開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
5月になりました。1年前に令和時代が幕開けしたことが遠い昔のようです。暦の上ではゴールデンウイークですね。今の状況ではゴールデンウイークという感覚にならない人がほとんどではないでしょうか。この時期になると、例年あるのが五月病。新しいステージに立ち、事前に思い描いていた期待や理想と現実の違いに悩み、ゴールデンウイークを挟むことで緊張の糸が切れて、気持ちが沈みやすくなります。一般的に新卒社会人に多いと言われていますが新卒鍼灸師も、多分に漏れず、です。特に鍼灸師は離職率、廃業率が高いと言われており就職してもすぐに辞めてしまう、それどころか鍼灸の世界から去っていく、ということがままあるようです。「3年生存率」だとか「5年生存率」なんて隠語があるくらいです。なぜ鍼灸師は続かないのかを考えるときに五月病のような状態が原因の一つであることは想像に難くないです(複数の要因が関係するのも確かでしょうが)。葛藤する要因の一つに「自分が先生と呼ばれること」が挙げられると考えます。鍼灸師として臨床に立った時に現場の環境にもよるでしょうが、「〇〇先生」と言われるようになります。職場のスタッフ同士が呼ぶこともあれば患者さんが呼ぶことも。出入り業者さんや営業電話の電話口もそうでしょう。先生と呼ばれることが弊害となる場合があるようです。
まず先生と呼称されるのを本人が嫌がる例。
責任重大と感じる場合。新卒鍼灸師に多いと思うのですが、自身がない、責任を負いたくないという負い目のような気持から先生と呼ばれるプレッシャーから逃れたいという場合が見受けられます。
次に先生という立場を嫌う場合。おそらく先生という状態が上から人を見ている、と根底に感じているのでしょうか。自分なんかが先生などとおこがましい。患者さんとも他のスタッフ(受付さんなど非施術者が主な対象)とも対等でありたい。このように考える人です。平等意識が強いというか。立場を対等にしたいというよりも先生という存在自体に嫌悪感があるのかな、と勘ぐってしまう方がいましたね。
そして同僚同士で先生と呼び合うのが嫌という場合。同じスタッフを先生というのが引っ掛かるので、自分自身もそう呼ばれたくない。たかだか鍼灸師なのに先生と呼び合うからおかしなことになるのだ、と主張する方もいました。思い上がるなという謙遜という気持ちとどこか鍼灸師という存在に嫌悪感を持っているのかなと感じてしまいます。
これらは私が実際に目にしてきた例です。細かなニュアンスが異なるのですが、自らのことを先生と呼ぶ、相手に呼ばれるということに抵抗がある人ですね。
続いて周りが鍼灸師を先生と呼ぶのを嫌がる例です。
若い鍼灸師がつけあがるからと嫌う場合。よくあるのが高卒でそのまま鍼灸専門学校に入学し、21歳で鍼灸師になった最年少鍼灸師(現行の法律で資格を取得できる年齢の最年少が21歳)に対して、「先生などと呼ばれていい気になるからやめておけ、もっと学ぶことがあるだろう」と周囲が低く見る場合です。確かに21歳で初めて社会に出た時に先生と言われると舞い上がってしまう人もいるかもしれません。現役で大学に入学していれば大学4年生になる年齢ですので。
続いて鍼灸師が先生などと言うのはおかしいという場合。鍼灸師は先生と呼ばれるような職種(存在)ではない、と周りが思っている。そのような状況があるのか?と疑問に思うかもしれませんが、たくさんの立場の人間が働く現場ですと妙な階級意識ができてしまうことがあり、例えば医師は先生だけど看護師は〇〇さんと呼ぶ、というような感じで鍼灸師も医師ではないから先生とは呼べない、という。
周りというのは鍼灸師を取り巻く環境にいる人で、現場の状況が影響することがほとんどです。
このように鍼灸師が先生と呼ばれることに対して、本人も周囲も心理的なブレーキをかけることがあるのです。こういったことは鍼灸師に限らず、教師業(学校の教師、塾講師、インストラクターなど)に当てはまることかもしれません。知り合いの社交ダンス講師も、「お互いのことを先生と呼ぶのはおかしい」と述べる人もいました。しかし多くの環境で、免許を取って臨床現場に立った鍼灸師は無条件に先生と呼ばれます。それが新卒だろうが、ペーパードライバーならぬほとんど臨床で鍼灸をしたことがない鍼灸師であろうが。21歳だろうが60歳だろうが。そのことが当人やその場にいる人たちがもやもやする。新卒鍼灸師は自身を先生と呼ばれることにプレッシャーと嫌悪感を持ってしまう。それが強くなっていけば職場を変える転職、あるいは離職、はたまた鍼灸師としてのアイデンティティを捨ててしまうことになりかねません。
なぜ鍼灸師になると先生という呼称が付くのでしょうか。それは責任を求められるからでしょう。私はあん摩マッサージ指圧師であり、その前はリラクゼーション業に就いていた人間です。技術が簡単だとか資格が下だとかの話ではありませんが、鍼灸はやる側のハードルが比較して高いものです。ただ触って押す、揉むという行為は容易に真似できますが(効果を出せるかは別の話で)、素人がいきなり人の皮膚に鍼を刺したり、艾を捻って線香で火をつけたりするという行為ができるものではありません。まず他人に鍼(針)の類を刺せるのは医師、歯科医師、医師の指示を得た看護師くらいでしょう。ピアスを開けるとか緊急事態で傷口から異物を取り去るなどのことは例外とすると。はたまた人に火のついた線香を近づけるのもそうやすやすとできる行為ではないのです。鍼灸師には当たり前になり過ぎて普通のことですが一般的にはそうではない。その鍼灸をする人が先生という自覚と責任を持たなければ納得できないものがあるでしょう。
私がかつて管理職をしていた職場で、この場合は柔道整復師でしたが、新卒の女性スタッフがいました。職場のルールで施術スタッフは一様に〇〇先生と呼ぶルールでした。新卒柔道整復師のスタッフは自分が先生と呼ばれることに抵抗があって言われたくないと話していました。そこで立場上、上長だった私は彼女に「それならば受付業務だけずっとする?」と問いました。すると「嫌です」と答えました。「それならば〇〇先生でなければならないよ。先生でない人が患者さんの身体を触って施術するのは失礼だよ。その責任と覚悟を持たないと。」といった内容のことを話しました。なかなか意地悪なことを言いました。〇〇先生と呼ばれたくないなら白衣を脱いで受付の〇〇さんになりなさい、という意味です。私には彼女が、新卒だから、経験が無いから、不安だから、という言い訳をし、保険をかける意味で先生の呼称を避けているように映ったのです。本当のところはどうか分かりません。なお年齢は私より年上ですから若さという言い訳は通じません。彼女は患者さんを良くするために資格を取った人で、しっかりと職務に向き合い堂々と自分のことを先生というようになりました。少し補足を入れておくと、当初彼女は整形外科と掛け持ちでした。医療機関にいると医師の存在が圧倒的に医療従事者の目に映ります。医師と同じ先生と言われることに違和感を覚えやすいといいますか。私も病院勤務時代、看護師や医師に「甲野先生」と言われてとても気まずい感じがありました。看護師の方が遥かに多くの業務をこなし、注射も行います。時に手術室にも入ります。その看護師さんたちが先生とは言われず、なぜ私が先生と呼ばれてしまうのか。そのような罪悪感のような気持ちも病院ではありました。
話を戻すと個人的な見解としては鍼灸師は先生と呼ばれて、互いに呼び合うほうが好ましいと考えています。鍼灸は危険を伴うものです。素人が簡単にできるものではありませんし、するものでもありません。先生と言われて責任と覚悟を持って臨んだ方がよいと考えています。私の母は小学校の教師でした。まさに先生と言われる立場。母が「甲野先生」と呼ばれるのが日常の姿でした。保育園の頃の思い出として、担任をしている生徒や保護者に近所で会ったときに即座に“功くんのママ”から“小学校の甲野先生”に雰囲気が一変しました。幼心にも強烈に覚えています。そのせいか、自分が甲野先生と言われることに違和感を覚えないというか、しっくりするというか、抵抗がありませんでした。また鍼灸師になった年齢が29歳で30歳になる年。決して若くもない年齢でしたし、大学と一般企業に就業した経験もあったのです。くだんの私の母の言葉ですが、「役職が人を変える」と。新人教師も担任を持つと変わる。学年主任になると変わる。教頭になると変わる。役職が付くことでそれ相応の成長が求められるという。校長までした母の実体験。同じように21歳の鍼灸師も、患者さんから先生と呼ばれるようになり背伸びを続けていると自然と“先生と呼ばれる姿”が板についてくるものです。時に先生と呼ばれていきがっている、調子に乗っている、などと揶揄されることもありますが、続けていれば自然と先生のたたずまいになるものです。
そもそも「先生」という言葉はそのまま読めば「先に生きている」です。年上の患者さんに先生と呼ばれるには専門的技術・知識がなければ字の意味にそぐわないはず。先生と呼ばれる環境が努力を継続させ、“先生と呼ばれる立ち位置”を残すのではないでしょうか。患者さんがつかなければ仕事になりませんから。
今先生と呼ばれることに悩んだり、迷ったりしている新卒鍼灸師がいるかもしれません。ろくに鍼をうたせてもらないのに身内で先生と呼び合って気持ち悪い、と感じている人も。それでも続けていくことで、努力することで、心境は変わると思うのです。先生と呼ばれることで必死に背伸びをして成長する時期というのがあると考えています。今しかない時期を大切にしてもらいたいと願っています。私の場合は、いまや先生と呼ばれても呼ばれなくともどうでもいい心境になっています。
甲野 功
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