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「二宮和也」という名前を聞いて皆さんはどう思うでしょうか。多くの人は“嵐のメンバー、ニノ”という認識ではないでしょうか。嵐は現在休業中ですがトップアイドルグループ。SMAP解散後は名実ともに日本一のアイドルグループです。現在は「ジャにのちゃんねる」というYouTubeチャンネルを3名の後輩タレントとしていて、そちらのイメージも強くなっています。
その二宮和也氏ですが、私には“俳優”のイメージがとても強いのです。
なぜかというと2007年に映画館で観た『硫黄島からの手紙』での演技が衝撃的でその印象があまりに強いからです。映画『硫黄島からの手紙』はハリウッドスターであるクリント・イーストウッドが監督・製作を務めた作品です。太平洋戦争での硫黄島をめぐる戦いを描いた作品です。ちなみにアメリカ兵側からの視点で描いた『父親たちの星条旗』(2006年公開)と姉妹作品で日本兵側からのそれで描かれたのが『硫黄島からの手紙』なのです。つまり実際に起きた硫黄島攻防戦を攻める側のアメリカ側と防衛する側の日本側、両方の立場から映画作品にした2部作。『硫黄島からの手紙』はクリント・イーストウッド監督でアメリカの会社が制作していますが登場人物はほとんど日本人で全編日本語です。敢えてモノクロで撮影しています。
私はこの頃、邦画にはまっていて時間を作って映画館で邦画をたくさん観ていました。都内には名画座という新作を過ぎた作品をテーマ別に2あるいは3作品を連続上映する映画館が何軒もあります。名画座を巡っていました。邦画ばかり観ていたのですが『硫黄島からの手紙』はほぼ日本人俳優による日本語作品ということで観に行きました。その作品には渡辺謙、伊原剛志、加瀬亮、中村獅童といった名俳優がメインキャストを務めるなか、当時はまだそこまで人気が爆発しているとは言えなかった嵐のメンバー、二宮和也氏がいたのです。
当時二宮和也氏の存在は知っていましたが興味が無かった私は特に意識せずに作品を観たのです。そうすると主人公の渡辺謙氏でも、歌舞伎と現代劇両方で活躍する中村獅童氏でもなく、ジャニーズ事務所の若手アイドル二宮和也氏の演技に魅了されました。魅了というより驚きの方が上回りました。
その頃は多いときは週に4本映画を映画館で観ている時期。それなりに目が肥えていました。テレビのドラマと違って映画館での鑑賞は演技の良し悪しがよりはっきりします。暗い外界と遮断されて途中CMで中断することの無い集中できる環境。大スクリーン、高音質の音響。
その中で観た作中の23歳の二宮和也氏は戦時中の日本兵にしか見えず、キラキラしたアイドルの雰囲気を微塵も感じさせませんでした。カツラではなく本当に坊主頭にし、戦闘シーンでは不自然に顔が汚れていないようなことはなく土にまみれて。朴訥などこか達観したかのようなセリフまわし。最後は戦死を免れるも、取り乱して暴れる姿。このような若手俳優がいることに驚きました。ましてあのジャニーズ事務所で。
今でこそジャニーズ事務所所属で俳優を本業にしているタレントさんはいます。岡田准一氏のように映画でも評価されて賞を受賞している人もいます。しかし2007年頃は映画の主演をしてもアイドルという看板がそのままあり、“ジャニーズにしては”素晴らしい演技とフィルターがかかっていたと思います。それが世界的にも有名な渡辺謙氏と並んでも遜色のない俳優として作中で勝負できる人が二宮和也氏でした。その後アメリカ本国の第79回アカデミー賞では作品賞、監督賞を含む4部門にノミネートされ、音響編集賞受賞という快挙を達成します。
二宮和也氏の演技を評価するのは私の偏見ではなく多くの関係者が高い評価をしてきました。この作品のインパクトが強いので二宮和也氏は俳優という印象がついています。
またもう一つ個人的に“俳優”二宮和也氏の恩恵を受けていることがあります。それが2007年1月からフジテレビ系で放送されたテレビドラマ『拝啓、父上様』です。この作品は名脚本家倉本聰氏が東京都神楽坂の老舗料亭を舞台にしたもので主演を二宮和也氏が務めています。内容は限りなく実際の神楽坂を描いているもので料亭の名前は「坂下」。神楽坂も大久保通りを挟んで「神楽坂下」と「神楽坂上」と分け、特に観光地として料亭が多いのは神楽坂下の方です。モチーフは故田中角栄が通った料亭であることは明白です。ドラマは全編を通じて神楽坂の街並みを魅力的に映しており、実際に見たことがある私はずいぶん映像だと良く見えるものだと感心しました。
今でこそ都内屈指の有名観光地である神楽坂ですが、花街としては衰退しドラマ放送前まではかなり寂しい状況でした。私は神楽坂に近いところで生まれ育ちずっと神楽坂をみてきました。更に大学は東京理科大学で神楽坂は青春の場所そのもの。よく知っているからこそ当時の神楽坂はかつて栄えたもはや過去の街という雰囲気が漂っていました。『拝啓、父上様』が放送されると嵐ファン、二宮和也氏ファンが聖地巡礼としてロケ地となった神楽坂に大挙して押し寄せます。それまで見かけなかった若い女性観光客が溢れて一気に街が活気づきました。本当に大ブームとなり息を吹き返したという表現が妥当です。それから好調をキープし続けている神楽坂。世界的にも評価されています。今の神楽坂をもたらしたのは二宮和也氏であると言っても過言ではないでしょう。もちろん倉本聰氏の脚本、他の演者、優秀なスタッフのおかげもありますが。熱狂的な嵐ファンの存在は群を抜いていました。
このように俳優としての二宮和也氏に興味があった私が彼の内面を知る番組をみました。
このバラエティー番組内の企画、『インタビュアー林修』に二宮和也氏が登場。8月7日、14日と2回に渡り放送されました。そこでこれまで知らなかった二宮和也氏の仕事に対する姿勢、考え方が分かりました。15年前の鍼灸マッサージ専門学生のときに観た映画『硫黄島からの手紙』と同じくらい驚き、そして納得する内容でした。
よく知らなかったのですが二宮和也氏は大御所俳優や年上(年配)の先輩、芸能界における目上の人でもため口で話すそうです。一般的に考えると失礼ですし、20代前半くらいまでならまだ可愛げで許されるかもしれませんが今も同じだといいます。私だったら考えられず、敬語、せめて丁寧語で話すことでしょう。そもそも家族や大学時代までの友人を除いてため口で話す人は思い浮かびません。私の感覚からすると信じられないのです。それは芸能界特有のノリなのか、国民的アイドル嵐だからなのか。そのように思っていました。
二宮和也氏はため口で会話をするのに年上、目上の芸能関係者と仲が良く何より評価されているといいます。番組では演出家故蜷川幸雄氏、脚本家倉本聰氏、ジャニーズ事務所の先輩木村拓哉氏、大女優大竹しのぶさん、大先輩の笑福亭鶴瓶氏など多くの芸能界の先輩にため口で話し慕われていると紹介されていました。しかもカメラの前でキャラクターとしてのため口ではなくプライベートでもため口で話すのだとか。無礼、失礼とならず認められるのは人柄、実力、色々な裏付けがあるからなのだろうと私は思いました。
ではなぜ、二宮和也氏は目上の人にため口でコミュニケーションを取るのでしょうか。その答えが番組で紹介されていました。その理由は、確率論になりますが先輩は先に死んでしまう、つまり甘えられる時間が限られているから、だと。距離を一気に縮めてすぐに仲良くなりたいのだと。また二宮和也氏のエピソードとして結婚式に一度も出たことはないがお葬式にはたくさん出ている、会っておけばよかった・行けばよかったという後悔を何度も経験してきたと。その考えでため口でコミュニケーションを取った結果、亡くなられた蜷川幸雄氏も事務所の創設者であるジャニー喜多川氏も、もっと話しておけば良かったというコミュニケーションによる後悔がないのだそう。
この考え方と行動は私には真似できないことですがとても素晴らしいと思います。死生観でもあります。とても若い頃からジャニーズ事務所に入所し、数多くの大人と接してきた経験からなのでしょう。芸能界という個人の才能が大きく左右する世界で先人達のものを必死に受け取り継承するという姿勢があるのかと思いました。『硫黄島からの手紙』では20代前半ですが、それまでにたくさんの現場、仕事、苦難を乗り越えてきたのです。アイドルとしてテレビで見せている華やかな面はごく一部だということに頭を働かせます。今まで知らなかった内面を知ったことでまた見る目が変わりました。そして私も今をもっと大切にして日々を過ごそうと思いました。
甲野 功
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