開院時間
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
先日日帰りで京都に行きました。後輩の谷祐二・さとみ組が開いたタニダンススタジオの1周年記念パーティーに参加するためでした。
本当は昨年4月に行われる予定だった1周年記念パーティー。知っての通り新型コロナウィルス流行のため、1年の延期となりました。予定していた同じ会場で1年遅れのパーティーが開催されたのです。
谷組は男性(ダンス界では通称リーダーといいます)、女性(同じく通称パートナーといいます)の両方が東京理科大学の部活である、ALL東京理科大学舞踏研究部の出身で後輩になります。
この部は社交ダンスを競技として行う“学生競技ダンス”の部活。私の今があるのもこの部活の存在が非常に大きいのです。ここから多くのプロ社交ダンス選手を輩出してきましたが、リーダー・パートナーともに東京理科大学舞踏研究部出身というカップルは多くありません。現役選手として活動しているのは東京神田の奥山ダンススタジオに在籍している三森・酒井組のみ。
谷組のお二人とは現役時代が被りませんでしたが新入部員の頃から知っています。
二人が大学を卒業して社会人アマチュア選手として活動していた頃、私は駆け出しのあはき師(あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師)で競技ダンス選手を診たくて競技ダンスの聖地と言われる東京都北区十条を職場に選び働いていました。(余談ですが現在ヤングジャンプ誌に連載されている競技ダンスをテーマにしたマンガ「シャドークロス」の舞台が十条です。)
その十条で鍼灸整骨院のスタッフと患者という関係に変わって新たな接点が生まれました。当時の谷組はお互い会社員として働きながら競技生活をしており、アマチュアA級がかかった大会のときは、後楽園ホールまでサポートをしに行きました。
その後私が結婚するときは披露宴に二人を招待して受付をお願いしました。その翌年に今度は二人が結婚します。
そして師である山本先生のもとでプロに転向するため、京都に移り住みました。
3年前の夏に京都旅行に行った際には、その当時二人が勤務していた「山本喜洋ダンススクール」まで出向いて話をしました。
社会人が趣味の一環として踊っていたアマチュア時代とは異なるプロとして生徒さんを指導する姿を目の当たりにしました。
それからしばらくすると山本先生のところから独立して京都でダンススタジオを持つという話を知ります。スタジオオープンの際にはちょうど季節が合ったのもあり、“ダンスパーティー”という品種の紫陽花を当院から贈らせてもらいました。
2年前の夏に京都訪問をした際にはお盆休みでいないことを承知で新しく構えたタニダンススタジオの前まで行ってきました。本当に前まで行ってきただけですが。
そして昨年。オープン1周年記念パーティーを京都で行うことを知ります。うちの部からプロに転向した人は数多くいますが独立してスタジオを構える人は本当にわずか。大変なことです。社交ダンススタジオの世界では1周年記念を重要視する慣例があり、盛大に祝うことが多いのです。二人の記念ですから京都に行こうと決めました。京都は観光でも勉強でも行きたい土地ですし。
ところが新型コロナウィルス流行により1周年記念パーティーは延期。私も昨年4月はほとんど外出できない状況で大変でした。今年に入り1年遅れで開催するという連絡を受けて迷わず行くことを決めました。
東京都は緊急事態宣言が3月に解除されたものの再び新規感染者数が増えてきました。また大阪は東京以上に増加してまん延防止等重点措置が発令されます。依然厳しい状況の中、タニダンススタジオ1周年記念パーティーがANAクラウンプラザホテル京都で開催されました。
過去に何度もホテルのダンスパーティーに参加してきました。多くはダンスバイト、あるいはお手伝いとして。純粋にお客として参加したことはほとんどありません。新型コロナウィルス対策のため常時マスク着用、ダンスタイム無し、換気のための休憩を挟む、など多くの制限がありました。ダンスパーティーに参加して踊ることなく帰ったのは初めてのこと。
このような厳しい環境の下、谷祐二・さとみ先生の二人はパーティーを成功させたのでした。その姿に感動しました。
10代の終わりに大学で社交ダンスを始めた二人。学生競技ダンスの世界は最初から最後まで同世代の大学生選手に勝つために費やします。競技のためにダンスを始め、練習を重ねます。競技会に出てくるのは同世代のみ。せいぜい1~2歳くらいしか差がありません。4年間という過ぎてしまえば短い期間に同世代しか競う相手がいない環境で練習を続けて卒部します。
卒部後は会社員をしながら練習時間を確保して休日に競技会に出るというアマチュア選手へ。オープン戦であれば年齢制限はなく年下とも年上とも同じフロアーで競技。学生と違って出る大会は自分たちで選び、いつまで競技を続けるかも自分たち次第。大学が終わっても踊ることをやめなかった二人でした。
プロとなり競技選手と指導者、デモンストレーターといった役割が増えます。学生、アマチュアのときは競技会で好成績を残すことが全てと言ってよかったでしょうが、プロになるとやることも責任も桁外れに増えるもの。たくさんのプロに転向した選手の話を聞くと本当に忙しい。
そして2年前に二人は自分たちのスタジオを持ちます。私も開業して院を運営している立場ですので、その大変さとやりがいが少しは分かると思います。自らすべてを手掛けて作り上げる。色々な苦労が増えることは想像に難くありません。
昨年11月。二人は西部の大会で現役競技生活にピリオドをうち、競技から引退します。新型コロナウィルスの影響でやっと再開した競技会。今年2月には日本武道館で行われた大会で引退デモンストレーションを行いました。この状況ですから部外者がちょっと見に行こうということなどできません。後になってああ引退したのだなと知りました。
大学で競技のために始めたダンス。競技生活引退。私より若いしまだまだできるのに、と一抹の寂しさもありますが、私と同世代のプロ選手も引退が始まっている現状をみるとそうとも言えません。せめて新型コロナウィルスの影響がない、満員のお客さんの前で最後の競技会やデモンストレーションができたらよかったのになと思いました。
タニダンススタジオ1周年記念パーティー当日。二条城の前にあるホテルに入り会場に着くと久しぶりに見る華やかな空間がありました。
たくさんの飾られた記念の花。ダンス衣装の移動販売。ドレスに着飾った人々。広い会場にシャンデリア。
新型コロナウィルスの前ではよく見た光景ですが、今だと非日常の異次元空間に感じました。会場にはプロと思われる司会、写真撮影・動画撮影の複数のカメラマン、ホテルのスタッフ。照明、音響、内装、仕事柄お金が掛かっているなとしみじみと観察してしまいます。
谷祐二・さとみ先生の二人は主催者としてドアオープンからお客さんに挨拶をしています。
ダンスタイムが無いのでずっと着席してデモンストレーションを見ます。関西の先生はほとんど知らないので初めて見る人ばかり。プロの先生と生徒さんの、あるいは生徒同士のデモンストレーション。リーダーの谷祐二先生はたくさんの生徒さんとデモンストレーションをしていきます。相手を変え、衣装を変え、曲を変え、振り付けを変え。プロとしては至極当たり前のことですが全部振り付けを自分で考えて覚えて人前で踊り切る。改めて凄いことだなと。アマチュアまではきちんと取り組んでこなかったであろうスタンダード(モダン)種目も。パートナーのさとみ先生も生徒さんと踊っています。ずっと競技会のダンスしか見たことが無かったのでその姿は新鮮でした。
出ずっぱりの谷祐二先生の代わりにデモンストレーションを終えた生徒さんに記念品を手渡し、他のプロの先生に声を掛け、ホテルスタッフに指示を出すさとみ先生。ダンス以外の衣装も変えて。人前で座ることなく気遣いを欠かさない姿は競技だけでない“プロ”のそれでした。
デモンストレーターの合間に谷祐二先生は挨拶をし、イベントの司会をします。アマチュアデモンストレーションであれだけ動き回って、それ以外はタキシードに着替えて。景品を集めるためにスポンサーをお願いし、協力企業・団体の告知もする。わざわざパネルを自作して。
プロデモンストレーションに入ると集まった先生方の本領発揮です。コロナ対策のため声援も出せず、決まった座席に着席して移動しない状況での観戦。以前よりも難しい状況でのデモンストレーションだと思います。ただプロデモンストレーションではマスクを外すので(フォーメーションは除く)生き生きとした表情がみてとれます。今やマスクをするのが当然となった世界で口元が見えるダンスがどれだけ尊いのか、それを生で観ることができることが貴重かを痛感しました。関西の先生ばかりでほぼ知らなかったのですが素晴らしいダンスを見ることができました。
なお二人の師匠である山本喜洋・英美組のダンスは圧巻でした。本当に世界と渡り合った数少ない日本人ラテンダンサー。身体能力がより影響するラテン部門で世界戦の上位に行くのは本当に至難の業。特に英美先生の体幹の強さ、下半身の筋力、バランスコントロール、などフィジカル面は異次元で、身体を診る職業である私には常識を超えたものでした。競技引退から何年経っているの?という衰えない肉体。恐るべし。
プロデモンストレーションでも谷祐二・さとみ組はたくさん出ます。特に谷祐二先生は男性フォーメーションもあるのでこのパートでも頻繁にフロアーに立ちます。ソロダンスもあるのに大変なことだと他人事ながら。衣装も振り付けももちろん変えて。照明演出も凝っています。
そして谷祐二・さとみ組によるソロデモンストレーション。主催者として自身の名前を冠したスタジオのパーティーで踊ります。何といってもダンサー。ダンスこそが一番の表現であります。白いドレスとルンバというもっともリズムがゆったりとした曲を選んだことに成熟を感じました。学生時代の二人ならばきっとサンバかチャチャチャを選んだことでしょう。シンプルな白という色も何か達観したものをみてとれました。
帰りの新幹線があるので足早に会場をあとにしたのでほとんど会話はできませんでした。一方的に二人をみただけですが、人の成長を感じました。
あれだけのパーティーを主催するのです。事前準備は膨大なものだったはず。更にコロナ感染対策も加わっています。プロデューサーとしての業務が大変だったはず。プロの先生への依頼、パーティーの構成、演出。外注した仕事の整理。大規模な結婚披露宴を開催しているようなもの。それだけでも一大事です。
更に演者として生徒さんと踊り、プロダンサーとして踊る。それが本職といっても複数の生徒さんと踊ることや他のプロと息を合わせてフォーメーションで踊るのも複数のリハーサルが必要なわけで簡単ではないはず。自分たちのダンスに専念しておけばいいわけではありません。
それらをこなしながらの気遣いです。ホスト役としての立ち振る舞いが素晴らしく、誰よりも動いて声を掛けて。たくさんの役割を二人でやり切る姿は感心するしかありませんでした。なんせ大学1年生でワルツのステップも知らない時代を知っているので。
これまでの積み重ねてきた結果があの参加者に表れていると思いました。数多くのプロの先生。そして生徒さん。座った席が谷先生のグループレッスンの生徒さんの卓でした。これだけの生徒さんが慕っている。人徳が無ければプロの先生も手伝いに来ることはないでしょう。元々も二人の出身地でも住んでいた土地でもない京都で築き上げた人脈なのだと思います。良い師、良い仲間、良い生徒さんに恵まれたのだと分かりました。
別の見方をすると、あれだけの規模のパーティーをすることでホテル側もカメラマンも花屋もダンスショップもプロの先生も、その他関係する多くの人々への経済効果があったことも大切です。谷組の師である山本喜洋先生のスピーチにありましたが本当に社交ダンス業界は新型コロナウィルスで大打撃を受けています。私の業界の比ではないでしょう。あれだけのお金が動くイベントをやり遂げたことは社会的価値があるのです。新型コロナウィルスが来る前の環境で1周年記念パーティーに参加していたらここまで感じることは無かったことでしょう。
京都まで行ってタニダンススタジオ1周年記念パーティーに参加しました。そこで世代の違う後輩のダンサーとしてだけでなく人間的な成長をみることができました。
谷祐二・さとみ先生おめでとうございます。そして大学から始まった競技ダンス生活、お疲れ様でした。
甲野 功
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