開院時間
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ここ立て続けに大学生の新規患者さんが来ました。”コロナ禍で大変な大学生”と思っていましたが結構前向きで、意外でした。人生の中で大学生という時期はとても重要で楽しくて大きな成長をするものだとしみじみと感じました。
日本では現役受験でストレートに大学に入ると18歳で大学となります。現在は大学進学の飛び級は基本的に無いので、早くとも18歳(19歳になる年度)にならないと大学生になりません。4年制大学で留年をしなければ22歳の春に卒業となります。浪人や留年をしたとして卒業がプラス2年あったとして概ね18~24歳の大学生が多いことでしょう。
この年齢で大学生活を送るということは人生に大きな影響を与えると考えています。
私は18歳で東京理科大学に入学し22歳で卒業しました。現役で合格し留年せずに卒業。浪人しなかったことはさておき、留年しなかったことは東京理科大学においては結構すごいことでした。本当に多くの学生が留年する。日本一留年する大学と噂されるくらい留年が多い大学でした。自分の周りにも留年した人は数多くいて、1年留年ならず2年、3年もありました。部活の先輩と一緒に卒業どころか先に卒業しましたということも。そしてⅡ部(夜間部)があったので部活内で年上の同級生や後輩も珍しくありませんでした。高校生までは同学年同級生は全て同い年しかいませんでした。留年する人がほぼいない学校でしたし。東京理科大学に入って所属する組織(クラス、部活)で年齢差がある環境を経験しました。東京理科大学という年齢層では多様性のある大学を経験してなお、だからこそ、大学生の時期は人生で大きな大切でした。
高校生では年齢が低すぎる。
身体は成長しても社会的にできることは制限されます。今は18歳で成人ですが私の頃は20歳が成人。未成年で高校生ということで大学生ほど自由にはできませんでした。高校に行って全員で同じ授業を受ける。私は制服のある学校だったので全員が同じ服装をしています。アルバイト禁止、髪型を厳しくチェックされる、といった比較的校則が厳しい方の学校でしたが、個人的に何も息苦しいとは思わなかったです。服装を悩む必要がないしアルバイトもしたくなかった。髪を染めたい、ロン毛にしたいという欲求も無かった。その分自由に使えるお金は大きくなったですが。
社会人では遅すぎる。
大学を卒業して一般企業に就職した22歳。社会人としては若くて新人と言われる年齢ですが、社会に出た、企業勤めをしている、という状況の変化が実年齢以上に”若い”という自覚を奪いました。給料があり自由に使えるお金が大幅に増えましたが使う気になれない。週末も月曜から会社だと思うと楽しむ気持ちより憂鬱な気持ちが勝る。体が若くて充実しているはずなのに全力で何かに取り組むことができなくなっていました。
大学生はちょうどよい。
大学生になると授業を自ら選びます。朝礼も学級会もなく。自ら他人に接触しようとしないと同級生の名前も分かりません。授業に出たくなければ出なくても何も言われず。バイトに励めばそれなりのお金が得られる。親があれこれ言わなくなり、管理もしなくなります(できなくなります)。
勉強したければ際限なく勉強できます。今はどうか知りませんが、聞きたい講義があれば潜り込むことができますし所得単位数の上限はありませんでした。大学1年生の時は多数の授業を受けて単位を取りまくり1年間で70単位取りました。大学卒業までの必要単位数が128単位で。(※現在の東京理科大学では年間取得単価数の上限があるようです)。
反対にさぼろうとすれば相当手を抜けました。2年生になると少々燃え尽きてしまい、多くの授業を切り捨て試験を受けず、取得単位数は24単位に激減します。東京理科大学が関門制度という特殊な制度があり、進級するためには絶対必要な科目があります。その関門科目はしっかり押さえて他は諦めるという気持ちになりました。座学では人生で初めてもう授業についていけないから来年も履修しようと思った教科が出てきました。必修科目なので卒業するには単位が必要なのですが2年生では無理だと判断し3年生でも同じ授業を通年で受けました。
勉強も駆け引きや戦略が必要だと学びました。過去問(過去に行われた定期試験の問題)を持っている人、代返(授業に出ない生徒の代わりに出席用紙を提出すること。今はICカード式になっているよう。)する人、ノートを取っている人など色々です。私は同じ学科の先輩が部活にいなかったので過去問情報は乏しかったです。そのかわりノートはしっかりと取る人間だったので、ノートをコピーさせる代わりに過去問を手に入れていました。なおクラスメイトとの交流が無かったので間に顔の広い人を通して行っていました。2年生に進級する時点でクラスの4分の1くらい留年しているのでクラスメイトの顔ぶれも変わるという事情もあり。
アルバイトを経験したのも大学生の時が初めてでした。
飯田橋の料亭でバイトをして接待の実態や酔っ払いを目の当たりしました。今でも酒が飲めないこともあり、酒の席での接客業は絶対にできないなと痛感しました。その次は対人関係が希薄な工事現場の交通誘導警備員のバイトをしました。1年生の春休み期間で自分の燕尾服を消費税が上がる前に買おうと。
※大学の部活で衣装として燕尾服一式が春までに必要でありその4月に消費税が3%から5%に上がる時期でした。人生で一番高額な服は今でも大学2年生になったばかりで買った燕尾服です。
無茶をできたのも大学生の頃だけでした。
ひたすら練習して部室でビデオを見て研究していました。今思い返すと本当にダンスの事、部活の事ばかり考えていました。どれだけ暴飲暴食をしても体重は減る一方で大学二年生の頃は一緒に暮らす姉に栄養失調ではないかと疑われました。実家暮らしで一緒に暮らしている姉に。
部活ばかりと言いながらも勉強もしていました。日本一卒業が難しいとか日本一課題が多いとか言われる東京理科大学。本当に勉強しないと単位が取れません。大学受験以上に定期試験で勉強しなければならず、冗談抜きで1日13時間勉強することもありました。あれだけ机の前に向かっていたのは後にも先にもなく、今やったら確実に心身を壊すことでしょう。
何をするにもいい塩梅だった。
高校生のときより遥かにお金が自由に使えて個人の裁量で物事を決められました。高校は3年間で一日しか休んだことがありませんしたが、大学は結構休みました。特に4年生になり研究室だけになった時は前半全然研究室に行かなくて教授に思いっきり叱られました。就職活動は親や学校に頼ることは一切せずに自ら探した企業に訪問して社会勉強としました。アルバイトもダンスバイトという特殊技能を活かした割の良いものに出会い、短時間でいいお値段をいただけました。社会人になる前の自己管理を学ぶよい時期でした。あの頃は良かったというのは普通のことですが、その自覚が当時からありました。大学生だからこういうことができているのだ、という。高校生までだったら絶対にできないし社会人になったらこううまくはいかないと。今だから楽しめるのだと理解していたし、言い聞かせていました。
もちろん大学生時代に嫌なこともありました。
大学という子供でもなく大人でもない時期特有の問題。人間関係は大変でしたし、人間の本性が随分垣間見えたものでした。人間関係で一番苦しんだのは大学卒業後の企業勤め時代ですが、それは企業という組織・環境の影響が大きかったです。社会的責任をほぼ負わない大学生の頃の方が人間関係はシビアでした。人間の心理、感情、追い詰められたときに出す姿、といったものをたくさん知り、その経験は今でもなお非常に役立っています。
社会人になると途端に体が弱くなった。
大学時代毎日運動していてほとんど体調が悪くなることはありませんでした。ケガというケガもほぼ経験せず。それが会社勤めになってから頻繁に風邪をひくようになります。連休になると体調を崩す。年末年始に寝込む。朝起きたくない。夜寝るときが一番幸せ。病気なれば会社に行かなくていいのにと考えるようになる。こうなるとうつ病だったのだろうなと今では思います。当時はうつ病というものが今ほど知られていませんでした。勉強した今の私が当時の自分を診断するなら少なくとも心身症は出ていたでしょう。最終的に麻疹に罹り約2週間寝込むことになります(9日間の入院を含む)。この経験が脱サラを決意させるのでした。
もしもの話になりますが、大学時代の良かった生き生きとした体験がなかったら麻疹に罹った後会社を辞めて引きこもっていたかもしれません。人生に良いことなど何もないと悲観して。社会人になり相対的に輝いていた大学時代の記憶が、こんなんじゃ終われない!もう一度あの充実した時期を取り戻すぞ!という気持ちを生み出したと振り返ります。あの大学時代がなかったら25歳から専門学校を4つも卒業して医療系国家資格を4つに専門学校教員免許取得などしなかったでしょうし、できなかったでしょう。大学の部活で培った体力と体を動かす経験、東京理科大学という厳しい環境を乗り越えた勉強量、それらがなければ。もし仮に高校卒業してすぐに鍼灸マッサージ専門学校に入学していたとしても今のところにはいないとだろうし、職を変えている気がします。
自分が大学を卒業した頃に生まれた大学生の患者さんと接して色々なことを想い出しました。そして考えさせられました。コロナで大変だね、とこちらが考えていてもそれしか知らず前を向いている大学生には自分が想像しているほど悲観していないというか気にしていないというか。だから愚痴るのではなくそれでもできることをする。そういう態度が見受けられました。
大学生っていいな。
改めて思いました。
甲野 功
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