開院時間
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昨日は原宿にあるサンキーペントハウス原宿で行われた鍼灸師主催の“交流×音楽イベント”『響-Hibiki-2022 @サンキースペントハウス原宿』に参加してきました。このイベントは柔道整復師、あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師である岡野浩人氏が主宰するイベント。
(※普段は同業者の方は先生の敬称をつけて表記しますが、今回は先生ではなく氏をつけて表記します。)
岡野氏はDJの経験があり、以前から鍼灸師のイベントでDJ活動を組み込んでいました。
「響」というイベントが存在することは以前から知っていました。今回が初めてではありません。当日まで参加しない意向だったのですが当日参加することを決めました。その理由はまず個人的にクラブイベントが苦手であること。高校、大学、社会人とその文化を通らずに来た私はDJとかクラブというものは遠い存在。またお酒を飲めない体質であるので酒の席で盛り上がるという感覚が皆無。何か、うるさそう、怖そうという、人時代前のような感覚があります。それと開催日は日曜日で前から次女と葛西臨海公園で石を拾いに行こうと計画していました。お台場の海よりより自然に近い海で石を探しに行こうと話をしていました。ところがその日の朝になると、やっぱりめんどくさいから行かない、と次女に言われてしまいました。突然やる気が消えることがある次女。東京スカイツリーのときもそうでした。そういうことならお父さんは午後出掛けるからねと子ども達に話して、急遽参加を決めたのでした。場所は原宿(実際には表参道)。自宅から近いのも腰を上げる要因に。
さて、この新型コロナウィルスが流行する前、鍼灸師業界は多くのイベントが開催されていました。ギリギリ2020年2月くらいまで、2019年までは本当に多種多様なイベントがありました。
私が鍼灸マッサージ専門学校で学生だった頃とは考えられないくらい。その頃は通っている学校、学会、外部の練習会、流派の勉強会、業界団体(師会とか学術会など)くらいしか人との交流がありませんでした。バイト先や就職先という仕事場はもちろん入りますが人と交流する場というものは非常に少なかったのです。あったとしても参加するハードルが高い。どこで開催していて誰がいてどのような内容なのか。情報不足で誰かの紹介がないと存在自体すら分からない。そのため通学する学校が学生に与える影響は少なくなかったと思います。学校が紹介してくれる、学校の授業で知る、先輩との繋がりで。このようなきっかけが多かったのです。
状況を変えたのはSNSでした。FacebookにTwitter。これらの誕生、普及により加速度的に鍼灸師同士の交流がオープンに広がりました。特にTwitterは2017年くらいから加熱した記憶があります。母校や学会・師会、勉強会、技術の流派といった既存の所属背景から、個人で行動できる土壌が生まれます。大きな転機は関東鍼灸専門学校副校長内原先生のクラウドファンディングだと私は認識していますが、その一件から、一部の若い鍼灸師による繋がりと鍼灸専門学校といういわば公的な組織が組み合わさり、大きな波が生まれていったと考えています。それは業界団体、特に東京都鍼灸師会、が活用し所属会員以外にも開放されたイベントが数多く生まれたと思っています。
以前からイベント自体はあったのでしょうが、その情報が一気に広がる、そしてアクセスがしやすくなる、ことになりました。同時にそれまで知らなかった鍼灸師個人の個性がSNSで情報発信する者は知られるようになり、かつ個別に連絡しやすくなります。それによりダイレクトにその人にコンタクトが取れる状況が生まれました。私の場合、それを開業当初から行ってきた面があり、進学を考えている社会人から鍼灸マッサージ専門学校の進路相談を受けることや私の方から迷っている方に助言をすることをしてきました。イベントが開催しやすくなり(情報伝達が早く容易になった)、またイベントに参加しやすくなります(実際に会ったことはなくともSNSで日々の情報を互いに知ることで親近感が生まれる)。恐怖の大部分は情報不足で構成されており、知っていること(情報があること)で一歩踏み出しやすくなるのです。
その流れにより2019年までは多種多様な、イベント規模の大小を問わず、現実の(オフラインの)イベントがありました。魅力的であれば地域を超えて参加するようになり、関東の鍼灸師が関西に行くことや地方の鍼灸師が関東にやってくるということが珍しくなくなっていきます。個人での交流も活発化し、私も関西在住の鍼灸師に会いに日帰りで行くことが多くなりました。
しかしコロナ禍はその状況を一変させます。人の移動、交流が大きく制限されます。一時期は東京の人間が地方に行くなど不謹慎極まりないという雰囲気に。特に“夜の街”と称された歌舞伎町を有する新宿のイメージはかなり悪く、新宿区民としては肩身が狭い気持ちでした。
この社会状況により一気にネット上での(オンラインの)イベントが増えてパソコン、スマートフォン、タブレット越しの交流が加速します。今現在でもそうですがオンラインセミナーは当たり前。リアルタイムで参加しないで録画されたアーカイブを後日、倍速再生で視聴するのが普通という環境になりました。専門学校の授業もそうなっています。
しかし、我々の仕事は直に患者さんに触れて行うもの。中には念を送って治療できるという人が稀にいるようですが、実際に触って鍼を刺して灸を据えるのが鍼灸師の本業。オンラインでやりきることはできません。ですから私個人の志としてオフラインの交流を大事にしていきたと考えています。それがコロナ禍によりオンラインイベントが主流になったときに反発するように浮かんだ気持ちでした。
そのような志があるなかで「響」というイベント開催。これまでに開催された「響」には参加したことがありませんでした。理由は最初に書いた通り、あまり前のめりになる内容ではなかったからです。しかしこのパンデミックを経て、開催する意義が変わったと思いました。“戻ってきた”という意味合い。ご存知の通り音楽、演劇、ダンスなど多くの文化活動が大打撃を受けてきました。飲み会(会食)そのものも危険視されて。やっと大規模なイベントが戻ってきた。そのような想いがありました。
会場に入ると懐かしい顔ぶれがたくさん。2019年頃までは様々なイベントで顔を合わせた方々。会場の雰囲気もあって最初は緊張して戸惑いましたが、段々と感覚が戻ってきました。主催者岡野氏の情報で80名強の参加者があったそう。出入り自由であるので時間帯によって人数は異なるのでしょうが、全員を把握できない人数は本当に久しぶりです。SNSで活動内容を把握しているので久しぶりという感覚が薄いのですが、実際に会うのは数年ぶりという人がたくさんいました。特に地方在住の鍼灸師さん達。確認できただけでも九州、名古屋、大阪など。人流を抑制してきたこの3年間。本当に懐かしい感覚です。
また今回感心したことは開催時間が15:00~20:00であること。つまり昼間の午後から夜まで。私が参加したのは15:40くらいから18:20まで。家の事、子どもの事を考えると夕食までには帰ろうと決めていました。会場に入るとお子さんが結構いたのです。これはかなり重要なことで、子どもを連れて参加できるか否かは子育て世代には重要な要素。昼間から行えば窓が開いた明るい開放的な会場で子ども同士を遊ばせながら親が参加できます。子ども同士が仲良くなくてもたくさんいるお節介な大人が構うことができます。私は子どもがいると優先度が子どものようになるので連れて行くことはしませんが、子どものいる人にはとても助かることでしょう。これが学会や勉強会だとこうはいきません。誰かが別会場で面倒をみないといけません。自由度の高いイベントならでは。この数年で子どもが生まれた鍼灸師もいました。子どもがいるイベントは子育て世帯の私には好感がもてました。子どもを連れた参加者は夕方くらいに会場をあとにしていてかつての自分を投影させました。
「響」は音楽イベント。DJも、演奏をしている人も、歌を歌っている人も、会場スタッフとして手伝っている人も、みんな鍼灸師・柔道整復師。これはなかなか凄いことで本業以外に多才な能力が発揮されます。絵面だけみると鍼灸師がやっているようには全く見えないことでしょう。鍼灸師以外の参加者もいたようですが、ほぼ鍼灸師関係者で占められた会場であるのに。
反対に思いっきり業界の話をすることにもなりました。業界団体の方と政治と鍼灸の話、業界団体の動きについて話を聞きました。初対面の方から鍼灸師の地位向上についての意見を聞き。鍼灸は医業類似行為なのか?という意見を交わしたり。お酒を片手に音楽がガンガン流れる表参道で専門用語が飛び交う話が飛び交いました。
この2面性がまさにこのイベントを象徴していると思いました。“交流×音楽イベント”。鍼灸師同士の交流と音楽を嗜む・楽しむという2つの柱。私の場合、交流の割合がほとんどでした。主催者や出役は音楽の方に。私は情報交換、新しい出会いという点に力が入りましたが、人によっては久しぶりの再会や子どもを紹介したいということもあったよう。場が提供されてあとは個々が自由に立ち振る舞う。スケジュール(予定)がきっちり設定されている学会や勉強会との大きな違いがそこにあります。
それはある意味楽しく、ある意味厳しい場です。知っている人がいない、話しかけてもらえない、という場合は居場所がないでしょう。自ら行動しないと何も起きません。この感覚を久しぶりに味わいました。不特定多数の人間が集まる中でどう立ち振る舞うのか。人間力が問われる場でもあります。人見知りだから、引っ込み思案だから、など言っていられません。会場に飛び込んで初対面の人に話しかけて、名刺を渡して人脈を作ってきた数年前を思い出しました。休日の家族と過ごす時間を割いて参加している以上、自分が楽しみ、新しい交流を持ち、未知の情報を得ないと勿体ない。そういう現金なところがあります。この響の会場でも新しい交流があり、有益な情報を得て、懐かしい再会がありました。実りが多かったです。
そして嬉しかったのが再会が多かったことです。3年前の関東鍼灸専門学校で行われたイベントで、当時地方の鍼灸学生だった人がほとんど知り合いがいないのに会場に訪れました。その方とひょんなことから話が合い、多くの開業鍼灸師と一緒に食事をして色々な情報を話し、その学生さんは未来を語っていました。その後、鍼灸師になり開業し、この会場にいたのです。私の事を覚えていてくれて、お久ぶりですと話しかけてくれました。コロナ禍という困難がありながら立派に活躍していること、そして再会できたこと、何より私の子を覚えていてくれたことに熱い気持ちが芽生えます。
他にも初めて出会ったときは鍼灸専門学生だった人が開業して院長になって再会しました。私と同じ立場になり経営の話をしました。その人に知り合いの鍼灸学生さんを紹介しました。時間の流れと巡るものを感じます。
また地方から参加している鍼灸学生さんがいて話をする機会がありました。交通費と時間をかけながらほとんど知り合いのいない東京のイベントに参加することは勇気がいることでしょう。行動力のある学生さんが大好きなので応援したくなります。せっかくなので知り合いの鍼灸学生さんも紹介しました。
過去に大規模イベントで出会った学生さんが、しっかりと国家試験を突破して免許を取り、鍼灸師として働き開業している。その人が業界の先輩として学生さんと話をする。そういう成長を見ることができるのがリアルなイベントの良いところでもあります。その頃から私の環境は変わっていません。その当時から個人開業の院長という立場。経営規模が拡大することもなく。よく言えばコロナ禍でも潰れることなく生き残っていると言えますが、下の世代に比べると変化に乏しい。図らずも人の成長を目の当たりにして、いい刺激を受けました。自分自身、これから大きくステップアップするのは簡単なことではないことを理解しています。学生さんを自院に招いて勉強会をすることもいいのですが、外のもっと活躍している人を見ることはありません。あの会場にいたのは色々な意味で様々な方向で猛者ばかり。もちろん面識のない人もたくさんいました。きっと噂で知っているという方もいたことでしょう。そして将来有望な学生達。やらなきゃいけないなと決意するきっかけになりました。
現実に人と向き合わないとできない仕事を本業にしている鍼灸師。たくさんの同業者、関係者と会うことが刺激になります。3年前には頻繁にあったそういうイベント。久しぶりに参加して懐かしさとともに時間の流れを感じ、また自分を磨こうと思うのでした。
甲野 功
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