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~箱根石仏群~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 箱根石仏群
箱根石仏群

 

 

これまで本当に数えきれないくらい訪れている神奈川県箱根。その中でもまだまだ知ってはいるが行ったことがないという場所があります。新しい名所ができているのでそれを体験していないというわけではありません。例えば水陸両用バスで芦ノ湖へ道路からそのまま入ることができる忍者バスというものがあります。それは体験したことがありません。登場したのが数年前ということで機会がありませんでした。子ども達が好きそうならば既に行ってみたことでしょう。そういった近年登場したものではなく、ずっと前からあるが訪れたことがない箱根の場所。それが曽我兄弟のお墓精進池です。バスで通りかかったことは何度もあってそのようなバス停があり、車窓から何か見えるのです。ただどのようなものがあるのか確認したことはありませんでした。

曽我兄弟とは誰の事だろう。

芦ノ湖に比べれば小さな精進池ですが周りに石像があるらしい。

そのような断片的な情報は得ていました。ただあまり便が良いとは言えない場所です。ずっと気にはしていたのですが後回しになっていました。

 

昨年9月、長年の疑問を解消するために一人旅に出ました。幾つかスポットを巡り、国道1号線を歩きます。箱根駅伝第5区終盤の芦ノ湖に向かう道です。その道中に“箱根石仏群”が点在していました。箱根石仏群とは何でしょうか。

 

箱根町ホームページ 箱根の石仏群について

 

箱根湯本から山を登り、そして芦ノ湖に向かって下っていく国道1号線。元箱根と言われるエリアに精進池があります。湖と池はその深さが違い、また池は人工的に作られたものです。その精進池の周辺に鎌倉時代から室町時代前期にかけて、数多くの石仏や石塔が造られました。これが箱根石仏群です。これらの多くは国の重要文化財に指定され、周辺一帯も史跡に指定されています。時代が進み損傷してきた遺跡に対して箱根町教育委員会は昭和63年(1988年)から約10年間の期間を費やし、整備を行いました。特に精進池ほとりには「石仏群と歴史館」が建築され資料館として機能してきました。昨年私はこの施設を訪れています。ところが施設の老朽化を理由に令和5年9月30日をもって閉館しました。ギリギリで観ることができたのでした。

 

国道1号線を芦ノ湖に向かって歩いていくと国道1号最高地点標高874mの看板が見えます。山登りのピークでここから先は下り坂になります。箱根駅伝山登りの5区も最後に下り坂になりますがここから下るのです。先に進むと「曽我兄弟の墓」が現れます。“曽我兄弟の仇討ち”で知られる曽我兄弟。この仇討ちは建久4年(1193年)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に父親の仇である工藤祐経を曽我兄弟が討った事件。“赤穂浪士の討ち入り”と“伊賀越えの仇討ち”に並ぶ日本三大仇討ちの一つに数えられて江戸時代を中心に浄瑠璃や歌舞伎で人気の演目となりました。私は知らなかったのですが曽我物というジャンルを生み出したそうです。バス停「曽我兄弟の墓」があるのですが、石塔が目立たずひっそりと3基立っています。こちらが「石造五輪塔」。向かって左2基が曽我兄弟の墓で右のものが虎御前の墓とされています。虎御前の墓に刻された銘文から、永仁3年(1295年)に建てられました。昭和36年(1961年)に国の重要文化財に指定されています。国道1号線の横に遊歩道があり道路から隠れたような感じです。国指定重要文化財でありながら一般観光客はなかなか気づかないかもしれません。なお五輪塔とは日本で生まれたもので密教において宇宙の構成要素と考えられた「五大」(地・水・火・風・空)を象徴しています。古くから供養塔として建てられました。

 

曽我兄弟の墓を超えて遊歩道を歩いていくとうっそうとした木々の奥に地下道の入口が出てきます。国道1号線の下を通り反対側に向かう道です。異様な雰囲気があり歩かないと知ることがないものでした。その地下道をくぐると複数の石仏が彫られた石壁が見えてきます。「元箱根磨崖仏(二十五菩薩)」です。大きな岩盤に彫られた仏像、磨崖仏の一群です。こちらは23体、国道1号線の反対側には3体あるそう。何も覆うものがなくむき出しになった仏像の数々。異様といえる光景です。銘文より永仁元年(1293年)から造られ始めたものと考えられております。地蔵菩薩立像がほとんどですが、阿弥陀如来立像1体と供養菩薩立像1体があります。大小様々で高さ1mから高さ20cmのものまで。昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定されています。数多くの国指定重要文化財を見てきましたがこれだけ野ざらしになっているものも珍しいです。

 

その先を精進池に向かってあるいていくと大きな石塔が目に入ります。それが「宝篋印塔」。相輪を除いて高さ約3mという大きさ。関東で現存する在銘塔では最古のものとなります。宝篋印塔とは主に石で造られた塔の一種で、笠を階段状に造ることと四隅に隅飾を持つことが特徴です。もともとは基礎の内部に宝篋印陀羅尼というお経を納めたことからその名が付けられました。これは平安時代の武将で多田源氏の祖である多田満仲(源満仲)の墓と呼ばれています。

その横には宝篋印塔の残欠(部品の一部)があります。全国各地に伝説が残る八百比丘尼の墓と呼ばれています。資料により復元したものです。

 

精進池のほとりを進むと岩盤に彫られた小ぶりの磨崖仏があります。応長元年(1311年)の銘があることから「応長地蔵」と呼ばれています。また箱根宮城野地区では、家族に死者があると四十九日以内にここまで家族の者がやってきて送り火を焚く浜降りという風習があったことから「火焚地蔵」とも呼ばれています。高さ124cmの安山岩に素朴な3体の地蔵菩薩が彫られています。昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定されました。

 

現在は更地になっているようですが精進池を望むところに「石仏群と歴史館」がありました。駐車場とトイレが完備されて乗用車で訪れた観光客が休むスポットにもなっていました。中では箱根石仏群に関する展示がしていました。

 

そこから国道1号を向こう側に渡ります。来た方向に戻るように歩いていくとお堂が見えてきます。ひっそりと山肌に建っており外からは中が想像できません。お堂の前には小さなお地蔵様がいくつもあります。基礎が確認された室町時代当時の姿で覆屋(地蔵堂)を復元しています。幅4.5m、奥行き7.1m、高さ9.2mの大きさで杉材を用いて建てられています。箱根石仏群で唯一の建物です。その中をみると想像を遥かに超えた磨崖仏があります。像高3.5mの地蔵菩薩坐像。大仏と呼んでいいでしょう。磨崖仏としては線刻のものを除くと関東最大級のものです。その巨大さに息を飲みました。これほどのものが国道1号沿いにあるとは意表をつかれました。なぜ今までテレビ番組でも見たことがなかったのか不思議でした。「六道地蔵」と呼ばれております。銘文からは鎌倉時代の正安2年(1300年)に造られたもの。昭和49年(1974年)に国の重要文化財に指定されました。

 

これらの箱根石仏群はどのようにできたのでしょうか。精進池周辺の石仏や石塔は、鎌倉時代後期の一時期に集中して造られたことが大きな特色です。また多くの地蔵菩薩が刻まれていることから地蔵信仰が背景にあるとされています。その理由として、当時精進池の付近は箱根越えの道として使われた「湯坂道」の最高地点に近く、険しい地形や荒涼とした風景から地獄とみなされ恐れられていたようなのです。江戸時代には精進池の恐ろしい伝説もありました。地獄に落ちた人々を救ってくれるのは地蔵菩薩という地蔵信仰がこの地に根付き霊地となったといわれています。江戸時代半ばを過ぎると箱根七湯の各温泉場を訪れる湯治客が増えていきます。その中で、箱根石仏群は芦之湯温泉に近いこともあり、湯治滞在中にここを訪れる人々も増加していきました。これに伴い、観光名所としても知られるようになり、当時の代表的な温泉案内書『七湯の枝折』(1811年)には、箱根山名所の一つとして紹介されました。明治、大正に入ると道路の改修により地形が変わっていきます。損傷が激しくなるなか、昭和末期に大規模な整備、改修、復元がなされて今日に至りました。

 

あまり世間に知られていない箱根石仏群。特に六道地蔵のインパクトが非常に強く、一見の価値があります。このような場所が箱根という超有名エリアにあり、さほど知られていないとは驚きです。昨年訪れたのは9月の日曜日。箱根湯本駅は外国人観光客でごった返していました。バスは満杯で特別便が出ているほど。ところがこの箱根石仏群にはほとんど人がおらず静かなものでした。本当に穴場という感じです。芦ノ湖に向かう国道1号を走る路線バスで手前で下車し、散策しながら向かうのも素敵な箱根観光になるのではないでしょうか。

 

甲野 功

 

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