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~本山東本願寺~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 本山東本願寺
浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺

 

 

東本願寺”と聞くと京都の東本願寺を想像するのではないでしょうか。西本願寺もあるし、と。ところが東京、それも浅草にも東本願寺があるのです。正式には浄土真宗東本願寺派本山東本願寺です。

 

浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺

 

有名な京都の東本願寺と区別するために“本山東本願寺”とします。

 

浅草駅よりも東京メトロ田原町駅の方が近いでしょうか。浅草と田原町の間にあります。都内最古と言われる浅草寺が目立ち過ぎる浅草ですが、ここ本山東本願寺もかなり立派です。ふと目に入ったときに本堂の大きさに驚いて、境内へ立ち入ったのです。しかも「東本願寺」と書いているではありませんか。東京にも東本願寺ってあるのか?という素朴な疑問。加えて「本山」とついているのでここが大元なのか?という。私は神社仏閣巡りが好きですが、何か行こうという意志がないところには参拝しません。事前に何かしらの情報を得て、行ってみたいと思わないと訪れないのです。神社にせよ、お寺にせよ、外見で足を踏み入れるというのは非常に珍しいわけです。それだけの風格が溢れていたのが本山東本願寺でした。

 

宗祖はかの有名な親鸞聖人浄土真宗のお寺になります。

親鸞聖人と浄土真宗について調べたのですがかなり複雑なので省略します。

本願寺とは何かということから。ホームページによると親鸞聖人の死後、末娘の覚信尼公が親鸞聖人の御骨を京都に、大谷本廟を建てて埋葬します。時代が流れ異議が現れるなか、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如上人大谷本廟を本願寺と改め、親鸞聖人からの本流はここ本願寺にあるとします。京都の大谷という土地に本願寺が生まれます。本願寺はそのあと衰退するのですが、当時住職だった蓮如上人(1415~1499年)により中興します。爆発的にその教えが広まることで多宗派の迫害を受けるようになり、大谷にあった本願寺は破壊されてしまうのです(大谷破却)。蓮如上人は争いを避け、新天地を求めて北陸に移動し布教活動を行い盛況に。それから京都の隣にあたる山科の地に本願寺を再建し、関西の各地に坊社を建てました。そして戦国時代へ。山科本願寺は焼かれ、大阪の石山へ本願寺を移します。石山本願寺です。織田信長との石山合戦は11年続き、石山本願寺を明け渡すことに。それから本願寺は各地を移動したのちに京都の堀川へおかれます。そして力のある本願寺を徳川家康の意向により東西に分けられることになります。堀川七条にある本願寺を西本願寺、烏丸七条にある本願寺を東本願寺と称するようになるのです。この時代に東本願寺、西本願寺が生まれました。もちろん本山東本願寺は東本願寺の流れを汲むのです。

 

戦国時代の天正19年(1591年)(一説には1603年)に江戸の神田に光瑞寺が開創。光瑞寺が江戸における本願寺の録所(教務所・出張所)となります。そして慶長19年(1614年)に光瑞寺は掛所(別院)に。明暦3年(1657年)の明暦の大火により光瑞寺は焼失します。徳川幕府から移転先は築地か浅草の好きな方を選べと言われ浅草を選択し移転します。そこから浅草本願寺と称されるようになります。なお築地を選んだ江戸浅草御坊が築地本願寺となります。浅草の地で浅草本願寺は根付き浮世絵で描かれるなど重要な場所になります。明治以降海外との戦争になると虜収容所になることも。大正12年(1923年)に関東大震災によって起きた火災により本堂等が焼失。再建するも昭和20年(1945年)の東京大空襲空襲で本堂内部が焼失します。戦後、昭和28年(1953年)に堂内部が再建されます。昭和40年(1965年)に浅草本願寺から東京本願寺へと改称します。

 

ここで宗派の騒動が勃発。本願寺と包括関係にあった真宗大谷派からの独立し関係を解消することになります。昭和56年(1981年)、東京本願寺は東京都知事の認証を得て独立したのです。そして昭和62年(1987年)に京都の宗教法人本願寺が法的に閉鎖消滅させらせます。その事態を憂いて昭和63年(1988年)に東京本願寺は全国の賛同寺院とともに「浄土真宗東本願寺派」を結成し東京本願寺が本山と定められることになります。21世紀に入った平成13年(2001年)に現名称である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が文化庁より認証され、東京本願寺から現在の名称に変更されたのです。なお120mという大きさで有名な茨城県の牛久大仏は本山東本願寺によって造られたものです。

 

ざっと歴史を書き出しましたが宗派のお家騒動があったことなど今まで知りませんでした。まして牛久大仏を造った寺だとは。親鸞聖人と法然上人との関係。本願寺の成り立ち。東本願寺と西本願寺の分裂。東京本願寺と築地本願寺の関係。お家騒動。詳しく調べるともっと多くのことが分かることでしょう。築地本願寺にも行ってみたくなりました。

 

このような歴史を踏まえて今の本山東本願寺をみるとまた気持ちが変わります。幾度となく移転、焼失、再建を繰り返して今に至る。浅草にある寺のほとんどは東京大空襲、関東大震災、明暦の大火の被害を受けていることが分かりました。それらの苦難を乗り越えて令和の現代まで残っていることに感動すら覚えます。現在の本山東本願寺は本堂の立派な装飾や親鸞聖人像や蓮如上人像が目を引きます。神社もそうですがお寺のことを調べると知らなかった歴史を知ることができます。

 

甲野 功

 

 

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