開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
前回紹介した於岩稲荷田宮神社にまつわる内容で四谷三丁目にある陽運寺を紹介します。
場所は東京メトロ四谷三丁目駅から徒歩10分弱。外苑東通りから一本入った住宅街にあります。
以前紹介した陰陽太極図と同じ陰陽勾玉巴という社紋を持つ於岩稲荷田宮神社(旧跡)のすぐそばにあります。というより私は最初陽運寺がその神社だと思ってしまいました。位置関係としては道路を挟んで斜め向かいくらいに互いがあります。於岩稲荷田宮神社(旧跡)よりも豪華で目立っています。
陽運寺ホームページの御由緒によると
『
江戸時代、文政八年七月、歌舞伎作者 四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」が世に広まり、お岩様が庶民の畏敬を集めました。この地にあったお岩様の霊堂が戦災にあったため栃木県沼和田から薬師堂を移築再建し当寺が開山されました。
境内にある秦山木の下にお岩様縁の祠があったと伝えられ陽運寺の起源とされています。薬師堂の棟札には宝暦七年と記されており二五〇年以上の歴史ある建物です。当堂内にはお岩様の立像が奉祀され、厄除け、ご縁事、芸能事に霊験があると多くの参拝者の信仰を集めています。境内にはお岩様由縁の井戸、再建記念碑等があります。
平成二十五年 巳年十月吉辰 於岩稲荷 長照山 陽運寺
』
とのこと。
前回の於岩稲荷田宮神社と話が違うような気がします。ホームページには以下のように続いています。
『
当寺は山梨県、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の寺院です。
茨城県水戸市にある本山久昌寺(徳川光圀公由縁の寺院)の貫首であった蓮牙院日建上人が昭和の初め頃建立しました。
本堂は宝暦七年(1757)建造の薬師堂を移築したものであり、寄木造りの貴重な建造物です。堂内には宗祖日蓮大聖人御尊像をはじめ、鬼子母尊神像、弁財尊天像、大黒尊天像などが勧請安置されています。
』
『
「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしています。
当寺は江戸、文政年代に活躍した四世鶴屋南北作「東海道四谷怪談」で有名なお岩様をお祀りしていることから「於岩稲荷(おいわいなり)」とも呼ばれています。
本堂にはお岩様の木像が安置されており、境内には昭和32年に新宿区より文化財に指定されていたお岩様ゆかりの井戸があります。なお、歌舞伎興行の際には安全と成功を願って役者等関係者が必ず参拝に訪れます。また、悪縁を除き、良縁を招く縁結びには多大なご利益があり、全国各地より多くの参拝者が訪れます。
』
そもそもの疑問なのですが稲荷とは稲荷信仰であり、京都の伏見稲荷大社を筆頭にした神社の種類だと思っていました。正確なことは私にも分からないのですが、お寺に稲荷を祀るというのがよく分かりません。
我が国では長らく神仏習合としてお寺と神社を一緒にしてきました。お寺の境内に神社があるのも珍しくありません。また由来にある通り陽運寺は元々山梨県のお寺ということ。どういうことでしょう。
調べると以下のサイトに納得できる解説が出ていました。
『
四谷左門町の於岩稲荷田宮神社の向かい側には、於岩稲荷陽運寺がある。両者とも【於岩稲荷】と名乗っており、いわゆる本家争いを繰り広げている(現在はお互いの存在を無視しあう形で並存しているらしい)。お岩様ゆかりの地として探訪する者も多いが、この睨みあうようにして並び立つ2つの寺社には必ずと言っていいほど面食らわされるのである。
結論から言ってしまうと、歴史的な背景を辿っていけば、田宮神社の方が本家である。元々この地が田宮家の旧宅跡であり、既に江戸時代には存在していたことが記録されている。翻って陽運寺は、戦後にこの四谷に移転してきた日蓮宗の寺院である(陽運寺そのものが昭和になって創建された寺院である)。
一番肝心な点であるが、田宮神社に祀られているお岩は史実として田宮家にあった女性であり、それに対して陽運寺に祀られているお岩はまさに『東海道四谷怪談』に登場する主人公なのである。田宮神社は、この鶴屋南北の芝居に登場するお岩はフィクションであると広言し(もし事実であれば田宮家は断絶しており、神主である田宮氏が子孫であるという事実に反するわけである)、陽運寺は積極的にこの物語のイメージを喧伝しているのである。つまり、両者が“お岩様”呼ぶものは全く次元の違う存在を指していると言ってもおかしくないのである。
』
まさに私は“面食らった当人”です。史実に合った田宮家の女性を於岩稲荷田宮神社は祀り、東海道四谷怪談の主人公のお岩さんに縁があるとしているのが陽運寺ということのようであると。更にこの日本伝承大艦には解説が続きます。
『
◆二人の“お岩”
田宮神社が主張する“お岩”は江戸初期(元和~寛永)の頃に存命していた者であり、それ以外に元禄頃にも“お岩”と名乗る女性が存在していたことが判っている(こちらが『東海道四谷怪談』のモデルとなった可能性が非常に高い)。しかもこの代から100年以上田宮の名前が過去帳に現れていない事実もある。同じ名前の別人物、それも全く異なる人物像を持つ者があったために、こうした混乱が生じた可能性が高い。詳細は小池壮彦氏の『四谷怪談 祟りの正体』を参照のこと。
』
なるほど、同名で別人の二人のお岩さんが存在していた可能性があり、東海道四谷怪談が有名になったためどちらも縁があると主張しているのではないかという。ネットの情報なのでどこまで信じるかは判断が難しいのですが色々と納得できます。
陽運寺の境内をみていきましょう。
境内は広くありませんがカフェ施設を併設しております。
本当にお稲荷様があります。
「お岩さま」と奉る表現をしており、お岩さま縁の井戸があります。
四谷三丁目の陽運寺と於岩稲荷田宮神社(旧跡)をセットで足を運ぶと面白いでしょう。
甲野 功
コメントをお書きください