開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
人は誰にでも母校があります。私の場合は東京都新宿区立の小中学校を卒業し、私立の國學院高校、東京理科大学を卒業して社会人になりました。そして民間の整体学校(既に閉校)を経て東京医療専門学校に入学します。その東京医療専門学校はⅠ部鍼灸マッサージ科(3年間)、柔道整復科(3年間)、鍼灸マッサージ教員養成科(2年間)と通いました。合計8年、途中1年ずつ空いているので足掛け10年です。人生で最も通った学校が東京医療専門学校になります。
その東京医療専門学校が今年4月1日から学校名が変更になりました。
新しい学校名は『東京呉竹医療専門学校』です。間に呉竹の文字が入った形です。校名変更は2026年に創立100周年を迎える母校のブランド強化とされています。実は以前から学校名が分かりづらいことが指摘されていました。まず旧東京医療専門学校を運営するのが学校法人「呉竹学園」。この呉竹(くれたけ)という言葉が業界内では非常に浸透しており、あん摩マッサージ指圧師、鍼灸師、柔道整復師界隈では呉竹という言葉でああ、あそこね、と通じるものです。しかし学校名は「東京医療専門学校」。非常にシンプルです。なお八丁堀に同じくあん摩マッサージ指圧師、鍼灸師、柔道整復師の専門学校である「東京医療福祉専門学校」があります。呉竹という言葉と学校名が繋がらないと指摘されてきました。
そして呉竹学園は現在、新横浜と大宮に学校を持っています。この2校も同じタイミングで学校名が変更になりました。旧校名は新横浜校が「呉竹鍼灸柔整専門学校」、大宮校が「呉竹医療専門学校」です。こちらは呉竹が校名に入っていますがその名前だけを見るとどちらがどちらか分かりづらいのです。呉竹学園が運営する学校の旧校名をまとめると以下の通り。()内は所在地です。
・呉竹学園 東京医療専門学校(東京都)
・呉竹学園 呉竹鍼灸柔整専門学校(神奈川県新横浜)
・呉竹学園 呉竹医療専門学校(埼玉県大宮)
どうでしょう。3つ並べるとそれぞれキーワードが入っています。「医療」、「呉竹」、「鍼灸柔整」といった。これら3校の校名を以下のように新名称に変更したのです。
東京校:東京呉竹医療専門学校
新横浜校:横浜呉竹医療専門学校
大宮校:大宮呉竹医療専門学校
このように“所在地”+“呉竹医療専門学校”という形式で統一しました。呉竹が入ることで呉竹学園の学校であることが明確で、かつ3校が姉妹校であることが分かります。頭に所在地を入れることでどこの学校かもすぐに判別できます。
ここで気になることが東京だけ都道府県であること。横浜、大宮は都市の名前で神奈川、埼玉ではありません。神奈川より横浜(実際の最寄り駅は新横浜駅ですが)、埼玉より大宮(こちらは最寄り駅は大宮駅です)。この方がエリアが絞れて分かりやすい。ところが東京校は東京都のどこかではありません。東京の冠を介した方がブランド力があるでしょうし、旧校名が東京なので妥当と言えばそれまでです。ただ東京校の事情があります。それは現在、四谷校舎と代々木校舎に分かれているのです。四谷校舎には鍼灸マッサージ科、鍼灸科、夜間鍼灸科があり、代々木校舎には鍼灸マッサージ教員養成科、柔道整復科があります。四谷校舎はJR、東京メトロ四ツ谷駅が最寄りで代々木校舎はJR、都営地下鉄代々木駅が最寄りです。2つあるので東京で括らないと矛盾が生じるのです。ですから私も最初の3年間は四谷校舎でその後の計5年間は代々木校舎に通ったのでした。
ところが今年から代々木校舎にある鍼灸マッサージ教員養成科と柔道整復科が四谷校舎に引っ越してきます。つまり東京校は四谷校舎に集約されるのです。四谷校舎は新校舎建て替えが完了しました。創立100周年を迎えるにあたって環境が変わるのです。特に四谷校舎の新本館は完成したばかりでこちらの看板は既に新校名の「東京呉竹医療専門学校」になっています。私が勉強をした旧本館は新しく生まれ変わったのです。校舎の建て替えも校名変更に関係があったのかもしれません。
せっかくなので学校名の変遷をみてみましょう。学校ホームページによると結構学校名が変わっていることが分かります。
まずは東京校です。1926年「東洋温灸醫學院」。昭和元年にこの名称ではじまりました。最初は温灸が学校名だったのです。わずか3年後に1929年(昭和4年)「東京高等鍼灸医学校」に変更し鍼灸をつけました。20年後に1949年(昭和24年)「東京高等鍼灸学校」へ。更に時代を経て1976年(昭和51年)「東京鍼灸柔整専門学校」となり柔整(柔道整復師)の文字が加わります。10年後の1986年(昭和61年)「東京医療専門学校」へ。そして約40年が経ち2024年(令和6年)「東京呉竹医療専門学校」となるのです。
続いて新横浜校です。1954年(昭和29年)「東京高等鍼灸学校熱海分校」。現在は新横浜に校舎がありますがはじまりは静岡県熱海での開校でした。有数温泉地である熱海でマッサージの需要が高かったからだそう。翌1955年(昭和30年)「呉竹マッサージ学校」に。ここで初めて呉竹の文字が学校名に入ります。1973年(昭和48年)「呉竹鍼灸専門学校」に変更。そして熱海から新横浜に移転した2002年(平成14年)「呉竹鍼灸柔整専門学校」と校名を改めます。22年を経て2024年(令和6年)「横浜呉竹医療専門学校」となります。
最後に大宮校です。大宮校ができたのは2009年(平成21年)で「呉竹医療専門学校」として始まりました。15年後の2024年(令和6年)「大宮呉竹医療専門学校」と最初の校名変更となります。
この業界は専門学校の学校名が変わることがしばしあります。その理由は経営母体が変わることが多いのです。呉竹学園の場合、学校法人は変わらず校名を変更しています。その時代に合わせて柔軟に対応していることが伺えます。学校名を変えることは簡単なことではありません。学校の看板から職員の名刺など物理的に変更しないといけないものがあります。各所および関係者に通達して変更手続きが必要です。ホームページや販促物も変えていかないといけません。それなりの費用と手間がかかることは想像に難くありません。それでも敢えて行うことに創立100周年を前に学校側の意気込みを感じるのです。
私も母校の校名が変わったので変えられる表記を変えていきます。これからの文章も気を付けていきます。新たな一歩を踏み出しました。
甲野 功
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