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~日光山輪王寺本堂地区~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 日光山輪王寺 本堂(三仏堂)地区
日光山輪王寺 本堂(三仏堂)地区

 

 

前回に続いて日光の紹介です。

日光は二社一寺と言われます。社は神社、寺は寺院を示し、二社一寺とは日光東照宮二荒山神社の神社、そして輪王寺のことです。今回はその輪王寺、その中でも本堂(三仏堂)地区を紹介します。

 

日光山 輪王寺 オフィシャルサイト

 

二社一寺と言いますがこのように称されるようになったのは神仏分離令が出た明治以降のことだそう。それまでは神仏習合で神社も寺院も混ざり合って日光山とされていました。天平神護2年(766年)、奈良時代の僧である勝道上人とその一行が日光山に辿り着いたといいます。勝道上人は大谷川の対岸に千手観音を安置する紫雲立寺を建て後に四本龍寺と改めました。この四本龍寺が現在の輪王寺となります。翌神護景雲元年(767年)(あるいは延暦9年(790年)という説も)に勝道上人は四本龍寺に隣接する土地に男体山(二荒山)の神を祭り、これが二荒山神社の始まりとなり、現在本宮神社と呼ばれている社地がこれに当たります。延暦3年(784年)には、勝道上人は中禅寺湖のほとりに中禅寺を建立しました。このように日光山の開祖は勝道上人でありその像が輪王寺本堂地区にあります。

 

平安時代になると真言宗宗祖の空海や天台宗の高僧である円仁(慈覚大師)らが来山します。円仁は嘉祥元年(848年)に三仏堂常行堂法華堂を創建したとされます。この頃から輪王寺は天台宗寺院としての歩みを始めます。常行堂と法華堂という同形同大の堂を2つ並べる形式は天台宗特有のもの。

鎌倉時代の仁治年間(1240~1242年)に源実朝によって、現在日光東照宮がある場所に輪王寺本堂が移され、以後幕府や関東地方の有力豪族の支援を受け隆盛します。

戦国時代に入ると壬生綱房の謀略によって壬生氏の傘下に入ることになるも、天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に北条氏側に加担したことで寺領を没収され一時衰退することになります。

江戸時代になると天台宗高僧の天海が住職となってから復興が進みます。天海は徳川家康のブレーンとされる人物で大きな影響力を持ちました。元和3年(1617年)に徳川家康を神として祭る日光東照宮が設けられ、輪王寺本堂は現在日光二荒山神社の社務所がある付近に移されます。正保4年(1647年)には江戸幕府3代将軍徳川家光によって、大雪で倒壊した本堂が再建され現在の規模となります。承応2年(1653年)に徳川家光の霊廟である大猷院霊廟が建築されます。祖父にあたる徳川家康は東照宮という神社で孫の家光のお墓は仏教のお寺にあるというのが神仏習合を象徴しているように思います。明暦元年(1655年)、後水尾上皇により「輪王寺」の寺号が下賜されます。ここで現在と同じ輪王寺となるのですが、それまでの寺号は平安時代嵯峨天皇から下賜された「満願寺」でした。後水尾天皇の第3皇子、守澄法親王が入寺しそれ以降、皇族と繋がりが深くなります。

明治維新が興り江戸時代が終わりを告げると。明治2年(1869年)に明治政府によって輪王寺の称号を没収され、旧称の満願寺に戻されてしまいます。徳川家と縁のある日光山は目の敵にされたのかもしれません。明治4年(1871年)の神仏分離令により、三仏堂の取り壊しを命じられたが木戸孝允(維新三傑の一人。桂小五郎。)の尽力により取り壊しは免れ三仏堂旧観のままに移築されて輪王寺の本堂となりました。

 

現在の輪王寺境内は各地に分かれており、今回紹介する本堂(三仏堂)地区、以前紹介した家光のお墓がある大猷院地区、日光東照宮よりも北にある開山堂地区、日光山始まりの地である四本龍寺地区、大谷川で少し離れた憾満ヶ淵地区、中禅寺がある奥日光地区と分散しています。

 

輪王寺本堂地区と言えば何といっても三仏堂です。日光山全体でかつ東日本でも最大の木造建築です。当初は平安時代に創建され、現在も残る建物は正保2年(1645年)、に徳川家光によって建て替えられたものです。内陣にはその名前の通り、千手観音阿弥陀如来馬頭観音という三体の大仏(高さ7.5m)(三体合わせて日光三所権現本地仏という)があります。鎌倉でも奈良でも大仏は単独でいますが、ここでは大仏像が三体並んでいます。また薬師如来阿弥陀如来釈迦如来(合わせて東照三所権現本地仏)の掛仏もあります。日光三所権現本地仏と東照三所権現本地仏という二組の三尊仏が御本尊として祀られています。外観の大きさと中の大仏像が三体並ぶ姿は本当に圧巻です。日光は学生の修学旅行で定番ですが東照宮の陽明門と並びハイライトではないでしょうか。私は奈良と鎌倉の大仏を見たことがありますが三仏堂はまた違います。しかも足元まで行くことができ、目が合う位置に立つことができます。まさに畏敬の念を覚えます。国指定重要文化財であり世界文化遺産にも登録されている世界的にも貴重な建物です。

 

三仏堂と同じように国指定重要文化財かる世界文化遺産であるのが黒門です。この門は日光山総本坊であった光明院の正門になります。光明院は江戸時代に天海が日光山全体の総本坊(本部)として再興した寺。明治4年(1871年)の火災により大半が失われるのですが、黒門は焼失を免れます。黒門が建築されたのは17世紀初めだそうです。陽明門とは対照的な黒一色の門が現在の輪王寺の玄関となっています。

 

三仏堂の裏にはもう一つ立派な建物があります。大護摩堂です。平成10年(1998年)に新築された祈願専用のお堂となります。内陣には本尊五大明王(平安中期作)を中心に、七福神十二天など30体の仏や祖師像が祀られ、天井には大昇竜が描かれています。

 

三仏堂の正面には宝物殿があります。日光山の歴史を物語る歴史的・美術的価値の高い資料を保存・研究・公開を目的とします。昭和58年(1983年)に開館しました。その奥には逍遥園という日本庭園があります。冬に子ども達と園内を歩いたのですがとても喜んでいました。花は全然咲いていませんでしたが雪が残っており神秘的な景色を写真に納めていました。

 

初めて訪れたときは日光東照宮と輪王寺と二荒山神社の区別がつきませんでした。それが知識を深めていき、何度も日光に足を運ぶことで整理されてきました。日光山二社一寺の中では駅からみて最も手前にある輪王寺本堂地区。日光東照宮の前に参拝してください。

 

甲野 功

 

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