開院時間
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
「比較宗教学」という学問があることをご存知でしょうか。Wikipediaによれば以下のように説明されています。
比較宗教学 Wikipediaより
『
比較宗教学とは、宗教学の分野で神話、儀式、概念の類似点と相違点を相対的に比較しようとする。
比較宗教学の観点では世界宗教をアブラハムの宗教、インド宗教、東アジア宗教の三つに分類し、他の分野も比較する。
』
その言葉の通りで各宗教における類似点と相違点を相対的に比較してみようという学問ですね。日本は宗教色が強くない国であるため宗教上の対立を身近に感じることはまずありません。神仏習合といって神道(神社)と仏教(寺院)が一緒になっていた時代もあります。神社とお寺の違いを説明できますか?
日本では宗教というとカルト宗教(信仰の自由を認めず脱退を許さず、教祖・団体の命令は絶対で逆らうことを認めない宗教)の印象が強く、何か怪しい理解に苦しむことがあると「宗教だ!」と叫ぶ人が多いでしょう。
人は知らないことに対して嫌悪感を覚えるものです。他と比較して検討することは何事も必要です。パレスチナ問題をはじめ宗教が原因の一部となる戦争・紛争・テロ行為が海外ではありますが、調べてみるとユダヤ教もキリスト教もイスラム教も根っこは一緒になります。それ故に「アブラハムの宗教」という括り方があるわけです。
同じように鍼灸業界でも3大流派とか派閥というか経絡、中医学、現代と区分があります。
このことを知ったのは東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科に入学したときでした。鍼灸マッサージ科(通称、本科)の頃は鍼灸にそのような区分があることを知りませんでした(習ったのかもしれませんが鍼灸に興味が無かったので記憶に残っていないだけかもしれません)。さすがに気や経絡、脈診、腹診といったことをする鍼灸と筋肉や神経にアプローチする鍼灸では毛色が違うことは分かりました。東洋医学概論と解剖学・生理学では学ぶ内容のスタンスが違うことも。
ただ経絡と中医学という区別はよく分からず、後になって東洋医学概論の教科書はこの章は経絡ベースで書かれてここは中医学だよと言われてそうなのだと感心したものでした(旧版の教科書。現在使われているものではない。)。
鍼灸師になって丸5年が経過して教員養成科に入学。ついひと月前に国家試験を終えた同級生と授業を受けると隔世の感があり、みんな経絡と中医学のことを知っているの?と困惑しました。私が本科を卒業してから経穴(ツボ)の改訂が行われて使用する漢字が違う、位置が異なるといった戸惑いがありました。東洋医学概論の教科書が改訂されて内容が大幅に増えています。
教員養成科では鍼灸において経絡、中医学、現代の各分野において、実績を積んだ教員が座学と実技を教えてくれます。また学科長による区分、経絡の先生による中医学との比較を教えてもらい多くの疑問が解決しました。
本科時代のこと。ある講師は、この経穴は〇〇の特効穴だ、と言いました。別のある講師は、特効穴というものは存在しない、と言いました。習う立場の私はどういうこと?どちらかが嘘をついているのか?と困惑しましたが、当時はどうでもいいかと流していました。後に考え方が違うのかと知ります。
東洋医学のことをしっかりと学ばなかったこと、本科時代に鍼灸をきちんと練習しなかったことが心残りでした。これらが教員養成科進学を決めた理由の一つになります。5年間の現場経験を踏まえて受けた授業はたくさんの財産になりましたが、特に影響が大きかったのは各鍼灸技術を比較する視点を持てたことでした。
元々鍼灸に対する憧れもこだわりも無かった私は複数のことを学べる東京医療専門学校の教員養成科が合っていたようでした。今日は経絡治療の座学、明日は中医学実技、その次は低周波パルス通電の実技。このような日々は素直に、こういう技術理論があるのかと感動しました。比較して何が違うのかを俯瞰して見ることができました。
私がいたときの教員養成科は最後の方は特別授業ということ外部講師が単発授業を行いました。3ヵ月クールではなく1回で終わる紹介のような授業です。ここで更に細かい流派を知ることになります。長野式、太極療法、皮内鍼などどこかで聞いたことがあったものを知ります。
卒業後はもっと視野が広がります。世間には聞いたこともないような鍼灸技術がたくさんある事実をネットや他の鍼灸師と接することで知るのでした。鍼灸師になって7年。鍼灸専門学校教員免許も取り独立開業しても知らないことばかりでした。更に年々新しい技術が世に出てくるようです。
そして感じることは”鍼灸師同士の意見”について。意見というより”批判”。あるいは批判にもならない”否定”。技術や理論に関して意見交換するのが専門職同士のやることだと思うのですが、恐ろしく単純な「あんなものは鍼灸ではない」といった否定意見が飛び交うことがあります。
私は理科系大学出身ですので科学の発展は批判から始まることを知っています。本当にそれでいいのか、という批判的視点から実験研究が重ねられて科学は発展してきました。権威が言うから信じます、ではなく検証することを諦めない。論文で批判する。それが科学的姿勢だと思っています。
こういう理由、理屈でそれは違うと批判するのは構わないと思いますが、根拠もなくダメだと批判することが鍼灸においてはあるように思います。
例えば鍼の本数や深さ。1本の鍼で効果を出すという流派と一度に数十本、数百本刺す流派。2mmしか刺さないという流派と10cm以上刺す流派。細い鍼と太い鍼。両極端ともいうべきやり方が存在しています。
技術以外にも理論も。「心虚」はあり得るのかなど。
こういったことはよく話題にあがります。
数多の鍼灸流派、技法を比較して研究する”比較鍼灸学”と言えるものが必要だと考えています。
どちらが正しい悪いということはおそらくなく、患者さんに強い害を与えるものは正しくない、違法行為は悪い、ということだと思います。その上で技術や理論を比較検討して研究するものができないかと願っています。
願うなら自分でやれ、という話ですがまだまだ知らないことばかりです。一体国内にどれだけの流派があるのか見当もつきません。そしてどの項目で比較するのかも。
個人的に教員養成科で習った経絡、中医学、現代の比較は継続して勉強しています。経絡治療と伝統鍼灸は違うのか、とか、現代中医学という言葉があるようだ、とか現代に入れる鍼灸技術は何になるのか、など疑問が多数でてきています。細かい技術や流派までは手が回りません。
なぜこのようなことを考えるかと言えば、一般の患者さんに求められているからです。
外から見れば同じ鍼灸師であるはずなのになぜこうも言うことやることが違うのですか、という疑問をぶつけられます。そこが納得できる説明ができないと不信感を生むことになります。過去に新聞社の記者だという患者さんに細かく聞かれたことがあり、気になる人はすごく気になるのだと実感しました。それは体に鍼を刺すという特別な行為をされるのですから(我々は当たり前になってしまっていますが)きちんと知っておきたいと思うのでしょう。
学生さんにもこれとこれは何が違うのですか?と聞かれることがあります。学習する上で比較できる方がいいのだろうと思います。そして鍼灸専門学校への進学希望者はもっとそうです。受けたことがある鍼灸が全てだと思っていることが多いのでこのような分類がありますよというと一様に驚かれます。
専門家よりも鍼灸に興味がある方のために必要を感じているのです。個人的には時と場合によって合う技術、そぐわない技術があると思っています。一般の利用者が鍼灸院を選ぶとき、学生さんが鍼灸院に受けに行くときに参考になるのではないでしょうか。
教員養成科でずっと教壇に立っている講師はその道のプロフェッショナルであることはもちろんのこと、他分野のこともしっかり勉強されてます。例えば経絡の先生は中医学や現代医療もきちんと勉強してその上で経絡治療を用います。灸実技の先生は灸ばかりしているのではなく鍼もしっかりできます。授業で見せないけれど裏でも膨大な学習と研究をしていることを折に触れて知りました。最も得意なものを活かすために他を学び研究するという姿勢がそれだけの地位を持つ源泉なのでしょう。
私は幸か不幸か今でもこれだという鍼灸のやり方を見つけていません。これまで習得したものをその時々に合わせて提供しています。そのことを良い方に捉えて、偏見のない目で多くの技術を見ていきたいです。
甲野 功
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