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先日は東京医療専門学校鍼灸マッサージ教員養成科第39回卒業論文発表に参加してきました。母校である鍼灸マッサージ教員養成科(以下、教員養成科)の最大行事。2年間の教員養成科集大成といえます。1年生が発表会を公聴し1年間かけて研究をして翌年2年生として発表します。私も30期生としてちょうど10年前に発表をしました。今回は15演題でしたが、私のときも同じように15演題。そして私が最終発表者だったのです。朝からクラスメイト達の発表を聴きながら自分の番に備えて。どんどん終わって晴れやかな表情になる同級生をしり目にずっと緊張が続いていたことを思い出します。
卒業した翌年、講師の先生から時間があれば発表会に参加しましょうという呼びかけがありました。どうも後輩の31期の研究内容がお粗末で当日の質疑応答で喝を入れましょうという考えだったよう。31期は私たちが各種学校内の役職を引き継ぎ、実験にも参加してくれました。発表の際に会場で聴いていた学年。開業して時間に融通が利くようになっていたので31期の発表会に参加しました。卒業した立場から研究発表を聴くと学生時代とは違い、私の方に余裕が出ており非常に良かったのです。1年間そばにいた下級生がこれだけの研究をしたのか。私の研究から着想を得て取り組んだテーマもありました。何より最初はひどい内容だと思われていた演題が凄く業界の未来を考えるものだったこと。質疑応答で活発な意見交換がされて凄いなと思いました。そのテーマは翌年も32期生の学生によって新たな研究となりました。たまたま31期の卒業論文発表会に参加してから毎年足を運ぶようになりました。
毎年2桁の演題数を聴くことで在学当時よりも色々なものが見えるようになってきました。また発表とともに校長先生の挨拶、外部講師らの質疑応答、座長の総括などから学ぶことが非常に多いです。今年も閉会式での座長による総括がとても心に残りました。ポイントを紹介します。
<実験研究はプロレスが大事>
実験結果よりもどう考えたのかが重要。
ゴミデータはどうこねくり回してもゴミのまま。
きちんとやらないと良いデータは取れない。
このようなことを仰っていました。
本当にそうだと納得します。(調査研究でもそうかもしれませんが)こうしたらこうなるに違いない!くらいの願望から実験研究は始まると思います。私のときも指導教員が「最初は皆さんの“妄想”です。その妄想を研究に昇華させましょう。」と習いました。これをすればこんな結果が得られるのでは、と息巻いて始めてみる。先行研究や文献を漁ってみます。実際に実験をするならどうしたら“妥当”か。座長はよく“お作法”という言葉を使います。思い付きでちょっとやってみた、では話になりません。研究には研究に足り得る基準があり、それをパスしないといけません。実験方法、発表方法ともに。それを総じて“お作法”と表現するのでしょう。私の場合理科系大学を卒業していてそこの感覚はある程度持っていました。しかしいざ自身で具体的なものに煮詰めていくとどんどん制約が入ってきます。それは先行研究、実験環境や倫理的なものなどから。私は低周波鍼通電をすることでジャンプ力が上がるのではないかという気持ちで研究を始めました。それは自身の体験があったからです。しかしいざ調べてみると。実際に実験しようとすると。甘くはなかったです。被験者の数を確保したい。そうなるとあまり複雑なことはできない。たくさん鍼刺激をした方がジャンプ力が上がる気がするけれど現実問題時間がない。先行研究と文献を踏まえながら、学校設備と相談しながら、結果を考察する段階まで見据えながら、デザインしました。測定結果は予想していたもの(願望)とは違いました。しかし新たな発見がありました。今となると願望通りの結果がでなくて良かったと思います。
私が行った研究を人に説明したことが何度かあるのですが、そのときに○○すれば有意差でますよ(希望通りの結果になるという意味)という人がいました。また実験研究の報告を聞いて(想定した)結果が出なかったですねと慰める人もいます。これは実験研究として好ましい態度ではないと考えます。これでは差が出なかったという結果(=データ)を得たのです。それは貴重な成果であります。言い換えれば求める結果が出したいがために不正な実験をしてはいけません。細かいことを省きますが正しい手順で実験をして計測結果を出したとしても、数学的統計処理をする際に結果を操作すれば有意差(意味がある差)を出すことができてしまうのです。これは外れ値だからといって省いてしまうなどして。また測定値自体を改竄すれば簡単です。そのような行為は論外なのですが、きちんとした手順を踏むことが“お作法”の一つです。
数例実験をしてその平均値が変わったから効果が立証されました!ではないのです。それはたまたまではありませんか?という問いを克服するためにn数(実験数)を多くし、コントロール群を作る(無刺激群。何もしなくても変化するかもしれないので比較群を作る)、統計学を用いて数学的有意差があるかを計算する、といったことを研究デザインに組み込まないといけません。ゴミデータとはその測定値は意味があるのですか?というもの。
ですから結果よりもプロセス、どのように考えたのかの方が重要なのです。教員養成科卒業直後はこのことが分かっていませんでした。その後の発表を聴いても、ああ有意差でなかったのか、と思うだけ。有意差がでなかったことの意味を考えていませんでした。また抄録で有意差がありました、と出たものでもどのような実験で出たのかをよく考えていませんでした。表面的な結果だけを注目していてプロレスを重要視していない。毎年発表を聴き、文献を読むことで考えが成熟してきました。まずどのようなプロセスを経て実験研究が行われたのか。それを念頭に考えるようになりました。
ある時期から教員養成科卒論発表会で学んだことをブログに残すようにしました。当初は結果に注目していて、こんな画期的な発見があった!という気持ちで書いていました。それから段々と結果が云々よりもどのような発想で研究が行われていたかが重要だと考えるようになり、結果には触れなくなっていきました。中にはどう考えたらそんなことをしてみようと思ったのだろうか?と驚く研究があります。研究者が食事制限をして意図的に貧血症状に陥らせ、その過程を舌の様子で観察する。本人だからいいですが人体実験だろうという。あるいは今は器材が進歩して専門学校レベルでできるようになったのかというもの。睡眠時のレム睡眠の割合を計測する、低周波鍼通電のパルス幅を設定するといった実験は器材がなければできません。設備面から研究内容の選択肢が増えていることを感じます。研究デザイン、実験プロトコルに注目しその発想・工夫・結果に対する考察が大切だと考えるようになりました。有意差がでたか否かよりも。
研究発表を聴くときにプロセスに注目する。今回改めて考えが整理されました。
甲野 功
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