開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
電話:070-6529-3668
mail:kouno.teate@gmail.com
住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
あじさい鍼灸マッサージ治療院の住所は東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202です。市谷甲良町の市谷は周辺住所に用いられるものでJRや地下鉄が通っている市ヶ谷駅とは違います。他にも市谷加賀町、市谷柳町、市谷山伏町、市谷薬王寺町、市谷本村町といった住所があります。たまに市谷と市ヶ谷を混同して住所を間違えていたり、マンション名を市ヶ谷にしてしまったりしていることがあります。当院の住所から市ヶ谷駅から近いのだろうと思うとかなり歩くことになってしまいます。そして甲良町とは江戸時代に甲良屋敷があったからです。この甲良屋敷は間借りして試衛館を開いていたことが有名です。試衛館とはのちの新選組となる近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助、斎藤一らが居たことで有名です。実際に甲良屋敷があったのは現在の市谷柳町らしいのですが、それはまた別の機会に触れましょう。
あじさい鍼灸マッサージ治療院がある市谷甲良町2-6は過去に田山花袋が住んでいたというのです。この話はずっと知っていたのですが、私には“田山花袋って何?”という感じです。文系の人には常識なのかもしれませんが大人になるまでその名前を認識したことがありませんでした。鍼灸マッサージ専門学校を一般入試で受験する準備として田山花袋、蒲団と機械的にワードを覚えただけでした(専門学校の入試で国語科目があるところがありました)。その田山花袋が住んでいたところだということで、先日長女と調べたのでした。
まず田山花袋(たやまかたい)とは何者なのか。明治4年(※暦が太陽暦に変わるときなのでずれる)(1872年)~昭和5年(1930年)を生きた小説家です。代表作は『蒲団』(明治40年・1907年)。尾崎紅葉、国木田独歩、島崎藤村、森鷗外、柳田國男らと交流がありました。尾崎紅葉、柳田國男はうちの地域と関係があります。なお私はずっと理科系頭脳で小説や文学をほぼ触れずにきました。ですから名前を知っていますが彼らの作品のことや人となりは全然知らないのです。田山花袋は現在の群馬県館林で生まれ渋谷区代々で亡くなりました。館林市に田山花袋記念文学館が、代々木には田山花袋終焉の碑があります。
さて田山花袋は本当に市谷甲良町2-6で住んでいたのでしょうか。以下のブログを読むと本当にそうらしいと分かります。
田山花袋は明治19年(1886年)に16歳で上京し11回の転居を当時の牛込区で繰り返したそうです。牛込区は現在の新宿区の一部です。新宿区は旧牛込区、旧四谷区、旧淀橋区が合併して生まれました。牛込という地名は今でも健在で当院の最寄り駅は牛込柳町駅で隣の駅は牛込神楽坂駅です。ちなみに現在放送されているテレビアニメ『鬼滅の刃』で最も人気のあるキャラクター、我妻善逸は東京府牛込區(当時)が出身という設定です。田山花袋は11回も引っ越していてそれも近い範囲です。全て挙げると
①牛込区市谷冨久町120
②納戸町12
③甲良町12
④内藤町1
⑤喜久井町20
⑥納戸町40
⑦原町2-68
⑧若松町137
⑨市谷薬王寺町55
⑩弁天町42
⑪北山伏町38
となっています。どれも現在も残る住所なのでどこら辺にいたのか容易に想像できます。③の甲良町12がまさに今の市谷甲良町2-6です。昭和の終わりか平成のはじめまで住所は市谷甲良町12でした。それが2-6に変更されたのです。つまり本当に田山花袋は現在あじさい鍼灸マッサージ治療院があるところ(あるいはすぐそば?)に住んでいたのです。ただ本当は甲良町25だったのではという説もあるようです。
これによれば明治19~20年に発行した参謀本部陸軍部測量局「東京五千分ー東京図家量原図」(日本地図センター発行。2011年)では甲良町12は桐、甲良町13は原と家、甲良町25は普通の家が描かれているため、通りを挟んだ甲良町25の家が住まいだったのではということだそうです。どちらが正しいのかは私には判断がつきませんが少なくとも明治大正の偉人が、現在当院がある場所の非常に近くに住んでいたのは確かなようです。
この逸話は実際のエピソードがあり、私の姉が中学生の時に社会の課外活動の一環として田山花袋が住んでいた所として訪れたそうです。ただ石碑などそれを示す史跡は一切ないのでただの住宅地を眺めただけだったそう。
私は一切ピンとこないのですが文学好きな方にここは田山花袋が住んでいた場所なんですよと話すととても興味を示します。この近辺は文豪に縁のある土地で夏目漱石をはじめ多くの文人と関係があります。ただ私自身が本当にそこらへんが疎いので興味がわきません。ここに住んでいたらしいというピンポイントの田山花袋はきちんと知っておこうと、今回の長女と一緒にした検索で思いました。
甲野 功
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