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長女と浅草に行ったときのこと。長女が雷門よりも驚いていたのが五重塔でした。本当にあるのだと。アニメによく出てくる建物ですが現実に建っている実感が無かったようです。本当に屋根が5段になっている、と感想を述べていました。
五重塔は日本各地にあります。有名なところでは京都東寺の五重塔、奈良法隆寺の五重塔でしょう。他にも外国人観光客から火が付いた富士山と桜と五重塔を同時に見ることができる富士吉田市の新倉山浅間公園・忠霊塔、日光東照宮にある五重塔も知られています。東京といえばもちろん浅草寺の五重塔でしょう。浅草寺の五重塔について書いていきます。
最初に浅草寺に塔が建立されたのは天慶5年(942年)のこと。武蔵守、平公雅によると伝わります。当初は五重ではなく三重塔だったそうです。建立して約100年後の長久2年(1041年)に大震災よって倒壊し、時代が進んだ寛永12年(1635年)に再建されるも寛永19年(1642年)に焼失しました。この頃江戸時代寛永年間の浅草寺境内図には、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建っていたことが記されています。寛永19年の焼失後は慶安元年(1648年)に3代将軍徳川家光が五重塔を再建します。しかし三重塔は再建しませんでした。徳川家光は浅草寺本堂の再建にも携わり、寛永12年(1635年)と慶安2年(1649年)の二度に渡り本堂を再建しました。同時並行で五重塔の再建をしていたのでしょう。
この慶安時代の五重塔は本堂の東側に位置し、現在も礎石が残っています。この頃、上野寛永寺の五重塔、芝増上寺の五重塔、谷中天王寺の五重塔とともに江戸四塔として親しまれました。言わば東京五重塔四天王みたいな感じでしょうか。三大○○とか▲▲四天王とか五代●●というが私は好きなので面白いです。上野の五重塔は現在上野動物園内にありますし、江戸四塔の中ではやはり浅草寺五重塔が一番有名なのではないでしょうか。浅草寺ならず、雷門と並ぶ浅草のランドマークという印象です。
元禄5年(1692年)、享保4年(1719年)、明治19年(1886)と修復を繰り返し江戸時代から近代まで五重塔は続きます。そして明治44年(1911年)に国宝に指定されます。
しかし昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲。国宝浅草寺五重塔は炎上するのです。このとき浅草寺本堂も焼失しています。本堂同様に、関東大震災でも倒れなかった建築物は空襲によって無くなりました。再建されたのは戦後20年以上経過した昭和48年(1973年)でした。本堂が再建されたのが昭和33年ですからより時間を要します。再建された五重塔は本堂に向かって左側に位置しており、消失前は右側にありました。
戦後の再建により五重塔は近代的な鉄骨・鉄筋コンクリート造りに変わります。また塔院(回廊式の建物で2階建て)の上に建てる塔院造りになっています(塔院には霊牌殿があります)。そのため地面から五重塔が建っているのではなく建物(塔院)の上に五重塔があるという構造なのです。遠くからだと五段の屋根が見えますがそばによると確かに建物が下にあることが分かります。高さは地上53.3mですが塔のみだと48.3mになります。しかし京都東寺の五重塔(54.8m)に次ぐ二番目に高い五重塔になります。
浅草寺五重塔の最上層にはスリランカのイスルムニヤ寺院から来た仏舎利(釈迦の遺骨)を納められています。
そもそも五重塔は仏塔の形状の一つ。五層は下から地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)を意味し、それぞれが五大思想を示す仏教的な宇宙観を表しているといいます。そして仏塔は古代インドにおいて仏舎利を祀るために造られたストゥーパに起源をもっています。浅草寺の五重塔も仏教としての役割をしっかりと果たしているわけですね。
五重塔は画になる姿をしています。観たら必ず写真におさめておきたくなります。長女も一眼レフカメラで撮影していました。インドから中国、そして日本に伝わった建築物ですがとても日本らしさを感じてしまいます。
甲野 功
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