開院時間
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
昨日は患者さんが出演する舞台を観劇しました。場所は当院からもそう遠くない文学座アトリエ。今回が文学座有志による自主企画公演で主催が「ナミマノチドリ」でした。
まず「文学座」とは。今回で4回目の観劇になるので私にとってはお馴染みですが知らない方にも軽い説明を。戦前の昭和12年(1937年)に久保田万太郎氏、岸田國士氏、岩田豊雄氏(=獅子文六)の文学者の発起によって創立されました劇団です。「真に魅力ある現代人の演劇をつくりたい」、「現代人の生活感情にもっとも密接な演劇の魅力を創造しよう」という創設理念があります。有名劇団であり簡単に劇団員にはなれないそう。誰もが知る俳優もこの文学座出身ということもあります。
そして文学座の稽古場であり劇場であるのが「文学座アトリエ」という建物。東京都新宿区の信濃町にあります。JR総武線信濃町駅と東京メトロ丸ノ内線四谷三丁目駅の間、すぐ近くに慶応大学病院があるところです。昭和25年(1950年)に竣工した歴史的建造物で新宿区地域文化財に登録されています。
主催ナミマチドリによる文学座有志の自主企画公演を文学座アトリエで行いました。タイトルは『宮城野/ひまわり』です。
今回は2部構成になっていて最初に『宮城野』という作品を公演。休憩をはさんで『ひまわり』という別の作品が公演されます。患者さんが出演するのは後半の『ひまわり』です。
まず前半の『宮城野』。当日看板で知ったのですが、当初出演を予定していた俳優さんが体調不良のため降板しためリーディング公演に変更したのです。実際に舞台を観てみると、二人の男女がほぼずっと座った状態で会話をしています。女性の方は男性の方に顔を向けず目の前のカンペのようなものを読んでいます。私は最初、女性が演劇の練習をしていてそこに男性がその練習に付き合っているのかと思いました。ところが互いに会話が成立しています。一体何をしているのだろうか?頭の中は疑問だらけです。パンフレットのあらすじから、宮城野というのは地名ではなく(箱根に宮城野という地名があることを知っているので地名だと最初思いました)人名で女性のこと。そこに江戸自裁の浮世絵師・写楽の弟子だという矢太郎の会話です。帰宅して調べて分かったのですが、リーディングというのは俳優が舞台上で台本を読みながら行う劇のことだそう。朗読劇よりも実際の演劇に近いのだとか。つまり宮城野を演じる俳優は本来の行う人ではなく、急遽代役となったため、台本を舞台に持ち込んでのリーディング公演になったということでした。リーディングの意味が分からなかったのでポスターにあった注意書きの内容が理解できず、よく分からないまま劇を観ていたのでした。どうりで女性の方は何度か台詞を間違っていたわけだと納得しました。
文学座の劇はとにかく台詞が多いです。その分、台詞が淀みなく出てきます。当然のことかもしれませんが台詞がつかえる、噛むということがまずありません。珍しいなと思いましたし、演劇の練習をしているから敢えて間違えてしまう演出なのかとも思いました。
なおこの『宮城野』という作品は2008年に映画化もされていて演劇界では有名なのかもしれません。演劇界の知識がほぼ無いのでその事実を知りません。満席の観客でしたが、皆さんストーリーを分かった上で観ているのでしょうか。
休憩をはさんで『ひまわり』です。こちらは現代劇で舞台は日本。全体を通してコメディ劇なのですがサイコパスでありサスペンスだったというのが感想です。色々なことが分かりませんでした。冒頭初老の男性が登場し舞台を降りて客席横の階段を上って裏にはけます。旅に出ているかのよう。続いて若い男性2名が登場し作業をしながらの会話になります。その会話内容が、ストレートな表現をすると、非常に胸糞悪いものでサイコパスであります。客席に背を向けながらの会話。何故かサングラスをかけて。物語は主要登場人物登場で進みます。初老の男性と3名の姉妹が舞台に。全く似ていない、年齢も相応に見えない20歳の双子の姉妹。その姉。そこに犬ともパパとも言われる別の初老の男性。名前はカタカナ。海外が舞台という設定には見えませんが。とにかく支離滅裂な言動をとる家族とそこに短期バイトとして応募してきた男性により物語が進みます。常識のない言動に困りながらも常識的に突っ込んでいく。コントのようでした。そこに3姉妹に関係する若い男性が現れて。終盤は明かされなかった過去が判明し事件が起きて。ストーリーを細かく述べませんが、登場人物がみんな常軌を逸した言動をとります。そして最後の事件も犯人は明かされず。
この『ひまわり』も過去に演じられてきた演目だそう。どのような話の展開になるのか知っている人がいるのでしょう。『リア王』『三人姉妹』のセリフが引用されているそうで、役名が海外の名前なのは『リア王』からとっているのだとか(パンフレットにある役名は男1、男2、・・女1、女2、・・・と固有名詞はないとありましたが)。『リア王』も『三人姉妹』も知らない私にはとにかく理解できない話の展開でした。幼いころの不遇によって理解できない言動をとるようになったのか。殺害したのは果たして誰だったのか。その疑問に答える明確な表示がありませんでした。冒頭に現れて会話をしていた若い男性2名が最後に再登場します。今度は客席を向いて会話しています。顔にはサングラスから水中メガネに変わり、無地の真っ白なシャツには大量の血痕が付いています。これも何かしらの意味があるのでしょうがその答えは分かりませんでした。あれはいったい何だったのだろう。そのような感想が残ります。
ずいぶん前にみた相米慎二監督の映画作品『台風クラブ』と同じような感覚でした。最後どういうこと?という疑問。それでいて、娯楽作のような分かりやすさがないからといって不満かというとそうでもなく。邦画や日本文学を読んだ後のような気持ちになりました。なお私は文学が苦手で、それもあり理系に進んだともいえます、結局何が言いたかったのか?とはっきりした結論を求めてしまう性分です。このとにかくはっきりとしたことは分からなかったが情熱と熱狂があったという読後感は嫌いではありません。きっと演劇を観るうえでベースとなる知識というか素養みたいなものが必要なのかな、と思います。『新世紀エヴァンゲリオン』や『進撃の巨人』をみたときに純粋に面白いと感じる以外に宗教や社会情勢の知識があることでより深く味わえるような。
今回の、特に『ひまわり』、作品はこれまで3回観た文学座の演目とまた違ったものでした。人前の舞台に立ち身体で表現することは競技ダンスと通じるものがあります。ダンサーとなってフロアーで踊るのと、別人格を憑依させて舞台で演じることは。そこに音響、照明、演出といった要素が加わって一作品にします。文学座というベースがあるのでしょうがその作品作りは異なるのだと分かりました。
甲野 功
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