開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
今週月曜日に京都に行ってきました。平日ですが予想通りの混雑。紅葉シーズンですから更に観光客が殺到しているわけです。コロナ禍から京都を訪れていましたがコロナ前に完全に戻った感じがします。世界一の観光地に選ばれた京都は、観光したくても来られなかったインバウンド(海外観光客)がやっとという気持ちで押し寄せています。更に円安が後押して一層の混雑があるのだとか。観光公害、オーバーツーリズムという言葉をよく耳にするようになりました。ちょうど月曜日に東福寺駅から京都駅に向かうJR奈良線でそれを体感しました。狭いホームに人が溢れて危険なため入場制限がかかる。それは私のような観光客と同時に地元高校生の下校時と一緒。日常生活で利用している地元民には辛いところでしょう。
“人が溢れかえっている京都”で報道されるのが何といっても嵐山エリア。紅葉の名所であり、天龍寺、竹林、トロッコ列車、渡月橋などたくさんの見どころがあります。車道も歩道も狭いとは言えませんがそれ以上に、人が多い。車道に歩行者が出てしまって渋滞の原因にもなるよう。私は今回の京都旅行では嵐山には行きませんでしたが当初の一泊プランでは嵐山も観光する予定がありました。もしも実行していたらどうなっていたのでしょう。
さてその嵐山を象徴する建築物の一つ、渡月橋を紹介しましょう。
言わずと知れた京都の有名観光スポット。清水寺、金閣寺、伏見稲荷大社などと並び京都観光では名前が挙がります。渡月橋は桂川にかかる橋です。最寄り駅は京福電車、阪急、JR各線の嵐山駅。バスも通っていますが電車が3線も通っていることも人気の一つでしょう。それだけ昔から要所だった嵐山。嵯峨野と嵐山を隔てて流れるのが桂川。桂川も有名ですね。別名が上桂川、大堰川、保津川。桂川も歴史的に重要でまた別の機会に触れたいと思います。
渡月橋は、嵐電嵐山駅や天龍寺がある北側と中州となる嵐山公園中ノ島地区の間に架かる橋になります。厳密には中州までを渡月橋といい、その先に進むためにかかる橋は渡月小橋といいます。知らないと中州を挟んで対岸までを渡月橋だと認識してしまうでしょう。歴史の中で何度か建て替えたとされています。承和年間(834~848年)に真言宗の僧侶である道昌によって架橋したのが最初の渡月橋と言われており、現在の位置とは違っていたようです。その当時は現在よりも100m~200mほど上流にあったとされています。そして当時あった橋の南にある法輪寺に因んで「法輪寺橋」と称されていて渡月橋の名称ではなかったのです。時代がくだり、亀山上皇が橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」(意訳:天にかかる月が橋を渡っているみたい)と感想を述べたことから渡月橋と命名されました。しかし渡月橋は桂川の洪水被害、応仁の乱による焼失などに遭います。江戸時代初期の慶長11年(1606年)に、角倉了以によって保津川の開削工事とともに現在の場所に架け替えられることになります。以後400年この場所にあります。現在使われている渡月橋は昭和9年(1934年)6月に完成しました。鉄骨鉄筋コンクリート桁橋で、橋長155m、幅12.2m、車道は2車線という大きさです。両側には一段高くした歩道があり歩いて渡ることができます。なかなかの大きさで桂川の上からみる景色は別格です。また遠くから眺めてもその姿が絵になります。京都の景観と調和を図るため意匠は木製の旧橋を受け継いでいます。
京都に住む人の意見に、京都は台風が来ない、というものがあります。守られているのか台風被害が驚くほど少ないのだろう。それでも台風被害がゼロというわけではありません。渡月橋は遮蔽物がないですし、桂川が氾濫すれば当然被害を受けます。近年では2013年の台風18号や2018年の台風21号により損傷がありました。それでも致命的な自然災害に遭うことなく90年に渡り交通の要所として存在しています。観光名所ですが川にかかる橋。車道でもあります。渡月橋が無かったらとても困るわけです。この付近に橋がかかっていませんので。現実的に重要な建築物である渡月橋。その人気はやはり絵になるということでしょう。山と川。その先に市街地。都心部から近いのに四季の自然を愛でることができます。平安時代から貴族の行楽地だった嵐山。その景観を象徴するもの一つが渡月橋です。
私が渡月橋を初めて渡ったのは高校3年生の春。大学入学を目前にしていた3月のこと。山岳部の同期と卒業旅行で京都に来ていたときでした。この時が人生初めての京都訪問。京都に魅了されたものでした。この頃は京都のことはほとんど知らず同期のあとを付いていくのみ。みんな幕末の歴史が好きで新撰組や坂本龍馬といった歴史をたどるために土佐(高知)と京都を歩いたのです。そのときに天龍寺や渡月橋に行ったのでした。それからまた時間が経ち、社会人になってから京都旅行をするようになります。そこで何度か嵐山を歩き、桂川を渡月橋で渡りました。そのときそのときで景色を変えるのでいつも写真を撮っています。今回の京都旅行では行きませんでしたがいつか子ども達を連れていき、渡月橋を、また渡月橋からの風景を、写真に納めたいと願います。
甲野 功
コメントをお書きください