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~常憲院霊廟勅額門~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 常憲院霊廟勅額門
常憲院霊廟勅額門

 

 

最近、東京都台東区上野の歴史的建造物を紹介するテレビ番組を目にするような気がしています。『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』という番組の正月スペシャルで上野東照宮が紹介されていました。通常、非公開の扉の向こうを紹介していました。更に上野大仏も。私もつい最近上野界隈の歴史的建造物に興味が出てきたので目につくようになっているだけかもしれません。とにかく上野がマイブームであります。

 

上野と言えば東叡山寛永寺。上野恩賜公園は元々寛永寺の境内だったわけです。その創建には徳川家と繋がりが深く、最後の将軍徳川慶喜まで続きます。幕末の戊辰戦争において薩長同盟を主とした討幕軍に対して徳川慶喜は寛永寺で謹慎し、勝海舟西郷隆盛の会談により江戸無血開城が成ったというのは有名な話です。

これまで寛永寺に関する建造物をいくつか紹介しましたが、今回は常憲院霊廟勅額門を紹介しようと思います。

 

常憲院霊廟勅額門(じょうけんいんれいびょうちょくがくもん)

非常に難しい言葉が並びます。言葉の意味は後で述べるとして、どこにあるか、どのようなものかを先に説明しましょう。

 

場所は上野恩賜公園の北のはずれ、寛永寺根本中堂の横にあります。東京藝術大学や東京国立博物館平成館を通り過ぎた先。東京国立博物館前の噴水や上野動物園、不忍池が中心と考えるとかなりはずれという印象があります。散々上野恩賜公園に行ってきましたがこの存在を知ったのはつい最近のことです。紅葉の季節は非常に絵になる美しい門です。写真撮影の被写体に素晴らしいです。

 

さて常憲院霊廟勅額門とはどのような意味があるのでしょうか。最後に門があるように門であることは確かです。まず前半の常憲院霊廟について。

 

常憲院霊廟 Wikipedia

 

こちらを参照します。

まず常憲院とは江戸幕府5代将軍である徳川綱吉の法名です。徳川綱吉と言えば鍼の神様といえる杉山和一検校を支援した人物。杉山和一検校とは盲目の鍼師、按摩師で杉山真伝流という流派を興し、世界初の視覚障害者就業支援施設を創った人物。管鍼法という日本の鍼における基本技術を考案したとされ、墨田区の杉山江島神社で祀られています。私のようなあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師にとっては特に縁を感じる将軍です。

常憲院は徳川綱吉のこと。それでは霊廟とは何でしょうか。

 

霊廟とは「みたまや」ともいい、祖霊を祀る施設のことです。つまり死者や祖先の霊を祀る場所。主に建物を指しますが、墳墓や神殿や寺院も霊廟と言われますし、仏壇や先祖をお参りする部屋なども広義では霊廟となるようです。

よって常憲院霊廟とは徳川綱吉の霊廟ということ。常憲院霊廟は寛永寺に造営されました。しかし東京大空襲により焼失しています。その中で勅額門は戦禍を逃れて今もその姿を残しているのです。

 

そして勅額とは何か。勅額とは皇帝・天皇などの為政者が国内の寺院に特に与える、直筆の書で記された寺社額のこと。勅命の勅が入っていますね。その勅額が掲げられた門が勅額門。つまり常憲院霊廟勅額門とは徳川綱吉の霊廟にある勅額門ということです。

この門をくぐることはできません。柵で近寄れないようになっています。重要文化財なので仕方ないこと。門の先にも建物がありました。近くには厳有院霊廟勅額門もあります。厳有院は徳川家綱を指します。

 

繰り返しになりますがその姿は荘厳で紅葉と相成って非常に美しいものでした。一般的にあまり知られていないように思います。少なくとも私は最近までその存在を知りませんでした。小学生の頃から社会科見学で上野に来ていましたが全く触れられることはありませんでした。歴史好きな私の父親も連れてくることがありませんでした。もっと知られてもおかしくない歴史的建造物だと思います。

 

非常に写真映えするので上野恩賜公園を散策する際にここまで足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

甲野 功

 

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