開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~神田明神~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 神田明神
神田明神

 

 

東京というか江戸を代表する神社と言えば?と問われると名前が上がると思われるのが神田明神ではないでしょうか。知名度でいうと靖國神社や明治神宮の方が上かもしれませんが、歴史はかなり浅くなります。江戸時代から彼の地を護ってきた神社というと神田明神となるのではないでしょうか

 

江戸総鎮守 神田明神

 

場所はJR他御茶ノ水駅が最寄り駅になります神田駅ではないのです。むしろ秋葉原駅の方が近い。余談ですが東京都千代田区の“神田”という地域は結構広いのです。古本街でとても有名な神保町。地下鉄神保町駅が最寄り駅なのですが、地名の関係で「神田古本まつり」という名前のイベントが開催されます。この名称から勘違いしてイベント開催時に神田駅に来てしまう人が結構います。20年以上前ですがJR神田駅前でビラ配りをしているときにたくさんの人に、古本まつりはどこでやっているのですか?、と道を聞かれたものです。神田という名前がつく神社という事は、江戸時代の中心地を広くカバーしているということになります。具体的には現在の千代田区神田エリアのみならず、日本橋、秋葉原、丸の内、豊洲市場まで含む、氏神様なのです

 

実は正式名称は『神田神社』で神田明神は通称になります。江戸時代は江戸総鎮守として信仰を集めた神田明神。明治に入って名称が神田明神から神田神社に変更になります。それまでの歴史から神田明神の方がよく知られていて通り名として残っているわけです。

 

御祭神は3柱います。通称で、だいこく様えびす様まさかど様、です。

一之宮の御祭神が大己貴命大国主命と同一視される縁結びの神様、だいこく様です。

二之宮が少彦名命。えびす様とも言われる商売繁昌、医薬健康、開運招福の神様。小さな姿が特徴です。

三之宮が平将門命。実在した武将、平将門です。まさかど様。

 

この3柱をみると興味深いと思いました。だいこく様は出雲系の神様須佐之男命の系列です。須佐之男命は姉の天照大神の怒りを買って高天原から追放されます。地上に住みつき国津神の祖になります。その後天照大神の孫が高天原から地上に降り(天孫降臨)し天津神一族が国津神から国譲りをして地上を支配することに。天照大神の流れを汲むのが現天皇家と神話でなっています。また平将門は当時の天皇に謀反を起して斬首された武将だいこく様とまさかど様は天皇家と対立した関係にあるのです

 

神田明神ホームーページの歴史を読むとこうあります。

社伝によると、当社は天平2年(730年)に出雲氏族の真神田臣により武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。その後、将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶2年(1309年)当社に奉祀いたしました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。

つまり始まりは出雲族の者が将門の首塚近くに創建したことだったわけです。明治になり平将門公は御祭神から外されてしまうのですが昭和59年(1984年)に復活しています。これは明治7年(1874年)に明治天皇が神田明神を行幸する際に逆臣である平将門が祀られているのはあるまじきこととされ、御祭神から外されたのです。そして平将門の代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請されたのでした

 

神田明神は時の武将たちに慕われて反映します。特に徳川家康は関ヶ原の戦の前に戦勝祈願を行います。江戸幕府が開かれたのち、元和2年(1616年)に江戸城の鬼門(北東)にあたる現在の地に遷座することになります。鬼門には上野の寛永寺も置かれており、神田明神(平将門)とともに結界を作ったと言えるのではないでしょうか。

 

明治に神田神社となったのち、大正12年(1923年)に起きた関東大震災により社殿が焼失。昭和9年(1934年)に鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されます。昭和20年(1945年)の東京大空襲では、境内に焼夷弾が落ちたにもかかわらず本殿・拝殿などは焼失を免れました。社殿国登録有形文化財となっており荘厳な姿を令和の今にも残しています。

 

立派な隨神門は昭和50年(1975年)に昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建されました。非常に凝った造りで様々な工夫が施されています。その素晴らしさは日光東照宮の陽明門に通じるものを感じます。

 

境内には御祭神であるだいこく様尊像があります。随神門再建の翌年、昭和51年(1976年)に完成。高さ6.6メートル重さ約30トンという石造りとしては日本一の大黒像です。

 

他には個人的に興味のある国学発祥の碑。国学とは荷田春満(1669〜1736)により江戸において始められた学問のこと。荷田春満は伏見稲荷大社神職の出です。碑は国学の発祥を記念して昭和53年(1978年)に建立されました。協賛に國學院大學が入っており、國學院高校卒としては目をとめてしまいます。

 

そして境内には摂末社がずらっと並びます。摂社や末社は小さな祠だけというところも少なくないのですが神田明神はどれもしっかりとした社です。祖霊社籠祖神社金刀比羅神社日本橋魚河岸水神社、三天王(江戸神社大伝馬町八雲神社小舟町八雲神社)、三稲荷(末廣稲荷神社三宿稲荷神社浦安稲荷神社)。それぞれ興味深いです。特に江戸神社はかつての江戸城内で最古の神社になるそうです

 

他にも銭形平次の碑獅子山など様々なものが境内にあります。そこまで広くないのに。ぎゅっと詰まっている印象を受ける神社です。

 

甲野 功

 

★ご予約はこちらへ

電話   :070-6529-3668

メール  :kouno.teate@gmail.com

LINE :@qee9465q

 

ご連絡お待ちしております。

 

こちらもあわせて読みたい

院長が訪れた神社や寺院について書いたブログはこちら→詳しくはこちらへ