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12月11日に鍼灸マッサージ専門学校学生向けの無料公開セミナーを開催しました。先月から続いて月の半ばに開催。今回のテーマは「エビデンスとは」です。
実はこのテーマは昨年2月末に開催予定でした。昨年2月というと中国で始まった新型コロナが日本でも広がりはじめた頃。開催する直前に東京の公立小中学校が休校措置を取ることが決定し急遽中止にしたものでした。それから1年10ヵ月経過しての実現でした。
エビデンス。よく耳にする言葉ではないでしょうか。
医療現場ではエビデンスに基づいた医療、すなわちEBM(Evidence-based Medicine:根拠に基づいた医療)というものがあります。私が専門学校生だった15年くらい前、鍼灸もエビデンスに基づいたものでなければならないと学校の先生が話していました。そして鍼灸師になり臨床現場で患者さんに鍼灸術を行うようになります。学校で習った知識に実際の経験が加味されて徐々に自らのスタイルが確立され検証が進みました。正直なところ経験則の依存が強いと思いました。柔道整復師専門学校に通っていたこともあり、解剖学・生理学・病理学などの現代医療の知識はより身についていきました。知識と実践が組み合わさっていました。成長を実感できましたし実績も残してきたと自覚していました。
鍼灸免許を取得して5年。鍼灸マッサージ教員養成科に進学します。そこでより高度な鍼灸に関する技術や知識を学びます。2年生からは実験研究に取り組むことになり、1からどころか0から研究を開始し研究計画を構築、実験、データ解析、論文作成、発表まで行いました。その過程で技術一辺倒(というよりそれ以外を学ぶ機会がほぼなかった)から研究するということが少し分かりました。ここでエビデンスというものを肌で触れるのでした。
教員養成科卒業から6年。エビデンス、エビデンスとよく耳にするになり、鍼灸はエビデンスが無いという意見も目につくようになりました。それはあたかも科学的ではないという意味に等しいと感じました。
私は東京理科大学で物理学を学びました(理学部応用物理学科を卒業)。高校の理科系クラスでしたし「科学」というものに対して平均よりは深く向き合ってきたと思っています。
エビデンスと語る声には本当にエビデンスというものを分かっているのか?という疑問を感じるものがありました。医師や学者のいうエビデンスと、何となくカタカナ外来語として使用しているものは違うのではないかと。それは非科学的だよ、という人ほど非科学的であると私は考えています(否定するならば科学的にそうでないと証明するのが科学。根拠なしに常識にそぐわないからと否定するだけでは科学的とは呼びません)。エビデンスという言葉を振りかざしている裏に同じようなことがないかと思っていました。
学生さんにエビデンスとは何なのか。我々の世界ではほぼ「医学的根拠」にあたるそれは何を示すものなのか伝えたいと考えていました。ひいては私自身曖昧にしていた“エビデンスとは何か”というテーマに取り組むきっかけにしようとしました。
本音を言えばエビデンスをテーマにするのは嫌でした。統計学が関わるからです。私は統計学が苦手です。高校生の通知表で3年間数学は5以外とったことはありませんでした(もちろん5段階評価です)。それくらい数学は得意科目ですが確率・統計の分野は苦手です。大学受験のセンター試験(当時)、数学の試験でつい問題が簡単そうだからと確率・統計をその場で選択して予想以上に点数が取れなかった苦い思い出があります。そのせいかどうかは不明ですがセンター試験の点数で合否が出る東京理科大学のA方式試験で不合格になっています。応用物理学科には本試験で挑むB方式で合格したのでした。鍼灸マッサージ教員養成科でも統計学を学んだのですが中央値、標準偏差、正規分布、検定などとても苦戦しました。研究は終わらせましたが結局必要なことだけ使ってよく理解しないまま教員養成科を卒業したのです。
エビデンスとは何なのか。そこに向き合うのは面倒なこと。だからこそ学生向けセミナー開催という決定事項を作って取り組まなければならない状況にしました。そのために統計学と医療統計の本を買って勉強しました。その準備をしている最中に、新型コロナ感染拡大のため中止の決断をしたのでした。
その時から頭の片隅に引っかかっていました。緊急事態宣言が解除されてももう一度取り組もうという気持ちになれず、つまりは面倒くさいからという理由で、そのままにしていました。この間、実技セミナーや別の内容での座学セミナー、はたまた専門学校で単発授業をしたのですが、再び「エビデンスとは」というテーマに向き合う頑張りが出ませんでした。理科系大学卒業、教員養成科卒業という肩書はありますが研究職に就いてことも大学院を出たわけではない(修士や博士を取っていない)ことが安易に手を出してはいけないような、気後れを生みます。それでも一度やると発表した以上いつかはやらないといけないと心の奥底には気持ちが残っていました。
先月開催した「臨床に向けた勉強方法」というセミナー。都合がつかず参加できなかったが受けたかったという方から、次は行きます、という言葉に後押しされてやる決意をしました。
準備に入ると想像以上に大変でした。統計学は事前に勉強していたのですが“エビデンスそのもの”の知識が浅かったことを知ります。昨年のうちに母校教員養成科科長(当時)からエビデンスに関する資料を頂いて階層があることは分かっていたのですが、きちんと調べてみるとかなり厄介でした。エビデンスと一言で済ませていますが、それには階層(レベル)があり、“専門家の意見”も最下層ながらエビデンスに入るものでした。実験研究したものがエビデンスになると思っていたのでこれは甘かったと。階層分けに関しても資料や文献によって若干表現が違いました。各階層の用語を調べて内容を理解し、どのような意図で決めているのかを掴むのに手間がかかりました。
苦しんだ分だけ大きな学びがありました。今まで何となく理解していた研究デザイン(研究方法のやり方)の違いが明確になりました。統計処理(データを採取して統計学で計算すること)が必要あるもの、ないもの。実験対象(標本)の抽出方法(マッチング)、偏り(バイアス)の種類といったこと。鍼灸マッサージ専門学校時代に衛生学で習って試験対策用に用語を覚えたが意味は深く考えなかった前向き研究と後ろ向き研究。実はモヤモヤしたいたことがかなりはっきりと整理されました。これまで習ったこと、現実の事件に関するニュースを読んで感じていた疑問、自ら行った実験のこと、これらが繋がった気がしました。
学生さんに教える以上しっかりと理解しておかないといけません。妥協なく調べていって多くの学びが本当にありました。
エビデンスに関連して、ミスリードさせるニュースや番組、記事・事件についても紹介しようと考えていました。むしろこれは必ずやっておきたいと。論文として発表されているから、相関が認められたから、定説になっているから。それらが全て真実だとは限らないということ。そのことを学生さんに話しておきたい、話さないといけないと心に決めていました。
世の中には“絶対”ということが非常に少ないのです。理科系の人間は安易に絶対そう、必ずなる、という表現はしません。曖昧さが極めて少ない数学ですら絶対とは言えないことがままあるのです。人間を扱う医療であればなおさらです。エビデンスという言葉を使ってあたからも絶対こうである、真理である、と思わせるように仕向けること(ミスリードさせること)が世の中にあること。その実例を紹介しておきたかったのです。
そうなると昨年調べた統計学まで詳しく話すと資料が膨大になります。既に相当な量でした。調べたのですがやむなく統計学は基礎的な単語の紹介だけにして数学的な話や検定のことは省略しました。それは今も心残りです。
そして最後の方にEBMに対になるような考えとしてNBM(Narrative-based Medicine:物語に基づいた医療)というものを紹介しました。
当日セミナーに参加した学生さんは4名。3年生、2年生、1年生、進学希望者という見事に学年がバラバラ。バックボーンも年齢も異なっています。私が面白いとそして頼もしいと感じたことは学生同士の活発な議論でした。自分でいうのもあれですがかなり多くの事を話しました。どこに注目し心に響いたかは人それぞれ。研究方法について、社会的なことについて、NBMについて、論理的思考について、色々でした。卒業後の展望から政治的なことまで。大いに議論を深めていました。
講義は私がずっと話していたので学生さん達の話を聞くようにしていました。受け身に終わらず自らの意見や各々学んできた知識を話す様子を眺める感じ。皆さんこの日初めて会う組み合わせばかりだったのに活発な態度。違った意味で開催して良かったと思いました。
自ら学ぶ機会を強制的に作るために始めた学生向け公開セミナー。特に今回はやや避けてきたジャンルだったので得たものが大きかったです。加えて学生さん達の交流が見られて嬉しかったです。私自身のためにこの取り組みを継続していきます。
甲野 功
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