開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
知恩院。昨年春に京都散策をしていたときに偶然見つけて入りました。凄いお寺だとは知らずに。平安神宮を離れ円山公園を目指して歩いていた道中に立派な門が目に入り。訪れると想像以上の規模に驚きました。
浄土宗の総本山でした。立派であるのが納得しました。仏教の知識が疎いので浄土宗を少し調べました。浄土宗を興したのは法然上人。平安時代の長承2年(1133年)に生まれました。15歳(あるいは13歳)で比叡山に入り修行します。貴族のための宗教と化した当時に仏教に疑問を抱いていた法然上人は修業の末、南無阿弥陀仏とただ一心に称えることによりすべての人々が救われるという専修念仏の道を見出します。承安5年(1175年)法然上人が43歳のときに浄土宗を開きます。比叡山を下り、現在の知恩院御影堂の近くに移り住みました。しかし迫害を受けることになり、建永2年(1207年)に四国流罪に(建永の法難)。5年後に戻ることができました。建暦2年(1212年)に法然上人は80歳で亡くなります。法然上人の死後、門弟たちが仏殿、影堂、総門を建て知恩教院大谷寺と号しました。そのため開山は法然上人としていますが直接、知恩院を設立したわけではないのです。詳しくみると派閥の分裂や統合、弾圧や復興を繰り返して時代を乗り越えてきました。天皇、武将とときの権力者の支援を受けながら。特に江戸時代に徳川家康が浄土宗を信仰し知恩院を京都における菩提寺に定めたことで寺領が拡大され巨大な建築物が建てられます。近代にかけてもそれらの修復修繕が行われてきました。平成14年(2002年)には三門と御影堂が国宝指定を受けます。知恩院の特徴は広い境内と立派な建築物の数々。その規模に圧倒されます。
ただ後々気付いたのですがこのとき国宝の三門を見ていませんでした。三門に気付かず通り抜けていたことに後でショックでした。北にある平安神宮から神宮通りを南下しているときに知恩院黒門が目に入り門をくぐります。その先の黒門坂を上って北門から境内に入ったのでした。そして知恩院境内を巡りそのまま南下して裏道を通って円山公園に行きました。境内から出るときに正面の男坂を下れば三門を通ったのですが。せっかく知恩院に行ったのに国宝三門を見ることができなかったのは残念です。南禅寺の三門と見比べたかったと今になって後悔しています。
では実際に訪れてみて知った知恩院の見どころです。まず驚いたのが国宝御影堂。とにかく大きいの一言。廊下も長く高さもあります。渡り廊下を歩いた時も圧倒される景観です。法然上人の御影を祭ることからこの名称となり別に大殿とも呼ばれます。寛永16年(1639年)に江戸幕府3代将軍徳川家光によって建てられ平成23年(2011年)より平成の大修理が行われて令和2年(2020年)に完了したばかり。間口45m、奥行き35mという大きさ。外側の通路を歩くとその大きさが伺います。内部の撮影はできませんが中に入ると天井の高さが凄かったです。
本尊阿弥陀如来を祭る阿弥陀堂。現在のものは明治43年(1910年)に再建されたもの。本尊の阿弥陀如来座像で高さ2.7mの大きさです。
方丈庭園は既に入ることができない時間だったので見ることはできませんでしたが京都市指定名勝とされています。
法然上人像の先に進み坂を上っていくと御廟にたどり着きます。京都府有形文化財で内部非公開となっています。現在のものは慶長18年(1613年)常陸国土浦藩主松平伊豆守信一の寄進を得て改築されたもの。平成18年(2006年)11月~平成20年(2008年)春に大修理を行っています。広い境内にあってかなり端の方になります。門の外から知恩院最古の建築物、勢至堂(重要文化財)が見えました。享禄3年(1530年)に再建されたもの今でも残っています。
御影堂の横に鎮座しているのが経蔵。重要文化財で内部非公開となっています。元和7年(1621年)に建てられた歴史的建造物です。
池を渡った先にあるのが納骨堂。比較的小さな建築物ですが精巧な作りをしています。
時間的にも体力的にも余裕のないときに参拝したので見落としたところが多々ありました。方丈の庭園や濡髪大明神を見ておきたかったですし、なにより三門に気付かなかったことが本当に悔やまれます。元々訪れる予定ではなかったので下調べが足りませんでした。他にも「知恩院の七不思議」といわれる謎の建築物があるようです。またいつか改めて参拝してきちんと周りたいと思います。
浄土宗総本山知恩院。応仁の乱を含めて激動の歴史を乗り越えてきた名刹。あれほどの大建築物がある、残っているということに改めて京都の歴史を感じます。東京は関東大震災と東京大空襲という2つの大きな困難により新しいお堂が多い印象。そして再開発の影響。京都を訪れると歴史が本当に残っていることを感じます。
甲野 功
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