開院時間
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富岡八幡、あるいは深川八幡という神社をご存知でしょうか。
私は都市伝説が好きで月刊ムー(日本一のオカルト雑誌)をたまに購入するほどです。その他にも書籍やテレビ番組、YouTube動画などで気になった都市伝説らしき話があるとチェックしています。そのような話題で以前、富岡八幡宮の宮司が殺人をしたという事件を知ります。犯人も被害者も宮司であり互いに血縁関係にありました。犯人は犯行後に自殺するというものでした。その前から色々な問題が噴出していたようですが、神職による殺人事件ということに様々な都市伝説がささやかれたものでした。
最初のきっかけはネガティブなものでしたが由緒ある神社であることは変わらず。いつか訪れたいと思っていたところに行く機会が年明けにありました。
八幡ですので当然、御祭神は応神天皇(誉田別命)となります。相殿神として神功皇后、仁徳天皇、天照皇大神、常磐社神、武内宿祢命、日本武尊、天児屋根命、竈大神に8柱がいます。深川の八幡様と親しまれ江戸最大の八幡様として知られています。例祭は「深川八幡祭り」とも呼ばれ、赤坂日枝神社の「山王祭」、神田明神の「神田祭」とともに江戸三大祭の一つに数えられています。立派な神輿が境内に保管されています。
創建は寛永4年(1627年)。当時は永代島と呼ばれていた現在地に横浜市にある富岡八幡宮(創建1191年)から分霊されて創建されました。八幡様を崇拝した将軍徳川家の手厚い保護を受けて発展します。
現在は都営大江戸線、東京メトロ東西線の門前仲町駅から徒歩数分のところ。永大通りから向かいます。そばには深川不動尊があります。いわゆる下町で大鳥居から参道が続いています。
富岡八幡宮の境内には様々な見どころがあります。
大鳥居をくぐってすぐの左手には伊能忠敬の銅像があります。伊能忠敬は江戸時代に日本全国を測量して詳細な地図を作りました。その正確さは当時としては驚異的で近代日本地図の祖と称されます。伊能忠敬は近くの黒江町(現在は門前仲町1丁目)に住んでいました。寛政12年(1800年)に富岡八幡宮に参拝したのち、暇夷地(現在の北海道)へ測量の旅に出ます。都合10回の測量旅行をしており、8回目までは出発のたびに必ず富岡八幡宮に参詣して無事成功を祈念したといいます。
伊能忠敬は個人的に興味がある人物で彼の功績を特集したテレビ番組を観たときに感動で泣いてしまったことがあります。満足な交通手段も測量機器もない中で、自らの足で現地を巡り数学を用いて測量したことに興味があがります。
伊能忠敬像のとなりには神輿庫があり立派な神輿が保管されています。その姿はガラス越しから確認することができます。江戸三大祭に出る神輿が2基飾られています。一の宮神輿は台輪幅1.5メートル、屋根幅9尺2.9メートル、高さ4メートルを超えます。かつぎ棒を含めると4.5トンという重量。鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンドの装飾がされています。二の宮神輿も隣にあります。巨大な神輿は荘厳な姿を見せています。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。江戸時代、相撲興業はトラブルが多くしばしば禁令が出ていましたが、禁令が緩み貞享元年(1684年)に幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許可されることになります。それが行われた場所が富岡八幡宮の境内でした。以降約100年にわたり本場所が富岡八幡宮で行われました。江戸勧請相撲は後に大相撲となります。そのため相撲にまつわる石碑が右側に並んでいます。摂社には野見宿禰神社があり、相撲の始祖である野見宿禰を祭っています。
土地柄、関東大震災と東京大空襲の被害を受けてきました。とくに昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲では社殿が焼失します。3月18日に空襲罹災地巡幸のために昭和天皇が富岡八幡宮境内を訪れており、昭和天皇の記念碑があります。現在の社殿は昭和31年(1956年)に鉄筋コンクリートを使用したものなっています。いわゆる下町エリアにある神社、お寺には関東大震災と東京大空襲の影響を受けているものが多いです。近代のこの二つの災難から逃れて江戸時代から残る史跡は貴重であることが分かります。
江戸最大の八幡様、富岡八幡宮。文化に根付いた神社です。
甲野 功
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