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近所に関孝和のお墓があります。
ほとんどの人は関孝和とは誰?という気持ちでしょう。名前の感じから昔の偉人だと予想できるのではないでしょうか。関孝和は江戸時代中期に存在した和算家です。そうなると和算とは何?という新たな疑問が生まれると思います。和算という言葉から日本の算数という意味合いが読み取れると思います。明治期に入ってきた西洋数学すなわち洋算と対比するために用いられた表現で日本伝統の算術体系を和算といいます。主に江戸時代以降に発展した日本の数学を指す場合が多いようです。
数学は人類の発展に重要な科学であり哲学。自然科学の一つとされていますがそれを越えた存在であるという人もいます。中国から文化と共に数学書が持ち込まれと言われており、日本発の法律と言われる大宝律令には算博士・算師という官職が定められていました。測量や建築に数学は必須でありますから数学の発展は当然のことでしょう。江戸時代になると我が国の数学は大いに発展します。このとき中心人物の一人が関孝和です。彼は「点竄術」なるものを創始します。これは今の代数学にあたるもので円の算法や難しい理論をあつかう算法が様々に解けるようになります。日本数学の基礎となり高度に独特に発展していくことになります。和算は関孝和により大いに発展したといえます。関孝和は現在の表現にすると、数値の簡単化の方法、剰余方程式問題、方程式の係数の決定法、数列問題、正多角形の各数値の関係式問題、実数解無しの方程式の最適化、円や曲線の諸問題、行列式展開などの研究、新たな発明を成し遂げました。一体何のことだかさっぱり分からないという人も多いでしょう。書いている私もほとんど分かりません。
余談ですが20代半ばのときに博物館かどこかで江戸時代のコーナーで和算の資料展示がありました。そこに和算の問題が出ていましたが一目で解くことができないと思いました。東京理科大学応用物理科を卒業して数年しか経っていない頃ですが、大学物理科卒の数学知識では太刀打ちできないものでした。解くための取っ掛かりも思いつかないほど。大学受験のため予備校に通っているときにも数学講師が「将来家庭教師のアルバイトをすることがあるかもしれませんが、和算が出てきたら安請け合いしないで慎重に対処するように」と話しました。それくらい和算は難しいということです。
関孝和の凄さが分かりやすいエピソードとして円に接する正多角形の辺の長さを用いて円周率πを11桁まで導き出しています。円周率とは3.1415…と永久に続くあれです。それを江戸時代に11桁。それを円と正多角形という図形から導き出す。すごく素敵と感じるのは私のセンスだからでしょうか。関孝和の功績は関流という流派を生むことになります。関孝和の弟子である建部賢弘はその上の円周率42桁まで正確に計算、師匠以上の業績を残します。後継者たちにより和算が張ってしていくのでした。明治以降は文明開化によりあらゆる分野で西洋文化が台頭していきます。数学の世界も西洋数学が導入されて和算は衰退していきます。しかし和算を残していこうという動きが起こり、明治10年(1877年)に東京数学会社が設立され和算史研究が始まります。
このように和算の存在と関孝和の功績は大きなものです。続いて関孝和の人物に焦点を当てましょう。寛永19年(1642年)(※諸説あるそう)、現在の群馬県藤岡市の武士、内山七兵衛永明の子として生まれます。5歳のときに関五郎左衛門の養子となります。幼少期から数学を学び、後の6代将軍徳川家宣に仕えます。宝永5年(1708年)に病により亡くなります。関孝和の没後、関家はお家断絶となってしまいます。亡くった翌年の宝永5年6年(1709年)には「関先生の墓」の記念碑が建てられており、現在も復元された碑が存在します。明治40年(1907年)には従四位を追贈され、平成19年(2007年)12月2日には三百年忌法要が営まれます。
その関孝和の墓が都営大江戸線牛込柳町駅から徒歩6分ほどのところにある新宿区弁天町の浄輪寺にお墓があります。外苑東通りから少し坂を上ったところ。私は小学生の頃からどういう人物かよく知りませんでしたが、関孝和の墓があることはよく知っていました。社会の授業で習ったのだと思います。実際に行ってみると円周率を計算したことを示す石碑があり、円と内接する正多角形の図が刻まれています。私も様々な史跡、お墓を見てきましたが図形があるお墓を他に知りません。理数系にとってとても誇らしい気持ちになるから不思議です。数学科卒ではないのでその偉業がいまいち理解して切れないことが残念です。
牛込柳町駅付近にある隠れた史跡、関孝和の墓。近くに夏目漱石の漱石山房があるので目立たないですが日本数学史にとって重要な場所であることでしょう。改めて近隣にある貴重な史跡を再確認しました。
甲野 功
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