開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
新宿中央公園。JR他新宿駅から徒歩5分ほど。都営大江戸線都庁前駅からすぐの場所に広い公園があります。世界一乗降者数が多い(ギネス記録)新宿駅の目と鼻の先に広大な緑地があることは結構すごいことでしょう。周囲には東京都庁をはじめ超高層ビルが並ぶ一角です。新宿中央公園は淀橋浄水場跡にできたのであれほど広いまとまった土地があるというわけです。
新宿駅の雑踏からみれば驚くほど木々が広がる新宿中央公園ですが、端の方は神社の境内になっています。一見公園の緑に同化しているので見落としがちですが、立派な神社が鎮座し境内があるのです。それが(新宿の)熊野神社です。かつてこの地が十二社(じゅうにそう)という地名があったため十二社熊野神社ともいいます。
まず十二社とはなんでしょうか。室町時代に紀州出身の証人である鈴木九郎という人物がいました。この人は紀州の熊野神社で代々神官を務めた鈴木氏の末裔でした。現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓、馬売買などで財を成し「中野長者」と言われるほどでした。鈴木九郎は故郷である熊野三山の若一王子を祀ったところ商売が繁盛したので熊野三山から十二所権現全てを祀ることにしました。
(権現とは仏菩薩が衆生を救うために仮の姿をとって現われること、またその現われたもの。熊野十二所権現は三所権現:証誠殿(本地阿彌陀)・新宮(本地薬師)・那智(本地千手観音)、五所王子:小守の宮(本地聖観音)・児の宮(本地如意輪観音)・聖の宮(本地龍樹)・禅師の宮(本地地蔵)・若王子(本地十一面観音)、四所明神:一万の宮(本地普賢)または十万の宮(本地文殊)・勧請十五所(本地釈迦牟尼)・飛行夜叉(本地不動)・米持金剛童子(毘沙門天)の12の権現をさします)そこから十二社という地名が生まれ、現在でも新宿には十二社通りという名前が残っています。なお十二社熊野神社は新宿駅から見て新宿中央公園の裏側、十二社通り沿いにあります。西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域を含む新宿の総鎮守となっている重要な神社なのです。
十二社熊野神社は鈴木九郎が室町時代応永年間(1394~1428年)によってできました。江戸時代になると熊野十二所権現社と呼ばれるようになりました。江戸時代には十二社の池や大滝があり今よりも広く、景勝地でした。池の周囲には多数の茶屋ができて賑わったといいます。明治になると現在の櫛御気野大神・伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改称しました。明治以降は大きな料亭ができて花栁界として知られ一大娯楽地として栄えました。池や滝は淀橋浄水場の工事もあり、段々と埋め立てられていき姿を消しました。
令和の現在も新宿総鎮守として十二社熊野神社は立派な境内を有しています。
手水舎は龍が施されたもの。訪れたときは石で夏詣の文字が。
本殿は背後に新宿副都心の超高層ビルを従えております。ご祭神は櫛御気野大神(くしみけぬのおおかみ)、伊耶那美大神(いざなみのおおかみ)。灯篭、狛犬も含めて荘厳な雰囲気を醸し出しています。
本殿の右横には大島神社があり、その隣には角筈胡桃下稲荷社。大鳥神社の狛犬は腹の下がくりぬきになっていない珍しいもので、享保12年(1727年)「角筈村上野百姓店児講中」により寄進されたもの。本殿前の狛犬と比較すると違いがわかります。
小さいながらも池、橋があり弁天社がそこに。
十二社の碑という新宿区指定史跡があります。これは嘉永4年(1851年)に建てられた十二社を紹介する記念碑。
大都会新宿の一角に鎮座する十二社熊野神社。これほど都市が発展しても残っていて、むしろ神社があるから発展したのかもしれません。以前からその存在は知っていましたがここまで大きくて立派なものとは思っていませんでした。新宿の総鎮守としてあの副都心エリア一帯をこれからも護っていくことでしょう。
甲野 功
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