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~浅草寺本堂~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 浅草寺本堂
浅草寺本堂

 

 

先月、長女と浅草に行き浅草寺でお参りをしてきました。数多の観光名所がある東京ですが東京観光と言えばここ、と必ず上位にあがる浅草。その総本山とも言えるのが浅草寺ではないでしょうか。

浅草寺があるから浅草という土地が栄えてきたと言ってもいいのではないでしょうか。コロナ前のデータですが初詣の参拝者数ランキングでは明治神宮、成田山新勝寺、川崎大師平間寺に続く全国4位と言われています。東京都内で最も古いお寺とされるのが浅草寺です。

 

その浅草寺について書いていきます。浅草寺境内、その周辺にも多数の名所があるので複数回に分けていきます。まずは浅草寺本堂について。

 

本堂|聖観音宗 あさくさかんのん 浅草寺

 

その大きさに圧倒されます。データによると総面積が3,407.9m²(1,032.7坪)、建坪は1,368.8m²(414.8坪)といいます。これだとちょっと分かりづらいので別の表現方法で。間口が34.5m、奥行が32.7m、そして棟高が29.4mもあります。公営の体育館並でしょう。56本の柱で支え、屋根瓦は約72,000枚もあるのだとか。現在は鉄筋コンクリートで作られていますが、かつては木造でした。これだけの建物を建築するのも大変な事業です。昭和20年(1945年)東京大空襲で国宝に指定されていた旧本堂が焼失しました。それから現在の本堂が再建されたのが昭和33年(1958年)。13年の月日がかかりました。資金面も含めて大変だったのだと想像できます。

 

本堂が最初に造られたのは推古天皇の時代、西暦628年。聖徳太子が仕えた推古天皇です。神話から実際の歴史になったくらいでしょうか。大化の改新(乙巳の変)よりも前の事です。檜前浜成・竹成の兄弟が隅田川で観世音菩薩像を拾い、土師中知が私邸を寺としてこの像を奉安したのが浅草寺本堂の起源となります。その時代から歴史が途絶えていないことに驚きます。

浅草寺本堂はその後幾度も被災し、そのつど再建されてきました。記録によると20回近く再建を繰り返してきたとのこと。寛永12年(1635年)に徳川3代将軍徳川家光公によって再建したところ火事により7年で焼失してしまい、慶安2年(1649年)に再び家光公によって再建されました。家光公がすぐに再建することをみても当時の徳川幕府にとって重要なものであったことがうかがえます。そして慶安時代に再建された本堂が昭和20年まで約300年も残ったという事実に驚かされます。大正12年(1923)に起きた関東大震災でも倒壊しなかったのです。

 

戦後は現代建築で蘇りましたがその姿は荘厳という感じ。雷門の印象が強いですが本堂にも非常に大きな提灯が掛かっています。その直径は4.5m。迫力があります。

 

 

あじさい鍼灸マッサージ治療院 浅草寺本堂の大提灯
浅草寺本堂の大提灯

 

 

本堂内は内陣と外陣に分けられていて、賽銭箱の手前が外陣です。その正面の頭上には「施無畏(せむい)」と書かれた扁額が掛かっています。これは江戸時代の儒学者深見玄岱(1649~1722)の筆によるもの。そして天井には3つの大きな絵が描かれています。中央が川端龍子画伯の「龍之図」、左右が堂本印象画伯の「天人之図」と「散華之図」。約10mの高い天井に大きな絵があってスケールがあります。

 

 

あじさい鍼灸マッサージ治療院 浅草寺本堂の扁額と絵
浅草寺本堂の扁額と絵

 

 

靴を脱ぐと畳の内陣に入れます。ここは写真撮影禁止。本尊を法案する御宮殿があります。その左右には梵天と帝釈天の立像があり、本尊の脇侍として内陣の右奥に不動明王が左奥に愛染明王が祀られています。繰り返しますが拝殿に偶像を置くのはお寺。偶像を置かないのが神社です。神仏習合でお寺と神社が同一視された時代があり、明治になり神仏分離となります。浅草寺本堂の横には浅草神社があります。偶像を置く浅草寺本堂と置かない浅草神社拝殿。知らないと似たような建物が横に並んでいるように思うでしょうが違いが分かると面白いものです(建物の大きさにはっきりとした差がありますが)。

 

本堂は観音像を安置し守る為にあります。約1500年前に見つけた観音像を祀るためにこれだけの歴史と建物があるのです。ずっと人が参拝し、そのおかげで人が集まり地域が栄えてきました。現在東京都庁は新宿にありますがそれは東京都において文化の中心が東側(浅草、蔵前、両国をはじめとした台東区、墨田区など)で都政を新宿に置くことでベッドタウンだった西側(多摩市、八王子など)とバランスを取り東偏向になるのを防ぐためという話があります。それだけ浅草、ひいては浅草寺、つまり浅草寺本堂の観音像が強い影響力を持ってきたということかもしれません。地方からも観光客が浅草に押し寄せるわけです。

そして近年は日本国内のみならず海外からも多数の観光客がやってくるようになりました。今は新型コロナウィルスのため非常に少なくなってしまいましたが。また外国人観光客でごった返している浅草寺が戻ってくることを願っています。

 

甲野 功

 

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