開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
新海誠監督作品、映画『君の名は。』で一躍注目を浴びたのが須賀神社です。正確には須賀神社の坂ですが。作中に主人公とヒロインがすれ違う場面に使われて、ファンが“聖地巡礼”としてこぞって写真を撮りにきました。以前この坂について紹介しましたが、今回は須賀神社そのものの紹介です。
四谷総鎮守ということですので四ツ谷駅や四谷三丁目駅のそばにあります。距離としては東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅が最寄り駅になります。もちろんJR各線、東京メトロ四ツ谷駅からも歩くことができます。住宅街の中にあるので知らないと見つけにくい場所でしょう。坂があるように高台に鎮座しています。
主祭神は須佐之男命(須賀大神)と宇迦能御魂神(稲荷大神)です。
主祭神の一柱、須佐之男命(すさのおのみこと)はとても有名です。日本神話において天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟として登場します。天照大神の怒りを勝って天上を追放され、人間界で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治します。その時、八岐大蛇から救った櫛稲田姫(くしいなだひめ)と結婚します。出雲系国津神の最高神とされます。子孫に大国主命がいます。櫛稲田姫と出雲の根之堅洲国にある須賀の地へ行きそこに留まります。『吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し』と宣り給いたことが須賀神社の名称の由来です。須佐之男命の別名が須賀大神もここから来ているのでしょうか。
しかし、須賀神社は元々は稲荷神社でした。そのため主際神はもう一柱あり、宇迦能御魂神(稲荷大神)です。須賀神社の始まりは、寛永11年(1634年)に赤坂一ツ木村(一ツ木)にあった稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷に遷座したことから。そして、寛永14年(1637年)に神田明神摂社に祀られていた牛頭天王(ごずてんのう)を合祀します。牛頭天王とは須佐之男命のことです(神仏習合により同一視されている)。時代が変わり、明治元年(1868年)の神仏分離令により社号を須賀神社と改めます。
このように稲荷神社がこの地に移ってきて牛頭天王(須佐之男命)を合祀した結果、現在の御祭神になっているという過程を知ると色々と納得できます。
須賀神社は江戸初期(寛永11年)より四谷の地に鎮座し、四谷十八ヵ町の総鎮守です。四谷十八ヵ町とは現在の住所である須賀町・四谷一丁目・四谷二丁目・四谷三丁目・四谷四丁目・三栄町・本塩町・坂町・片町・愛住町・荒木町・舟町・若葉一丁目・若葉二丁目・若葉三丁目・左門町・南元町・信濃町の18町。私の母校である東京医療専門学校四谷校舎は三栄町なので四谷十八ヵ町に入ります。
二柱の主祭神を中心に祀り、“天王様”として親しまれました。稲荷大神は五穀豊穣・開運招福・商売繁盛の神様として、須佐之男命(須賀大神)は土木建築・悪霊退散・諸難・疫病除けの神様として庶民の信仰を集めたとされています。毎年6月に行われる御祭礼は、古くは四谷の「天王祭り」あるいは「かっぱ祭り」といわれ江戸の五大祭りの一つとして有名でした。天王は牛頭天王を指します。
主祭神の左右には五男神(天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、熊野樟日命、活津彦根命)、宗像三女神(多紀理姫命、市杵島姫命、多岐都姫命)が祀られています。これら難しい名前の神々は須佐之男命の子どもです。古事記では、須佐之男命が挨拶をしようと天照大神のもとに訪れるが、天照大御神は粗暴な須佐之男命が攻め入って来たと警戒します。須佐之男命はその疑いを解くために誓約(うけい)という儀式を天照大神と行います。そこで生まれた神が祀られている五男神、宗像三女神なのです。どういう理屈なのか難しいのですが、この神々が生まれたことで身の潔白が証明されたことになった須佐之男命。その勢いで数々の粗暴を行い死者まで出してしまいます。それに怒った天照大神は岩屋に隠れてしまうのです。
須佐之男命はとても乱暴な神でありながら、人間界に降りてからは八岐大蛇退治や和歌の神様と崇められるなど二面性のある神様といえます。
境内にはいくつか見どころがあります。主祭神である須佐之男命の子孫に大国主命がいるためか末社に大国社(祭神:大国主命)があります。摂社には天白稲荷神社があり稲荷神社の名残を感じさせます。新宿区指定有形文化財(絵画)に指定されている三十六歌仙絵があります。これらの絵は天保7年(1836年)に大岡雲峰の絵と千種有功の書により製作、奉納されたといいます。かつての社殿は文化11年(1814年)に起工し文政11年(1828年)12月に竣工しました。しかし昭和20年(1945年)5月24年の東京大空襲によって、多くの建物を失います。戦後、氏子崇拝者の赤誠によって今日の復興を見ることが出来ました。本殿御内陣は文政2年(1819年)に造営され、第二次世界大戦の戦火にあるも焼失を免れました。しかし老朽化が進んだため大修復工事が行われ、昭和63年(1998年)に着工し平成元年(1989年)に落成して遷座祭が行われました。
四谷の総鎮守として住宅地にある須賀神社。映画によって坂がとても有名になりましたが由緒正しい神社です。
甲野 功
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