開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~地域散策 水稲荷神社~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 水稲荷神社
水稲荷神社

 

 

神田川の横。東京で最後となった路面電車、都営荒川線(東京さくらトラム)の線路に近いところ。そこに水稲荷神社があります。長年新宿区で暮らしてきたのに、つい最近まで存在すら知らなかった神社です。交通網が発達しているので都電を使うことがほとんどなかったのであまり近寄らないエリアでした。このような場所が早稲田にあったことに驚きました。ビルが立ち並ぶ大都会に狭間にある。新宿区という土地柄、そのような神社やお寺は少なくありませんが、外からは目立たず奥に進むとまさかという空間が残っていました。

 

早稲田 水稲荷神社 ホームページ

 

新目白通りから早稲田通りに向かう都道25号沿いに階段があり、そこを登ると『堀部安兵衛加刀遺跡之碑』が現れます。元禄7年(1694年)2月11日のこと、堀部安兵衛は市ヶ谷から高田馬場に駆けつけ、叔父の菅野六郎左衛門の果し合いに助太刀し、相手方三人を切り倒します。決闘の助太刀をした堀部安兵衛の活躍が評判になり、後に講談や芝居の題材に。安兵衛は、忠臣蔵で有名な浅野内匠頭の切腹後、終始あだ討ち推進派として活躍します。元禄15年(1702年)に吉良邸に討ち入ったその功績が称えられ明治43年(1910年)に安兵衛の石碑が旧高田馬場に建立されました。その後、昭和46年(1971年)に現在の水稲荷神社に移されました。

 

知る人ぞ知る史跡の先にヤギがいました。ヤギ(山羊)です。ヤギが鎖に繋がれていて「BEWARE OF THE GOAT山羊用心」の注意書きが。東京都新宿区早稲田でヤギが飼われていました。なかなかの光景です。

 

この水稲荷神社の発祥は天慶4年(941年)に藤原太秀郷が冨塚(富塚)の地に稲荷大神を勧請したことにあります。当時は「冨塚(富塚)稲荷」といわれました。場所は現在とは異なり、今の早稲田大学9号館裏のあたりといいます。江戸時代中期の元禄15年(1702年)に神木の椋の根元より霊水が湧きだし眼病に利くとして評判となり、火難退散の神託が下ったことから「水稲荷神社」と改名されます。天明8年(1788年)には“江戸の水稲荷”を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ「関東稲荷総領職」を賜ります。時が下り現代、昭和38年(1963年)に早稲田大学と土地交換を行い現在の場所に遷座しました。

 

また境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士)は早稲田大学拡張工事の際に同大学の構内にあった富士塚を移築したもの。この高田富士は江戸中最古の富士塚です。富士塚とは富士山信仰に伴い、富士山を登山することが困難な信者のために、簡易的な富士山の代わりを作ってそこを登れば富士登山と同じご利益があるとしたものです。都内各地にあります。この高田富士ですが、普段は登拝でませんが「高田富士まつり」の際に一般の登拝が可能となっています。

 

土地の関係もありますが今でも早稲田大学と縁が深い神社です。早稲田大学が奉納したことが分かる石碑が鳥居の前に見えます。

御祭神は倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)、佐田彦大神(さだひこのおおかみ)、大宮姫大神(おおみやひめのおおかみ)の三柱。

 

稲荷神社ということで一対の狐が狛犬のようにあります。

周囲は木々があり、そこが早稲田とは思えない雰囲気に本殿があります。

周りには徳川家の茶室「聴松亭」、徳川家康が支配する前に江戸の地を治めていた太田道灌の「駒繋の松」、大国主命を祭った「大国社」、身体の痛い所と像と交互になでると痛みがやわらぐとされる「耳欠け神狐」などもあります。

 

目立たないところにあるとても不思議な神社でした。

 

甲野 功

 

★ご予約はこちらへ

電話   :070-6529-3668

メール  :kouno.teate@gmail.com

LINE :@qee9465q

 

ご連絡お待ちしております。

 

こちらもあわせて読みたい

これまでに訪れた神社やお寺を紹介したブログはこちら→詳しくはこちらへ

地域のおススメスポットを紹介したブログはこちら→詳しくはこちらへ