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~プロ野球選手折鍼事故~

サンスポWebより
サンスポWebより

 

 

年度末になる3月下旬に、プロ野球選手が鍼灸施術を受けた際に鍼が折れる事故があったと報道がありました。

 

サンスポWebより

ソフトバンク・松本裕樹が鍼治療中に針が折れて体内に リハビリ組合流で開幕ローテ白紙

 

ソフトバンクは23日、松本裕樹投手(25)が24日からリハビリ組に合流することを発表した。

 

球団の発表によると、松本が22日にプライベートで福岡市内の治療院で腰の鍼治療を受けたところ、治療中に鍼が折れて一部が体内に残ってしまった。患部を切開し埋没した鍼を除去しているという。抜糸は1週間後の予定で、24日からはリハビリ組に合流することになった。

 

松本は盛岡大付高出身の8年目右腕。今春のオープン戦は3試合に登板して1勝1敗、防御率6・75。初の開幕ローテ入りが内定し、3月29日からのロッテ3連戦(ZOZOマリン)での登板がみこまれていた。思わぬアクシデントで、藤本監督も代役を決めなければならない事態になった。

 

このニュースは当然鍼灸業界に大きな衝撃を与えました。数年前に同じくプロ野球関連で巨人軍の投手が鍼施術により長胸神経麻痺になったというニュースがありました。この時と同じように、一体どういうことが起きたのかと私は想像を膨らませました。

 

報道内容だけでは詳細が分かりません。刺鍼中(鍼を身体に刺しているときに)に鍼が折れことは確かなようです。そして折れた鍼が体内に残り、切開という外科的処置をした上で除去したということ。どのような鍼(直径、長さ、メーカーなどの製品のスペック)、腰のどこか(腰といっても範囲がありどの筋肉に向けて刺したのか)、どのような刺し方をしたのか(置鍼といって刺したまま手を加えず置いておく、鍼通電といって鍼に電気を流す、雀啄といって刺してから更に手で上下に動かす、など色々と方法があるのです)など「はり師」として気になる事が多々あります。

 

そして鍼が折れるというがどのように折れたのか?という最大の疑問。現在一般的に使用されている鍼はステンレス製でかなりしなやかです。曲がることはあってもそうそう折れるとは考えられませんでした。ただし鍼の本体(鍼体)と手で持つ部分(鍼柄)が外れることはあるのでそういう事なのかとも思いました。片手挿管という基本技術がはり師にはあるのですがその練習のために鍼柄を外すために折った経験があります。その時のことを思い出すと鍼柄ギリギリまで深く鍼を刺して抜けなくなり強引に抜こうとして鍼柄だけ取れてしまったのかと想像しました。

 

何にせよ状況が分からないことを憶測しても意味が無いことですから(むしろ悪影響)、報告が出るまでずっと待っていました。同業者の話から業界団体が聞き取り調査をするという情報も得ていましたので。

 

そして先ごろ正式に『鍼灸医療安全性連絡協議会』から「折鍼に対する注意喚起と予防策に関する共同声明」が発表されました。ホームページに出したのは全日本鍼灸学会です。以下に全文を紹介します。

 

公益社団法人全日本鍼灸学会

折鍼に対する注意喚起と予防策に関する共同声明

 

 

声明文
声明文

 

 

令和4年4月27日

関係各位

 

鍼灸医療安全性連絡協議会

 

折鍼に対する注意喚起と予防策に関する共同声明

−プロ野球選手の折鍼事故を契機に−

 

鍼灸医療安全性連絡協議会は、(公社) 日本鍼灸師会、(公社) 全日本鍼灸マッサージ師会、日本理療科教員連盟、(公社) 東洋療法学校協会、(公社) 全日本鍼灸学会の5団体からなる組織であり、鍼灸の安全性に関する協議事項が発生した場合に召集されます。

 

このたび,令和4年3月22日に発生したプロ野球選手の折鍼事故を受けて,(公社)福岡県鍼灸マッサージ師会から(公社)全日本鍼灸学会臨床情報部安全性委員会に本協議会を召集するよう依頼があり事故の経緯について情報を共有するとともに今後の予防策について検討しましたので、ここに共同声明という形で発表いたします。

 

1.プロ野球選手の折鍼事故の経緯

 

3月22日,某プロ野球選手(投手)へ行った鍼施術により折鍼が生じた.施術の詳細は以下である。

患者を前屈座位にして8本のステンレス製単回使用毫鍼[注1]48mm・20号鍼(寸6・3番)を腰部(棘間右外側)に20mm程度刺入し、その状態で症状(痛み)が再現される体幹動作を行わせたところ、置鍼中の鍼1本が抜鍼困難となった.そこで,迎え鍼[注2]、温熱刺激(遠赤外線照射),電気刺激(表面電極)を行い局所の筋緊張の緩和を試みたが解消されなかった.患者(当該選手)を座位から腹臥位にした後,鍼を真っすぐに引き抜こうとしたところ、先端から約1cmで鍼体が破断し伏鍼[注3]となった。患者に伏鍼が生じたことを伝え、一緒に医療機関を受診した。CT検査により伏鍼が確認され、医師により、腰部を約1cm切開、皮下約1cmの深さにあった鍼体の断端が摘出された。摘出された鍼は、衛生(感染防止)の観点から医師の判断により廃棄され、施術者が持ち帰ることはできなかった。患者は入院することなく帰宅した。患者はリハビリを経て、2週間ほどで現場に復帰した。

 

注1:毫鍼(ごうしん 身体に刺入するための鍼)

注2:迎え鍼(周囲に新たな鍼を刺入して筋肉を弛緩させる手技)

注3:伏鍼(体内に鍼の一部が残存した状態)

 

2.抜鍼困難および折鍼の予防とその後の対応

 

1)抜鍼困難の予防とその後の対応

 

多くの場合、抜鍼困難(渋鍼)は、刺入時および置鍼中の鍼が折れ曲がることによって生じる。したがって、これを予防するためには、①患者に対して、施術中(とくに置鍼中)は体動を控えるよう事前に指示しておく。一方、②施術者は、筋層内に鍼がある状態では、強い筋収縮を誘発するような手技や四肢・体幹の関節運動を行わせる手技は控える。

 

抜鍼困難となった場合には、①患者の安静を保持し、力を抜きリラックスするように指示し、筋が十分に弛緩するまで待つ。②筋の弛緩が得られ抜鍼を試みる場合は、体位変換などは行わずそのままの姿勢で行う。また、鍼が捻じ切れないよう回旋を加える手技(旋撚など)は行わず、少しずつ真っすぐに引き抜く。③筋の弛緩が得られず、依然として抜鍼が困難な場合には、折鍼の可能性があることから、無理に抜鍼することはせず、患者に事情を説明し医療機関での処置を提案する。④医療機関の受診にあたっては、当該施術者は患者と同行し、医師へ経緯を説明するなどその処置に協力する。⑤処置後は,速やかに加入する賠償責任保険会社に事故の報告を行う。

 

2)折鍼の予防とその後の対応

 

折鍼を未然に防ぐためには、ステンレス製の単回使用毫鍼を使用することが推奨される。しかしながら、過去にはステンレス製の単回使用毫鍼であっても折鍼が発生した事例が報告されていることから、過信は禁物である。鍼の使用にあたっては、添付文書にある使用方法ならびに使用上の注意をよく読みこれに従う。粗暴な手技やメーカーが想定していない鍼の使用は厳に慎むべきである。

 

折鍼が生じた場合、①鍼の一部が体表から出ていれば、ピンセットや鉗子など鍼をしっかりと把持できる道具で抜去を試みる。一方、②鍼が完全に体内に没入してしまった場合(伏鍼)や抜去が困難な場合には、後に伏鍼した位置が特定できるよう、その部位に印を油性ペン等で付けておく。その後は、③患者に伏鍼が発生した旨を伝え謝罪すると共に、医療機関を受診するよう依頼する。④受診にあたっては、当該施術者は患者に同行し、医師の処置に全面的に協力する。⑤鍼の摘出の適否については、医師の判断に委ねるが、鍼が摘出できた場合は、訴訟に発展することも考慮し、破断した鍼の断片全てを回収し保管しておく。⑥処置後は、速やかに加入する保険会社に事故の報告を行う。⑦当該鍼のロット番号を控えると共に、同じロット番号の鍼が残っていれば、使用せずに保管しておく。

 

3)リスクマネジメント

 

抜鍼困難および折鍼の対応のみならず、鍼灸のリスクマネジメントでは以下の点に注意する。

 

1.施術にあたっては、必ず賠償責任保険に加入しておくこと。

2.有害事象を誘発しやすい手技は極力避けること。

3.危機管理対策マニュアルを作成し、事故が発生した場合の具体的な対応を事前にシミュレーションしておく。

例. 施術所内での処置、受診する医療機関の選定など

4.平素からインフォームド・コンセントやコミュニケーションを十分に取るなど,患者とより良好な信頼関係を築いておくこと。

5.事故が発生してしまった場合は、事故が解決あるいは患者が回復するまで真摯にかつ誠意をもって対応すること。

 

3.業界としての今後の取り組み

 

鍼灸医療安全性連絡協議会では、今後の取り組みとして、鍼灸に関連した重篤な有害事象(おもに事故や過誤)が発生した場合に、鍼灸師全体に情報の共有・周知が可能となるようなシステム作りを進めて参りたいと考えております。つきましては、皆様のご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 

共同声明の作成に関わった鍼灸医療安全性連絡協議会メンバー(敬称略)

 

伊藤 久夫(公益社団法人 全日本鍼灸マッサージ師会 会長)

要 信義(公益社団法人 日本鍼灸師会 会長)

工藤 滋(日本理療科教員連盟 会長)

清水 尚道(公益社団法人 東洋療法学校協会 会長)

若山 育郎(公益社団法人 全日本鍼灸学会 会長)

坂本 歩(公益社団法人 全日本鍼灸学会 副会長)

矢津田 善仁(公益社団法人 日本鍼灸師会 危機管理委員会 委員長)

古賀 慶之助(公益社団法人 福岡県鍼灸マッサージ師会 会長)

仲嶋 隆史(公益社団法人 全日本鍼灸マッサージ師会 業務執行理事)

山下 仁(公益社団法人 全日本鍼灸学会 臨床情報部 部長)

新原 寿志(公益社団法人 全日本鍼灸学会 臨床情報部 副部長)

菅原 正秋(公益社団法人 全日本鍼灸学会 臨床情報部安全性委員会 委員長)

以上

 

まず最も術者として私が最も知りたかった鍼が折れた(「折鍼」といいます)経緯について。

 

患者さんの体勢は前屈座位、つまり座って前かがみにさせていた

座った状態で腰に鍼を刺したことが私には無いので、体勢に少々戸惑いました。更に細かい状況が不明ですが患者さんが自家筋力で姿勢を保持していたのでしょうか。椅子に背もたれを前にしてまたぐように座って体の前面を背もたれに寄り掛かった状態で鍼を刺すやり方は知識として知っています。この場合ですとかなり腰の筋肉は使われないと思います。これが、患者さん本人がその体勢を維持しているとすると腰や背中に力が入ります。

筋肉に力が入ることが重要な点です。

 

使用した鍼はステンレス製のワンユース用

過去には銀鍼や金鍼といって銀製、金製の鍼が使われていました。これらは比較的柔らかく人体と親和性が高いと言われています。ところが高価になるので一度使用して体内から抜いた後に滅菌処理を施して複数回使用することがありました。この時に高圧蒸気滅菌器にかけるのですが、鍼自体に金属疲労が生じて折れやすくなるのです。現在はワンユースといって単回使用のもの(=使い捨て:ディスポーザブル)を使うことが推奨されています。素材はステンレス製で銀、金よりも折れにくいものであります。

 

鍼は長さ48mm、直系0.20mmのものを使用

身体に刺す鍼を「毫鍼」といいます。そのサイズが以上のものでした。我々はり師では“寸6の3番”と表現するものです。日本ではとても標準的なサイズになります。腰部ですともっと太くて長い毫鍼を用いることがありますが、ここでは非常に標準的なサイズの毫鍼を使ったという印象を私は受けました。

 

刺した場所は右側

報告によると「腰部(棘間右外側)」としかありません。棘間とは、棘突起という骨の出っ張りが各腰椎に存在するのですがその上下棘突起の間という意味です(腰椎は通常5つあります)。文字通り棘突起同士の間を狙ったのか、上下の腰椎同士をまたいで着く筋肉を狙ったのか、関節包や靭帯を狙ったのか、これだけでは判断がつきません。

 

刺した深さは2cm

20mmほど刺したとあります。腰部に関してはそこまで深く刺した印象ではありません。プロ野球選手ですから一般成人男性よりずっと体は大きいでしょう。これくらいの深度で危険なことが起きる可能性は低いと私は覆います。

 

鍼を刺した状態で患者さんに動いてもらった

これが一番のポイントだと思います。8本の毫鍼を刺入した状態で痛みが出る動作をさせたこと。腰の筋肉はかなり強いのです。どれだけ強いかというと刺入した鍼を曲げる程に。痛みを誘発するような動作をさせるということは、動作により筋肉が収縮する、かつ痛みで筋肉が緊張する、という相乗効果が出ると予想できます。プロ野球選手ですから一般成人よりも遥かに筋力があることは明白です。この結果、体内で鍼が曲がってしまったのでしょう。

 

鍼1本が抜鍼困難になった

8本刺したうち、1本が抜けなくなります。これは先に書いたように体内で腰の筋力により鍼が曲がってしまい抜けなくなったか、あるいは筋肉が過剰に収縮して鍼を抑え込んだと考えられます。何にせよ鍼が抜けなくなる抜鍼困難という状況が生まれました。

 

鍼を抜こうと筋緊張の緩和を試みた

迎え鍼、遠赤外線照射、表面電極という手段を用いて筋肉を緩めようとしました。迎え鍼というのははり師独自の技術です。遠赤外線照射は温めることで筋緊張を取ろうとすること。ただし表面電極を当てる電気刺激は筋肉を収縮させるように私は感じています。

 

寝てもらって鍼を引き抜こうとしたところ鍼が折れた

ここで座位から腹臥位(うつ伏せ)に体勢を変えています。この時に腰の筋肉が動いてより鍼に力がかかったのではないかと私は想像します。そして抜こうと引っ張ったときに鍼部分(鍼体)が破断した。これも予想ですが強力な筋力が加わったところに引き抜く力に鍼が耐えられずに折れた(正確な表現としては破断した)と思われます。

最初に私が予想していた鍼柄が外れたのではなく鍼体が折れたのでした。これは珍しい状況だと思います。そして折鍼は多くの場合、抜鍼困難から起きるという事を改めて再認識しました。

 

鍼の一部が体内に残ってしまった

体内に鍼の一部が残存した状態を伏鍼といいます。鍼先が体外に出ていればピンセットでつまんで引き抜くという策も講じられるのですが、皮膚で見えなくなってしまったのではないでしょうか。医師が残った鍼を摘出する際に皮下約1cmの深さにあったと報告されているからです。

 

そして医療機関を受診しCT検査で位置を確認して医師が腰部を切開し鍼先を摘出、廃棄。どのように折れたのかを摘出した鍼の破断面を検証することはできなかったようです。

これらが最も知りたかった詳細です。事故予防策、起きてしまったときの対策については報告にある通りです。

 

はり師になって15年。折鍼の経験はありませんが抜鍼困難に陥ったことはあります。この事故、そして報告を良い機会として襟を正して臨床に向き合います。まずは患者さんが大事に至らなかったこと、そして選手だけでなく応援している野球ファンの方々にご迷惑をかけてしまったことを同業者として申し訳なく思います。他人事ではなく。この事故を教訓に、未然に防ぐ努力を怠らないように心掛けます。

 

甲野 功

 

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