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~鍼の話 中毒性はあるのか~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 鍼治療の様子
鍼治療の様子

 

 

鍼治療に中毒性はあるのか

 

たまに耳にする言葉ですが、鍼は癖になる、という。依存するようになる、というニュアンスです。それは中毒性という意味を含んでいて、どちらかというとネガティブな使い方。例えると、痛み止めは癖になるからあまり服用するな、という感じ。果たしてそのようなことが実際にあるのでしょうか。

 

はり師になって15年くらい。それなりにキャリアを積んできて私の実感で鍼に中毒性があるとは一度も感じたことはありません。自分自身が鍼を刺されることが大嫌いで鍼灸専門学校に入ったことも関係するでしょう。同級生には鍼灸に心酔している人もいました。シビアに今後の仕事にプラスなると割り切って入学してきた柔道整復師持ちもたくさんいました。私はというとあん摩マッサージ指圧師免許を取るために鍼灸も一緒に取ることができる本科(鍼灸マッサージ科)を進学先として選んだに過ぎず、完全におまけに取っておこうかな、という感覚だったのです。そのため鍼灸学生時代に鍼の素晴らしさを体感したことはありません。学外の鍼灸院に体験しに行ったこともありません。現在の当院に学生が鍼灸を受けに来る状況からするとおかなしな話ですが、本当に鍼から距離を置いていました。

はり師免許を取得しても受け手としてその良さを実感することはなく。臨床で鍼治療の効果を大いに実感して真剣に向き合うようにはなりましたが。鍼が効いたなと感じたのは鍼灸師になって6年目、鍼灸マッサージ教員養成科時代に実技授業で同級生の鍼を受けたときが初めてでした。そのときも率直に、癖になるという考えは一切及びませんでした。鍼灸師として働きながら自己否定するようなものですが、本心でそうです。その後、年齢を重ねていくと体が鍼治療に馴染んでいき、あじさい鍼灸マッサージ治療院を開業後は勉強と交流を兼ねて他の鍼灸院に行くようになりました。それでも中毒性があるとは思えませんでした。

 

そして最近になり、もしかしたら強刺激が鍼の中毒性を生むのではないのか、という考えが浮かびます。ある患者さんに以前受けていた鍼は凄く強くて、甲野先生の鍼は優しいですね、という感想をもらいます。それは暗にもっと強い刺激がいいな、と言っているように感じました。はり師は様々なポリシーを持っています。

刺す鍼の本数が少なければ少ないほど患者さんに負担を与えず、それで効果を出すのが名人芸。

本数が多ければ多いほど患者のため。

No pain,No gain、痛み無くして効果なし。しっかりと響かせないと意味が無い。

刺さない鍼、優しい鍼が相手への愛。

パルス(低周波鍼通電)でガンガン筋肉を動かすのがよい。

これらのような主張が飛び交います。私はというと、元々鍼が嫌いだったため、ドーゼオーバー(刺激量過多)に注意をはらい、鍼が苦手そうなら細い鍼、浅めの鍼を心がけて最悪刺鍼をしないという選択をします。もちろん強い刺激にすることはできますが好んでしようとは思いません。そうしないと効かないだろうと判断すれば、本数を増やす、太い鍼を使用する、深く刺す(安全な範囲で)、パルスを強出力でかける、といったことをします。

 

強刺激の鍼に体が慣れてしまうとその刺激がないと満足しない。それが癖になる=中毒性に繋がるのではないか。強い刺激でないと満足しないというのは、生体の閾値が上がっているということ。閾値とは、その値を超えないと感覚が受容しない刺激量というものです。試験で言うと、60点以上で合格・59点以下で不合格、だとしたら60点という得点が閾値にあたります。0点だろうが40点だろうが59点だろうがそれは一律不合格。60点を越えていれば100点でも合格であることは変わりません。閾値が高くなるというのはこの合格ラインが上がるという事で、60点とれば合格だった試験が80点取らないと合格にならない、90点取らないと合格にならないということ。例えば最初はテストで40点を取った子どもを褒めていた親がだんだん60点取らないと褒めない、80点取っても当然だからといい、90点を取ってもなぜ100点取れないのだと叱る。このようなイメージです。子どもが閾値が上がる(=親の褒めてくれる点数が上がっていく)ことでどんどん点数を取らないといけなくなり、親は高得点でないと納得しないようになっている。鍼刺激でも似たようなことが見受けられます。

鍼灸学生さんが来てパルスの体験をさせたことがあるのですが、その学生の師匠にあたる人が強いパルス出力を好むそうで、相当な刺激量をしないと満足しませんでした。もっと出力を上げてくださいと連呼する。感覚受容器がおかしくなっていないかと私は心配になりました。辛い料理が好きでどんどん辛い味付けを好むようになっていくような。一種の中毒性なのかなと思います。

 

また更に考えました。刺激量とは別に、依存させることによる中毒性。鍼灸はときに宗教だと揶揄されます。まっとうな宗教団体に対して失礼な話ですが、鍼灸は一種のカルト宗教であり根拠のない信奉で成り立っているにすぎない、という批判です。医学的な根拠(エビデンス)が乏しく、鍼灸師の誰がやっても同じ効果を出せるわけでない(再現性の問題)、やり方が個々に違い過ぎる。気とか経絡とか脈とか客観性のない(数値化できない)要素を持ち出す。このような不確かさから悪い意味で宗教と言われてしまう。もちろん厚生労働省(国)が管轄する国家資格免許である以上、全く効果がないものではありません。学会や大学、研究所で日々研究がされています。経験則で構築された理論も科学的裏付けがだせるのではないかと奮闘している人々がいます。そのような取組みとは別の話で、悪い意味で患者さんを言いくるめて依存させるというケースも無きにしも非ず。基本的に何か困ったことがあって来院する患者さん。専門知識を駆使して来院を続けないといけないように思わせる。

必要があって来院を継続することは大事ですが、続けないといけないように、いわば洗脳する、することはあってはならないこと。そうなのですが、ときに営業テクニックとか、院の方針だからとか、患者様のためだからとか、自己中心的な理由で来院を継続させる、依存させることがあるのです。それは形を変えた中毒性なのではないでしょうか。そのように考えます。私はそのような考えが嫌いで、嫌悪感を覚えます。そのため本当に必要でなければ次も来なさいとは患者さんに言いませんし、予防のためにも来た方が良いと感じても患者さんの自主性に任せるようにしています。経済的、立地、生活環境によって叶わないことがあるでしょう。

 

経営の観点からすれば鍼治療の中毒者を増やせば儲かります。自分に依存させてうちの鍼が無いと生活できないようにすれば、大いに潤うことでしょう。しかしそれは倫理に反すると思います。鍼は癖になる、中毒になるという話はそのように仕向けていることがあり、実際にそうなっているのではないかと思ってしまいます。信頼されて常連になってくれることと、依存させることは別物。前者は患者さんの能動的な感情からで、後者は術者側による施策。また不必要に頻回の鍼治療を求められる場合は術者側が制御して適正回数にする方がいいでしょう。あるいは刺激量を調整するか。

中毒なのか信頼なのか。鍼治療の中毒性について考えるとはり師の倫理について考える結果になりました。

 

甲野 功

 

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