開院時間
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東京都内最古の寺院とされる浅草寺。そこには雷門、宝蔵門の他にも、貴重な“門”が境内にあるのです。それが二天門です。
雷門、宝蔵門と違って大きさは小さく、地味な風体です。それも本堂に連なる参道に置かれておらず東参道にあり、東京スカイツリーがある方向にあります。浅草神社の目の前です。
二天門は朱塗りで、現在の門は慶安2年(1649年)に創建された国の重要文化財となっています。最初の建立は元和4年(1618年)とされています(諸説あり)。当初は浅草寺境内にあった東照宮の随身門でした。随身とは神社の左右の神門に安置される守護神のこと。平安時代以降に貴人の外出のときに警衛と威儀を兼ねて勅宣によってつけられた近衛府官人の姿をあらわします。豊岩間戸命と櫛岩間戸命を随身像として左右に祭っていました。なお東照宮とは徳川家康公を祭った神社で、二天門と同じように元和4年(1618年)に造営されたのですが、それから二度の炎上し江戸城内に遷座されました。
ここでポイントになるのは随身も東照宮も神道に関わるもの。仏教ではないのです。神道と仏教は別の宗教でありながらわが国では同一視されてきました。いつも思うのですがこのような宗教観は本当に独特だと思います。神仏習合という思想。それが明治政府により神仏分離令が出されて状況が変わります。明治17年(1884年)に神仏分離によって旧随身門(二天門)に祭られていた豊岩間戸命と櫛岩間戸命の随身像は浅草神社に遷座され、代わりに鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納されます。このときに随身門から二天門と名称が改まります。神道の随身像から仏教の二天の像(広目天、持国天)に変更になり、名称も変えたということですね。
そして浅草というと東京大空襲。二天の像は昭和20年(1945年)に修理先で戦災にあい焼失します。門が無事で像が修理先で被災というのも何とも言えません。現在は持国天と増長天の像となっており、昭和32年(1957年)に上野寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から拝領したものです。
向かって右側が持国天、左側が増長天の像です。
(なお広目天、持国天、増長天は四天王のこと。帝釈天の配下で仏教世界を護る存在です。東方を護る持国天、南方が増長天、西方が広目天、北方が多聞天です。多聞天のみ単独で祀られることがあり、その場合は毘沙門天と呼ばれています。神楽坂の善國寺は毘沙門天として有名ですし、柴又は帝釈天で有名ですね。また○○天というのは仏様の区分です。)
現在祭られている持国天、増長天像は江戸時代(17世紀後半)に活動していた仏師・法橋吉田兵部藤房の作であり、東京都の有形文化財に指定されています。どちらの像も寄木造という複数の木材を組み合わせる技術で造られています。持国天と増長天は対照的な姿勢を取っているのがわかります。
二天門の様式は本瓦葺、切妻造り木造朱塗り八脚門。額は三条実美(1837~91)の筆。平成19年(2007年)から21年(2009年)にかけて大修復が施され輝きを取り戻しました。
関東大震災と東京大空襲の災難を免れて江戸時代からの姿を残す二天門。神道から仏教への移り変わりもありました。浅草寺境内の建物の中でも小さく、目立たないこともありますが貴重な文化遺産です。浅草寺を訪れたときは注目してみてください。
甲野 功
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