開院時間
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
私は東京都新宿区が出身で今でも住んでいて職場も同じです。地方の方から、新宿に人が住めるところがあるの?と聞かれます。新宿駅周辺の歌舞伎町や都庁を想像するのでしょう。新宿区には新宿駅が含まれますが、もちろん新宿駅周辺だけが新宿区ではありません。神楽坂も高田馬場も四谷も大久保も新宿区なのです。そして私の母はというと、出身が東京都港区赤坂なのです。新宿区育ちの息子ですら、赤坂が実家?という気持ちになります。港区となると更に人が住めるのか?という疑問が出てくるのです。母が生まれた頃の赤坂は今のような状態ではなく、家から富士山が見えたといいます。戦後の焼け野原だったため。今でも叔父(母の弟)が赤坂に住んでいますから、赤坂はルーツの一つです。
母の実家、その氏神が赤坂氷川神社です。幼少期に境内で遊んだといいます。また私たちが結婚するときに式場の候補として見学に行った場所の一つが赤坂氷川神社なのです。駅からやや遠い、披露宴は別会場に移動することになる、文化財のためエアコンが式場についていない、という条件から式場には選びませんでした。12月の挙式では条件が厳しいと思ったからです。
今回は何かと縁のある赤坂氷川神社を紹介します。
東京キー局、TBSから歩いて数分のところ。首都高速がそばを通る都心の一等地に赤坂氷川神社があります。それほどの場所に残っているということはそれだけ格式高く、地元で大切にされている証拠です。東京十社に数えられます。氷川神社は全国にあり、かつ同じ港区の白金の白金氷川神社、元麻布にある麻布氷川神社と区別するため赤坂氷川神社としています。氷川の名称の由来は出雲国簸川(現在の島根県斐伊川)にあるとされ、簸川の上流は素盞嗚尊(すさのおのみこと)の「八岐大蛇退治(やまたのおろちたいじ)」の舞台とされています。天暦5年(951年)、蓮林僧正が一ツ木村(現在の赤坂4丁目付近)で一夜を明かすと、夢中で御祭神のお告げがあり、氷川明神の社殿を建て祭ったことが始まり。1000年以上の歴史があります。
江戸時代中期の享保元年(1716年)、紀州徳川家の吉宗が8代将軍職を継ぐことになります。このとき紀州藩の中屋敷が赤坂にあったことから氷川明神への尊信が高まります。享保14年(1729年)に徳川吉宗は老中水野忠之に命じてその地に社殿を造営させます。翌享保15年(1730年)に現在の土地へ遷座が行われ、吉宗直々に参拝します。それ以降、14代徳川家茂までの歴代将軍の朱印状が下付され、「厄除」「縁結び」の鎮守神として、より一層信仰を高められました。
御祭神は以下の三柱
・素盞嗚尊
・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
・大己貴命(おおなむぢのみこと)(別名/大国主命)
素盞嗚尊は天照大御神の弟で不祥事を働き高天原を追放された後に八岐大蛇を退治したことで非常に有名です。八岐大蛇から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は三種の神器のひとつ「草薙剣」として熱田神宮に奉納されています。奇稲田姫命は生贄として八岐大蛇に捧げられるところを素盞嗚尊に助け出されました。2柱の神様は結婚し島根県の出雲に宮殿を構えます。大己貴命(大国主命)は素盞嗚尊と奇稲田姫命の子孫で出雲大社の御祭神でもあります。よって赤坂氷川神社は出雲系の神社です。私が結婚式会場を避けた理由に御祭神が素戔嗚尊というのがやや引っ掛かり、後半は英雄ですが前半は完全な乱暴者で罪人であるエピソードが結婚式にはちょっとと思ったのです。
境内は広く、見どころ満載です。TBSの方から氷川坂を進むと鳥居が現れます。そこから緑に囲まれた参道を進みます。狛犬と鳥居があり、周囲を緑が覆います。その景色は港区赤坂とは思えません。その先に進むと左手にはうっそうとした森があり、太鼓橋があります。石がたくさんある原生林のようなところ。参道の右側には四合稲荷(しあわせいなり)があります。明治31年(1898年)にこの付近に鎮座していた古呂故稲荷、地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の4社を合祀しました。その際にかの勝海舟により「四社を合祀」、幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ、四合稲荷と名付けられました。勝海舟は幕末に活躍した幕臣で西郷隆盛との会談により江戸城無血開城を実現させた偉人です。その周りには西行稲荷があります。西行五兵衛という男が甲冑を身にまとい弓矢を携えて狐に乗った姿の鉄の像を拾い、御神体として安置したことが創建の由来とされ、「火伏の稲荷」として信仰されてきました。右側も稲荷社あり祠ありと得も言われぬ雰囲気があります。
参道の階段を上っていきます。獅子塚のような狛犬と鳥居が待っています。鳥居をくぐった先には包丁塚。包丁塚とは、料理人の使い古した包丁を納め、その恩恵に感謝するとともに調理した動物や魚の霊を慰めるもの。昭和49年(1974年)に赤坂青山料飲組合により建立されました。包丁塚の先には港区天然記念物の大銀杏があります。推定樹齢400年、幹周囲は約7.5m。その姿は圧巻です。その周りは公園になっていた子どもが遊べるようになっています。母も幼い頃遊んだのでしょう。
そして社殿です。安政の大地震、関東大震災、東京大空襲など数々の災害から奇跡的に免れ、徳川吉宗建立当時の姿を残しています。昭和51年(1976年)に東京都の有形文化財(建築物)に指定をされた名建築。朱色の立派なもの。周囲には石灯籠が置かれています。境内にある石灯籠4基は港区登録有形文化財に指定されています。狛犬と石灯篭は境内に7対・7基あり境内の広さを考えると数が多いのです。他にも九神社といってかつて境内各所に鎮座していた天祖神社、春日神社、鹿島神社、八幡神社、諏訪神社、秋葉神社、厳島神社、金刀比羅神社、塞神社の9社を合祀した神社があります。
細かくみるとまだまだ注目するところがあるでしょう。幕末が好きなので勝海舟縁の神社という点も見逃せません。何より港区赤坂にいまだにこのような自然豊かな文化財が残っていることが一番の注目です。同じく赤坂にある山王日枝神社はかなり現代化が進みアスファルト、コンクリートで舗装されているところが多いのです。赤坂氷川神社は江戸時代の風景を令和の現代に残しているのです。
甲野 功
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