開院時間
平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)
土: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)
休み:日曜、祝日
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住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202
昨日は鍼灸専門学校進学を考えているプレ学生さんと現在鍼灸専門学校に通う学生さんを対象とした、鍼灸の3大流派について話をしました。
10名の鍼灸師がいれば10通りのやり方がある。
そのように言われるくらい人それぞれというのがこの世界。それも世間からすると本当に同じ鍼灸なのですか?と驚かれるくらい違うのです。同業者でもなんだそれ、嘘だろ、本気なの、というくらい違うことがあります。そのような鍼灸において3大派閥というか流派とされているものがあります。
・現代鍼灸、現代派などと称される現代医学の知識に根付いた鍼灸。
・経絡治療と言われる伝統的に日本で行われてきた鍼灸。
・中医学といわれる現在の中国で行われている鍼灸。
この3種類で「現代・経絡・中医」などと略されます。
何となく東洋医学的と西洋医学という区分は世間にもあると思います。最近はNHKでよく東洋医学特集をしています。鍼灸も東洋医学的なやり方と西洋医学的なやり方があります。西洋医学的な鍼灸が現代派。東洋医学的な鍼灸が経絡治療と中医学。大まかにそのような区分といえます。では、経絡と中医は何が違うのか、というのが結構な問題で、私が鍼灸学生だった20年前は東洋医学概論という科目の教科書は両方掲載されていましたが現在の教科書は(基本的に)中医学一辺倒の内容です。ところが日本において経絡治療というのは非常に大きな派閥で数多くの鍼灸師が経絡治療を行いますし経絡治療学会をはじめとして教育スタイルも確立されています。その日本で専門学校で教えるのは中医学。一方、現在世界標準は中医学になりつつあります(異論・反論はあるところですが)。更に複雑にしているのは経絡と中医が全くの別物ならばまだ分かりやすいのですが、元は同じところから始まっており、似通っているところがたくさんあります。同じ漢字文化でもありますし。そのため何が違うのかが分かりづらいのです。というより分からないと思います。
よくあるのですが学生が外部の鍼灸師にあって話をすると、それは経絡の考えだ・それは中医だと指摘され、先生によって言っていることが違う、さらには批判し合うということがあるのです。私も学生時代に「これは○○に効く特効穴(ツボのこと)だ」と教える先生と「鍼灸に特効穴など存在しない」という先生が学校にいて、どちらが正しいのか分かりませんでした。結局、特効穴になる経穴(ツボ)はあるのかないのか?。この疑問は卒業後、つまり鍼灸師になってから、5年後に東京医療専門学校(現東京呉竹医療専門学校)鍼灸マッサージ教員養成科に進学して解消されます。そこで現代、経絡、中医それぞれの講師から学び、かつその比較をしてくれる授業があったからです。私より5年後の新卒で教員養成科に入学した同級生たちは皆さん理解しているようで、この5年で東洋医学概論も経絡経穴概論の教科書も改訂されていたことを痛感しました。
3流派の違いを知ったことは大きな成長でかなり鍼灸の世界が見えるようになりました。現場に出てから5年経っているのに。このような状態だったので学生さんはもっと分かりにくいだろうと思っています。そして鍼灸専門学校選びに悩んでいる方に学校の違いについて話題になり、どの学校も(大小あれど)流派の特徴があるということを伝えました。では流派ごとの違いは何ですかということになり、きちんと説明しようと考えてこの場を設けました。せっかくなのでオープンで参加者を募って。
このテーマは過去に何度か学生さん向けに話をしています。経絡と中医の違い、西洋医学と東洋医学の違い。資料はあるので少し手を加えておけばいけるだろうと思っていました。ところが新たに詳細な資料が見つかり状況が変わります。論文、学術誌への投稿などきちんとした情報がネット上にありました。それを確認して整理することで我が国の医学史を学び直しました。西暦701年の『大宝律令』にすでに鍼灸は職責として出ていることは知っていましたが、日本初の鍼灸はいつなのか知りませんでした。国宝『醫心方』を編集した丹波康頼の名前は教科書に出てきましたが彼が鍼博士だったとはしりませんでした。打鍼法の御薗意斎の名前を覚えましたがどのような影響を与えたのかは理解せず。管鍼法の杉山和一検校は過去に調べていたので知っていました。柳谷素霊、岡部素道、井上恵理、竹山晋一郎といった近代の人物は東洋鍼灸専門学校卒の人がよく話題に挙げていたなというくらいの印象です。さすがに東洋鍼灸専門学校創始者で有名人の柳谷素霊のことは知っていましたが。経絡治療の歴史と調べると合点がいくことが多かったです。
また承淡安の存在を知りました。中国の医師で当時国の政策で鍼灸が禁止されていた時代に鍼灸教育に力を入れていた承淡安。中国初の鍼灸専門雑誌を創刊しました。彼は戦前の1934年(昭和4年)に来日し東京高等鍼灸学校で日本鍼灸の授業を受けます。約8ヵ月滞在した承淡案は翌1935年(昭和5年)に中国へ帰国し、日本から持ち帰った知識や文献とともに鍼灸教育に励み、近代中国鍼灸の礎を築いたといいます。彼が授業を受けた東京高等鍼灸学校とは現在の呉竹学園東京呉竹医療専門学校です。私の母校です。当時の校長であり創設者である坂本貢(現呉竹学園理事長坂本歩の祖父)と承淡安は交流し、帰国時には目黒の雅叙園で宴を開き終了証を出したといいます。呉竹学園東京呉竹医療専門学校は2026年に創立100周年を迎えるのですが、その歴史の中に現代中国鍼灸、つまり中医学の鍼灸に関りがあったことに感動しました。母校でありますし。今回の準備で大きな収穫でした。
鍼灸の歴史を調査しました。そこに開業について興味がある参加者がいるため、簡単に当院あじさい鍼灸マッサージ治療院の10年を紹介しました。やはりコロナ禍をどう乗り越えたのかというのは興味があるようでした。また現代鍼灸という事でエビデンスレベルのこと、EBMの概念、それに対を成すNBMというもの、NBMは東洋医学が得意としてきたことである、といった内容を付け加えていき相当なスライド数になってしまいました。
当日は鍼灸専門学校入学前の人から専門3年生まで5名の参加者がいました。場所が狭いので5名が限界に近いです。案の定、あとで得られた参加者からの感想では難しくてよく分からなかったという個所があったようです。それはそうだろうなと納得しつつ、こちらがこれくらいでいいだろうと妥協するのは良くないという考えを持っています。また私自身が勉強するためのきっかけでもあるので調べて学んだことはなるべく資料にあらわそうと思っています
。
良かったことは講義後に参加者同士で交流があったことです。当日、私は2名の方が初対面でした。参加した5名は全員がそこで初めて会いました。年齢も環境も異なる人たちが3時間くらい小難しい講義を聞いて。そこから情報交換、意見交換を各々していました。最初は私に質問するという形でしたが段々と参加者同士で。違う学校の生徒もいて互いの学校環境を話していました。あとで聞いたら当院を出てから何人かでファミリーレストランに行き話をしたそうです。開業して良かったことの一つに自分の(自由に利用できる)場所を持てたこと。自分の裁量で会場を利用できる。だからこのようなイベント自分の意志で開催できる。そしてそこで新たな交流が生まれる。そこから何かが始まり人生が好転することがあれば幸いです。人の人生を良い方向に変えられる場を持つ、というのは勤務時代から抱いていた密かな願いでした。
縁があって1週間強で開催を決定した今回のセミナー。準備が想像以上に大変でしたが実行して本当に良かったです。非常に自分自身の勉強になりました。本題とは関係のない重要な情報を得ることもできましたし。今年の後半も頑張ろうと励みになりました。
甲野 功
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