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先日、京都の保津川下りで転覆事故が起きました。京都は本当に好きな場所なので悲しい事故に心が傷みます。
実はこの保津川下りをしようとして中止になった経験があるのです。もう10年以上前のことです。嵐山からトロッコ列車に乗り。帰りは保津川下りで戻ってくる予定でした。トロッコ列車に乗っているときは良かったのですが、亀岡駅に着くころには天気が急激に悪化。大雨になったのです。待ったのですが保津川下りは中止という発表がなされました。このとき初めてゲリラ豪雨という言葉が生まれ、死者が出るほどの集中豪雨でした。そのような経験があったので少々他人事ではありません。
突如の大雨で靴の中までびしょびしょに濡れた状況で嵐山まで電車で戻り、拝観したのが天龍寺でした。どんよりとして落ち込みながら天龍寺で雨宿りをしたのでした。
今回は京都五山第一位、天龍寺を紹介します。
<世界遺産|京都 嵯峨嵐山 臨済宗大本山 天龍寺 公式ホームページ>
天龍寺は過去三度訪れています。京都は大好きでこれまでに何度も訪問していますが、あれだけ観光スポットが目白押しの京都で3度も行くというのはなかなかありません。関西在住ではありませんから、相当な時間と交通費をかけて行く京都。当然行く場所は吟味します。
初めて天龍寺を訪れたのは高校3年生の春。部活の同級生2名と卒業旅行でした。高校は山岳部でした。同期5名のうち私を含めた3名が幕末好き。正確には日本史が好きでしたが主に戦国時代に偏っていた私を、残り2名が幕末も面白いぞと色々と教えてくれて私を幕末好きに変えていったのです。ちょうど少年ジャンプで『るろうに剣心』が大ヒットしているときで京都幕末編が盛り上がっていました。そういう事情で卒業旅行は幕末を巡る旅に。高知と京都を巡ったのでした。前半の高知はもちろん坂本龍馬をはじめとした土佐藩の志士たちを。後半の京都は明治維新の中心地として。
京都のどこを巡るかということで、当時の私は寺にも神社にも興味がなく同級生に行き先を委ねていたのです。ですからどうして天龍寺に行ったのか理由はよく分かっておらず、ついて行ったら天龍寺についたという感じでした。今では考えられませんが。この高校卒業旅行で一気に神社仏閣巡りに興味が生まれたのです。この体験がなかったら今のようなことは無かったでしょう。京都自体が初めてで(中学も高校も修学旅行は別の場所でした)、その歴史と景色と文化に魅了されます。卒業直前に國學院高校生らしい心境になったのでした。
そして二度目の天龍寺訪問はとても辛い思い出に。
もう一度気持ちをはっきりさせる意味もあり、昨年の春に単身天龍寺に向かったのでした。三度目の正直。しっかりと見てきました。
京都嵐山にある天龍寺。側には渡月橋。世界屈指の観光地京都においても人気エリアです。かつての天龍寺は広大な敷地を誇り、これらの景勝地は全て天龍寺境内だったといいます。今でも相当な広さを誇りますが、かつての10分の1だといいます。あの10倍の敷地だと思うと気が遠くなるほど。臨済宗の禅寺で、臨済宗天龍寺派の大本山になります。京都五山という京都にある臨済宗の5つに寺で構成させたものがあります。鎌倉にも鎌倉五山があり当初は混ざっていたのですが現在は京都五山、鎌倉五山と各5つの臨済宗のお寺があります。現在の京都五山は南禅寺を別格として、第一位天龍寺、第二位相国寺、第三位建仁寺、第四位東福寺、第五位万寿寺、としています。天龍寺は京都五山の第一位という格式というわけです。(※ちなみに鎌倉五山は第一位から順に建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺です。)ユネスコ世界文化遺産にも登録される世界的にも評価されるお寺です。
創建は暦応2年(1339年)で比較的最近のこと。天龍寺の開基(創立者)は足利尊氏で開山(初代住職)は夢窓疎石。室町幕府を創った足利尊氏が政敵であった後醍醐天皇を弔うために建立しました。天龍寺は足利家と深い縁があります。敵対した後醍醐天皇のためというのがドラマチックです。菅原道真、平将門、崇徳上皇を日本三大怨霊と呼ぶことがありますが、非業の死を遂げた人物はきちんと弔わないと災厄を受けるというのが我が国の歴史。また神社、お寺を再建することが施政者にとってご利益があるとされ、実施されてきました。天龍寺の始まりもそのような歴史的背景を感じます。
個人的な話ですが、日本史が好きな方だと思うのですが主に戦国時代、幕末、近代に知識が偏っています。鎌倉幕府から室町幕府あたりはよく分かっていません。それが最近、子どもの影響で少年ジャンプを毎週買っており、『逃げ上手の若君』という作品を読んでいます。これは足利尊氏に滅ぼされた北条家の北条時行が主人公の作品。史実をベースに描いているので勉強になっています。これまでよく知らなかった北条氏、楠木正成、足利尊氏などのことが身近になっています。
歴史があるお寺ならば必然かもしれませんが、天龍寺は幾度と火災に見舞われました。大きなものでも8回。木造建築ですから仕方ありませんが、この回数は相当なもの。そこには応仁の乱、蛤御門の変という歴史的騒乱によるものが含まれています。その都度再建を繰り返して今の姿が残っているわけです。
境内には色々な建物や景観がありますが、特に目立つ建物をいくつか紹介します。
・法堂
幕末の争乱、元治元年(1864年)の火災で焼失し、その後明治になり雲居庵禅堂(選佛場)を移築したものです。屋内の天井には素晴らしい雲龍図が描かれています。八方睨みの龍で下から眺めるとどの位置からも龍と目が合うというもの。堂内には釈迦三尊像、光厳上皇の位牌、開山した夢窓疎石、開基の足利尊氏の木像が祀られています
・庫裏
明治32年(1899年)に建立されました。大きな三角形の屋根が特徴です。中に入ると正面に大きな達磨図があります。雲竜と並び天龍寺の特徴になっています。
・方丈
庫裏に入り左に進むと方丈に繋がります。大方丈と小方丈からなり素晴らしい庭園、池をみることができます。大方丈には正面と背面に幅広い縁側があり、座って庭園を眺めることができます。その長さは京都の中でも広いものだと思います。過去に大雨の中、この縁側で庭を眺めた記憶が蘇ります。小方丈の先には屋根付きの廊下が伸びています。その景色は日本らしいもので大好きです。
・多宝殿
小方丈から屋根付きの廊下を進むと多宝殿に着きます。昭和9年(1934年)に建築されたもので、後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式と伝えられます。
嵐山駅、渡月橋、駅前の商店街。それらを含めて嵐山エリアの中心にあるのが天龍寺と言えるでしょう。かつての10分の1になったとはいえ、今でも広大な境内を誇っています。京都にある他の名刹と異なりほぼ平地ですから上り下りがありません。嵐山駅からも近いので観光しやすいです。
甲野 功
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