすると全く背負い投げが決まらず参りました。
1年時は男女一緒に柔道をしていたのですが、まれに見る女子が多い代で、3年生からが女子と男子が別々に柔道実技をするようになりました。例年だと女子が少なすぎて分けるほどではないらしいのですが、私の時は半分近く女子だったので。男子だけの3年生の柔道は結構乱暴になるものです。乱取りも本気でやる生徒が増えてきました。その結果、クラスで2名骨折者を出すという結果に。完全骨折して骨がずれてしまうことを転位というのですが、生で骨が転位しているのを見たのはそのときが初めてでした。他にも第1~第5腰椎横突起骨折という重症もありました。授業でも習わない多椎体の骨折。驚きました。ケガが多くて4名一組で実技グループを作るのですが、私以外のグループ3名が負傷で見学になるという事態もありました。その後柔道実技はより安全を考慮するようになったといいます。
柔道整復師科の特徴は外部講師の認定実技があることです。外部から先生が訪れて一発勝負の試験を行うのです。それに受からないと実技認定がもらえず卒業見込みがもらえません。つまり国家試験が受験できないのです。実技認定で落ちるわけにいかないのでその前にある学内実技認定試験はとても難しく、恐ろしいまでの緊張の中行われます。包帯実技では前のグループがずっと怒鳴られている様子を教室の前で待ちながら順番を待ちます。もうプレッシャーを与えることが目的のように。
そして私の組になりました。与えられた課題は「顎関節脱臼」でした。顎関節脱臼は穴も穴、まず出ないといわれていたものでした。肩関節前方脱臼やコーレス骨折、上腕骨外科頚骨折などメジャーな外傷が出ると思われたところに、意表を突いたところでした。おそらく私の組は優秀だからと、敢えて出ないところを課題にしたのかもしれません。私は何故か虫の予感で顎関節脱臼が出るような気がしていたのでチェックしており、質疑応答・整復(脱臼を戻す操作)とそつなくこなすことができました。指導教官の「やっとまともなのがいたな」と言われました。
もう一つ実技認定があります。それが柔道です。 柔道の実技認定は礼法、型、乱取りの3つです。礼法はお辞儀の仕方。型は一組交互に決められた基本技を決められた手順で行うもの。乱取りはまあ八百長のようなもので、互いに1回は技をかけて受け身を取るという感じです。問題は型でして、これも事前の予想では「浮き落とし」になるといわれていました。浮き落としは腰を触らない足さばきと上半身で投げる技で、実戦ではなかなかお目にかからないものです。相当な実力差がないと決まらないと。受ける方は自分から飛んで投げられるので結構度胸がいるのです。うちの組は浮き落としばかり練習していたのですが、本番はまさかの「払い腰」。言われた瞬間パートナーの頭が真っ白になっているのが見て取れました。なんとか導いて払い腰を完成させたものです。その代わり乱取りの礼法が私の頭から飛んで行ってしまって、何歩で開始線に立つ?どちらの足からだっけ?などパニックになりました。そこは反対にパートナーの真似をして事なきを得ました。
このような感じで実技認定を乗り越えて3年生の国家試験直前までたどり着きます。鍼灸マッサージ科と違ったのはそこまでに退学者が結構いたということです。鍼灸マッサージ科では1名だけ、やはりやりたいことが違うと、辞めていった同級生がいましたが、柔道整復師科ではまあまあ辞めていく人がいたのです。正確に何名辞めたのかは思い出せません。なかなか厳しい環境です。3年生の終わりになると毎週のように国家試験と同じ分量の試験をこなしました。全てマークシートでクラス内の順位が個別に渡されます。成績が悪い生徒は国家試験受験表が渡されず、補講をこなして国家試験前日にやっと受験表を手渡されるというシステムでした。それだけ厳しく国家試験対策をしていたのです。
国家試験直前の1月末で約4年間務めた職場を辞めて勉強に専念しました。ですから国家試験後は無職でした。2月からの1ヵ月、クラスメイトと国家試験の勉強に励み楽しかったです。確かに国家試験のプレッシャーはありましたが、既に鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師国家試験を経験しています。ずっと学生ホールにこもって勉強し、問題を出し合った期間は勉強だけに専念した時間でよい思い出です。まさかあの後東日本大震災で状況が一変するとは思ってもいませんでした。
今は柔道整復師の本分とは少し離れていますが、あの学生時代は色々とあって楽しい思い出です。なおこの学生時代に結婚していますし。
甲野 功
コメントをお書きください