開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
新宿区は工事をすると遺跡が出てきます。特にうちの近所は建物の建て替えで基礎工事のため地面を掘ると縄文時代や弥生時代とされる遺跡が出てきます。
そのため大体工事が遅れます。発掘調査が入るからです。
私の母校である東京医療専門学校(新宿区四谷)も絶賛校舎の建て替え中なのですが、やはり工事現場から何かが出てきて発掘調査が入り工期が遅れたそうです。
私が小学生の頃、通っている小学校の目と鼻の先に大規模な施設を作るため広範囲を更地にしました。社会科授業の一環として更地になった工事現場で勝手に探していいよと言われたのです。何か出たら持ち帰っていいと言われて。そこでクラス中で何か出てこないか土をあさっていると小学生の目から見ても何か価値がありそうな皿のようなものが出てきました。他にも見つかったものは学校に持ち帰り教室に飾ることにしました。しかし後日外部の大人が全て押収していったのです。やっぱりあのとき見つけたものはお宝だったのでしょう。
こういう土地柄なので遺跡には自然と興味があります。
あじさい鍼灸マッサージ治療院がある新宿区市谷甲良町の町内には幕末で有名な新選組のもととなる試衛館がありました。甲良町とは甲良備前守のお屋敷があった場所でその屋敷の一角を間借りする形で近藤勇らが試衛館を開いていたのです。
また現在の院がある場所は文豪田山花袋が住んでいた場所でもあります。
究極の遺跡は古墳だと考えています。つまり王墓。
高貴な人物の墓は大きくするというのは古代から世界の共通です。秦の始皇帝しかりエジプトの三大ピラミッドしかり。三大ピラミッドに関しては本当に王墓であったのか疑問視していますが。
日本では何といっても仁徳天皇陵です。正確には大山古墳(大仙陵古墳)で伝仁徳天皇陵でしょうか。世界最大の古墳です。発掘調査が認められていないので本当に仁徳天皇のお墓なのかは分からないので今は大山古墳と呼ぶのが正確なのだそうです。数年前に和歌山県寄りの大阪に行ったときに近くまでいく機会があったのですが行きませんでした(そもそも入れない)。
古墳というと社会の教科書に出てくる内容で当時仁徳天皇陵と言われた堀に囲まれた鍵穴の前方後円墳のイメージ。遠い世界の出来事でした。大人になり新婚旅行でエジプトの大ピラミッドの中に入り、そのスケールに感動して遺跡の凄さに魅了されました。日本だと古墳にあたるのだなと。
遠い世界の日常とは関係のない存在であったはずの古墳。本当に偶然、身近にあることを知ります。それが上野恩賜公園の摺鉢山古墳でした。
上野に古墳?40歳を過ぎるまで知りませんでした。ずっと東京育ちで数え切れないくらい訪れている上野に古墳がある。そんな馬鹿なという気持ちでした。
たまたま紅葉の上野公園を散策していてこの階段を上ったら何があるのだろうとのぼった先に案内板が。そこには摺鉢山古墳の文字が。
この丘みたいなのは古墳!!。
本当に驚きました。小学校に上がる前から来ていた上野公園に古墳があったとは。なお博学な父親にこのことを話すと知らなかったので本当に知る人ぞ知る存在なのでしょう。
古墳というと凄く憧れがあるのになぜこれだけ知られていないのでしょうか。ネットで調べてみました。
『
東京都区部中心部、武蔵野台地突端部の上野台地に築造された古墳である。「摺鉢山」の名称は、墳丘の形状がすり鉢を伏せたように見えることによる。かつては墳丘上に五条天神(文明19年(1487年)には鎮座)・清水観音堂(寛永8年(1631年)建立、元禄年間(1688-1703年)移転)が所在し、墳丘は破壊を受けている。これまでに発掘調査は実施されていない。
』
この文章を読むと重要視されていなかったようです。古墳の上に神社やお寺(観音堂)を建てていたくらいですので。しかも“発掘調査は実施されていない”とあるではないですか。
そして
『
墳形は前方後円形で、前方部を西方に向ける。墳丘表面で葺石は認められていないが、埴輪片が採集されている。主体部の埋葬施設など詳細は明らかでない。
なお、かつては本古墳を中心として円墳群(桜雲台古墳・蛇塚古墳・表慶館古墳など)が分布したが、現在までにいずれも消滅している。
』
と続いています。つまり古墳群があったようであるが消滅して摺鉢山古墳が残っている。それも埴輪片が見つかったくらいで詳細は不明であると。
台東区のホームページによれば
『
上野公園内に比較的よく保存されています。現存の全長約70メートル、後円部の直径約40メートルで西に前方部を向けた前方後円墳です。埴輪の破片や須恵器すえきが出土したこともあり、約1500年前に築かれたものと推測されます。古墳時代にはこの古墳を中心に、東京国立博物館構内にかけて古墳群を形成していましたが、現在ではこの古墳が唯一残っているものです。
』
とあります。
傍から見ると小高い丘にしか見えません。しかしこの丘を人間の力によって作ったと知ると凄いなと思います。前方後円墳ですから自然の地形を活かしたとしてもそれなりに盛り土をしたでしょうから。その場所に立って、ここが古墳かと考えたら何か神聖な場所のような気がしました。かつての王墓があったからそこに神社やお寺を建てることになったのかもしれません。
上野公園に行ったら地味にありますので階段を上ってみてください。驚くほど何もなく案内板がなければ、まず気付きません。特にアピールもされていません。それでも比較的よく保存されている都心部の古墳を体験できます。
これだけ身近に古墳があったとは驚きでした。そして調べてみると実は既に行ったことがある場所だったというところがちらほら出てきました。少し近所の古墳研究をしてみようかと思います。
甲野 功
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