開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
ずっと旅ロケ番組では人気のエリア、箱根。神奈川県という東京都の隣の県でありながら自然豊かな観光地で常にテレビ番組に取り上げられています。その多くが箱根湯本駅前の川にかかる橋からロケがスタートし、箱根湯本駅前の商店街を歩いていくパターン。ここ2年くらいで、特に紹介されると思うのが「箱根てゑらみす」です。ひらがな表記で分かりづらいですがティラミスです。ティラミスを中心としたスイーツを販売するお店です。この箱根てゑらみすの人気が凄くて、本当によく取り上げられています。
私達家族もここのティラミスのファンです。今年、子どもと箱根に行った際に、よくテレビで紹介されるなと気になっていたので食べてみたのです。その味に驚き。家族のお土産に買って帰ったらみんな喜びました。それから箱根に行くと食べて持ち帰るようになります。コロナ禍にオープンして、今や箱根を代表するお店になりつつあると思っています。
ティラミスをてゑらみすと表記するのはなぜなのでしょう。ホームページによれば、箱根を照らすという意味をかけているのだとか。本場イタリアではティラミスはしょんぼりしている時に食べると元気になる特別なスイーツだそう。食べた人を元気にする、箱根を元気にする、という意味が込められています。大変だった時期にオープンしたことも関係しているのかもしれません。箱根てゑらみすがある場所は駅から近い商店街の路面店。アーケードになっている側。とても条件が良い立地です。そう簡単にテナントが空くところではないと予想できます。
看板商品はもちろんティラミス。ガラス瓶に入っています。そのため持ち帰るには重たいのが難点。その代わり型崩れしませんし、透明で中の層が目で見てわかります。実はティラミスが好きな私は、色々と食べてきました。ティラミスが大ブームになったときは、ブームに乗るがダサいと感じるお年頃で一切食べなかったのですが、ブームが去ってどこでも売っている商品として定着した段階で食べてみたらとても美味しくて好きになりました。それからデザートを食べるときは高確率でティラミスを選ぶようになりました。その中でも箱根てゑらみすのティラミスは相当な美味しさです。長女と食べた時のインパクトが強く、その場でお土産に買おうともう一度列に並んだものでした。先月の一人箱根旅行でも家族分のお土産として購入しました。
美味しさの秘密は同じく箱根にある「そうけい珈琲」で焙煎されたコーヒー豆を使っているからだそう。
こちらは自家焙煎工房のコーヒー専門店。箱根登山電車入生田駅のそば、生命の星・地球科学館の近くにあります。昨年、次女とその前を通っていました。コーヒーにあまり興味がなく、かつ大雨だったので気づきませんでした。地元の商品を材料に使っていることも箱根てゑらみすの美味しさの秘訣なのですね。
一般的なプレーンのティラミスはもちろん、味のバリエーションが多く、季節限定品もあるので、次はどれにしようかなという楽しみがあります。またソフトクリームも人気でその場で食べる場合はソフトクリームを選ぶお客が多いようです。我が家はティラミス派です。
また目を引くのがキャラクター。線画ですがおじさんなのです。若者をターゲットにしているであろうお洒落なティラミス専門店でキャラクターがおじさんとは。味わい深いタッチですが疑問でした。しかも実は3名もいたという。最初は一人だけだと思っていたのですが、よくみると3パターンあったのでした。調べてみると箱根にゆかりのある偉人だったのでした。それが福沢諭吉、渋沢栄一、増田孝のお三方。福沢諭吉は慶応義塾大学創設者で現1万円札のデザインになっています。渋沢栄一は大河ドラマに採用される企業家で次期1万円札のデザインになります。そして益田孝。この人については知りませんでした。初めて見る名前です。また福沢諭吉、渋沢栄一が箱根と縁があることも知りませんでした。それを調べてみました。
まず福沢諭吉。古くから箱根は人気の高い温泉地でした。太閤の湯という豊臣秀吉が入ったとされる温泉も残っています。ところが当時は交通の便が悪かったため、福沢諭吉は、今インフラ整備に投資をしておかないと、今後箱根温泉はさびれていくだろうと考え、足柄新聞に提言書を送りました。それがきっかけとなりインフラ整備が進んだのでした。
渋沢栄一は明治時代に仙石原に耕牧舎という牧場を開き、当時最先端の西洋式大牧場を経営します。その後、別荘地の分譲や大涌谷温泉の造成・供給事業へと経営方針を転換し、箱根温泉供給株式会社の設立にも尽力。渋沢栄一は箱根の観光開発に大きな役割を果たしました。
そして益田孝。幕末から昭和初期を生きた実業家。明治維新後、三井物産創設に関り、日本経済新聞の元となる中外物価新報を創刊しました。茶人としても有名で「千利休以来の大茶人」と称されました。小田原板橋に別邸「掃雲臺」を造営し数多くの茶席を建てたことにより、小田原・箱根へ茶人が集まるきっかけとなります。箱根強羅公園内の白雲洞茶苑は益田孝によってはじめられました。
箱根に新しくできたティラミスを食べて感動した結果、箱根と関わった偉人のことも知りました。何が学びになるか分からないものです。
甲野 功
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