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保育園から次女を迎えて帰るときにドラッグストアに寄りました。その時目についたのが「鬼滅の刃」コラボのビックリマンチョコでした。
今や令和最初のメガヒットと言われる「鬼滅の刃」。あまりの話題に私もコミック全巻揃えて映画も観に行きました。うちの子ども達も大好きです。
その「鬼滅の刃」ですが、ロッテが出すロングセラー商品、ビックリマンチョコとコラボレーション企画で商品化されました。予想通りと言いますかあっという間に店頭から消えて高額転売されることに。
<「鬼滅の刃」のビックリマンチョコが高額出品 やはり転売のターゲットに>
多くの「鬼滅の刃」グッズが品薄になり転売されたり海賊版が登場したりと社会現象になっています。我が家も買いたくてもグッズが売っていないことがよくあり、子どもの誕生日プレゼント用に九州の店舗から取り寄せて割高になったことがありました。
ですから店頭で「鬼滅の刃」ビックリマンチョコがあるのを見てとても驚きました。実際に売っている所を見たことが無かったので。次女にまたとない機会だから特別に一人2個ずつ買ってあげるね、と商品を取りました。なお次の日には予想通り棚は空っぽになっていて、また買ってもらえると思っていた次女は泣いてしまいました。
さてこのビックリマンチョコ。今を時めく「鬼滅の刃」とは関係なく、ビックリマンチョコ自体が今のように大ブームを起こした時代がありました。それは私が小学生の頃。天使VS悪魔シリーズが空前の大ヒットを起こしたのでした。今回の件をみて時代は巡るなと思いました。当時子どもだった自分が親の立場で我が子と大人気のビックリマンチョコを買う。
私が保育園の頃。ビックリマンチョコになる前段階の「まじゃりんこシール」というものがありました。当時覚えている人は少ないかと思いますが、同じくロッテから出ているチョコウエハースのお菓子でシールが同封されていました。いわゆるダジャレのイラストが描かれたシールで、動物と物をだじゃれで合体させたシールでした。保育園児だった私は保育園の帰りにこのまじゃりんこシール入りのお菓子を親に買ってもらうことがよくありました。調べてみるとビックリマンチョコのシールは歴史が古く1977年に第1弾が発売されたそう。何度もリニューアルを続けて試行錯誤し、1985年に10代目となる「天使VS悪魔シリーズ」があたり社会現象になりました。当時小学生だった私はブーム直撃世代でその熱狂の渦中にいました。
あの当時のことを思い出すとこの「鬼滅の刃」ビックリマンチョコはまだまだかわいいものかもしれません。
「鬼滅の刃」でもシールを抜き去りお菓子を捨てるという現象が起きてニュースになりました。
<鬼滅の刃シールだけ抜き取ってお菓子は食べずに捨てられていた… コンビニ店員の告発画像が話題に>
私世代からすると昭和の風景が平成を飛び越えて令和の時代に蘇ったという感想ではないでしょうか。昭和60年代にはビックリマンチョコでこういうことがよくありました。普及しつつあったコンビニエンスストアでビックリマンチョコを買い、その場でシールを抜きゴミ箱にお菓子を捨てる。珍しくない光景でした。当時のビックリマンチョコは30円。消費税もない時代ですから10円玉3枚で一つ買えました。今のビックリマンチョコは税込み120円くらいでしょうか。駄菓子レベルの価格ですから小学生が100円玉を持って行って3つ買うことができたのです。価格的には現在の4分の1。みんなシールを集めました。
有名な話ですが、天使、悪魔、お守りの3パターンがあり、各シリーズのヘッドと言われるトップキャラは豪華な装飾が施されていて価値がありました。あまりにも人気がありすぎて今と同様、いや今以上に問題が多数起きました。
・シール盗難事件
ダブったシールを交換したりコレクションを自慢したりするためにシールを持ち歩くことが多かった小学生。知らぬ間にシールが無くなっていて誰かに盗まれたという事件に。やっただろ、知らない、のいざこざがよくありました。私は盗難事件に巻き込まれたことがありませんが周りではあったようです。
・店頭から隠させる
ビックリマンチョコが人気過ぎて店頭に並べず、レジ奥に隠してありました。買う時に店員さんに行ってその都度出してもらうのです。だいたいお店によってビックリマンチョコを売り出す曜日や時間が決まっていてその時間に合わせて子ども達がレジに並ぶものでした。「鬼滅の刃」コミック最終巻が発売されたときに新宿の大型書店で同じことが起きて凄く懐かしい気持ちになりました。
・箱買い
ビックリマンチョコをバラではなく箱で買う子どもがいたのです。40個入りで1200円。バブル時代ですから子どものお菓子にそれくらい出す親はいました。ちょっとしたお金持ちの子どもは箱で買っており友達に自慢しつつチョコをあげていました。もちろんシールは渡しませんが。箱を組み立てると神社の形になるのを今でも覚えています。
・シール抜き取り万引き
これは完全に犯罪行為ですが近所のスーパーで店頭に並んだ商品を勝手に開けてシールだけを抜き取り立ち去る事件がありました。封が切られたビックリマンチョコがお菓子コーナーに放置されている姿がありました。令和の時代に「鬼滅の刃」グッズで“胡蝶しのぶ”さんが欲しくて封を開けて逮捕された事件がありましたが昭和の時代にこういうことが横行していたのでした。
<「胡蝶しのぶが欲しくて」男を逮捕 「鬼滅の刃」袋破った疑い>
・個数限定販売
これは今でもよくありますがお一人3個までというルールがだいたいありました。お金持ちは友達を使ってたくさん買っていました。小学校高学年になっていた私は市ヶ谷駅前のスーパーは個数制限が無いという話を聞いて友達と自転車でわざわざ買いに行った記憶があります。「鬼滅の刃」ビックリマンチョコは店頭で個数制限がかからない分まだまだなのかもしれません。それが高額転売を生むのかもしれません。
・偽物出回る
今ではギャグのような話ですがビックリマンチョコの偽物、バッタものが普通に発売されていました。メーカーがロッチという名前。作りが雑で裏面を擦ると字が消えるのが特徴でした。コンプライアンスは緩い昭和末期の風景でした。今も持っていたら反対にプレミアムが付いていたかもしれません。
・親のクレーム問題
これもおかしな話なのですが買っても悪魔シールばかりで天使が出ないとメーカーにクレームを入れる親がいたのです。当然枚数が少ないから天使やヘッドの価値が高くなるのですが、買い与えて楽しみに開けて悪魔シールばかり出て残念がる子どもを不憫に思ったのでしょうか。その結果、天使やヘッド、豪華なシールばかり出るようになり反対に悪魔の方が人気が出てしまうという逆転現象が起きました。子ども心に本末転倒だなと思い、この頃になると熱が冷めていく感じでした。それだけ社会現象になっていたとも言えます。
ビックリマンチョコには小学生時代に助けられた強烈な思い出があります。
小学校4~6年生くらいだと記憶していますが土曜日に新宿で行われる理科実験教室に通っていました。大江戸線が開通していない時代。都バスに乗って新宿駅まで行っていました。ある日色々と手違いがあって教室が終わって帰りのバス賃が無いことに気付きました。もちろん携帯電話もありません。共働き家庭で家に親がいるとも限りません。自力で帰るしか術がないと判断した小学生の私はいつも乗っている都バスのバス停を辿りながら歩いて帰宅することにします。バス停の間隔は短く次のバス停を目指して歩けば迷わず帰れるはず。外の景色で何となく道は覚えていました。
山登りで鍛えていましたが小学生の足で新宿から自宅までの道のりは簡単なものではありません。段々お腹が空いて頭がくらくらしてきました。バス賃90円が無いわけですから何か買って食べることもできません。道は迷わないのですが、その分家までの距離が予想できて辛くなります。これはきついと苦しくなったそのとき。コンビニエンスストア近くの花壇のところに大量に捨てられたビックリマンチョコ。手慣れた様子で封を切りシールを抜いて捨てられています。チョコが全く外に出ていない状態です。これは幸いとそのチョコを食べて飢えをしのいだのです。
当時はチョコを捨てるのが当たり前になっていて綺麗に捨てられているのが普通でした。手慣れていて無駄がない。おかしな話ですが。それを知っていたので様子でつい最近捨てられたことや食べても害がなさそうというのは経験で分かりました。
また山登りの経験があり、小学生ながらある程度危険な体験をしてきたので生き残るためのモードに心境が切り替わっていたのでしょう。拾い食いをしても帰ることを優先させました。あのビックリマンチョコが無かったら自宅に辿り着けなかったかもしれません。
数十年の時を経て我が子とビックリマンチョコを買い、シールが何かなとワクワクしながら開けました。そしてチョコを食べました。初めてビックリマンチョコを食べた子ども達は美味しいと言いました。シールの人気もさることながら、お菓子自体が美味しいからね、と私は言いました。
甲野 功
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