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~京都 平安神宮~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 平安神宮
平安神宮

 

 

毎年1回は京都を訪れるくらい京都が好きです。大学進学を目前とした高校3年生の春、部活の同級生と卒業旅行でいった京都のインパクトが強くて未だに残っています。世界トップレベルの観光地であり歴史の宝庫。私が生まれ育った東京は東の京都という意味。つまり京都ありきです。東京は江戸と呼ばれた1603年の江戸幕府が設立して日本の中心地になりましたが、そのはるか前から日本の中心は京都でした。天皇が平安京を都だと宣言してから1000年。政治、経済の中枢は東京ですが伝統文化の中心はいまだに京都ではないでしょうか。文化庁があるのは東京ではなく京都ですし。

 

京都は見ておきたいところが尽きず、まだまだあります。京都の名所は数限りなくありますが、巨大な鳥居に広々とした広場という写真を以前から目にしていました。清水寺、金閣寺、伏見稲荷大社、などなど。そのような超メジャースポットほどではないのですが一目で京都だと認識できる景色。よく見かける。ここはどこだろうと思って調べると平安神宮だと判明しました。昨年、やっと平安神宮に行ってきました。このときは出町柳駅から歩いていきました。道中色々なところを見ながら。盆地で平地が広がる市街地を進むと小さな川を渡った先に広大な敷地がありました。

平安神宮の紹介です。

 

[公式]Heian Jingu Shrine 平安神宮

 

平安神宮は御祭神が天皇です。実在した人物が死後、神様として祭られることが多いのですが平安神宮は桓武天皇孝明天皇が御祭神です。桓武天皇は第50代天皇で天平9年(737年)の生まれ。孝明天皇は第121代天皇で天保2年(1831年)の生まれ。桓武天皇は奈良時代に生まれ孝明天皇は江戸時代後期に生まれました。なぜこの2柱が御祭神なのでしょう。それは京都の歴史と深く関係があります。桓武天皇が即位したのが天応元年(781年)。当時の都は奈良の平城京。桓武天皇は都を長岡京(現在の京都府長岡京市付近)に遷した後に、延暦13年(794年)に平安京として都を移します。「なくよ(794)うぐいす平安京」の語呂で覚えた平安京遷都ですね。平安京遷都は、明治2年(1869年)に東京に首都奠都するまで京都が日本の中心であることの始まりです。現在の文化都市、京都の礎を築いたきっかけは桓武天皇によるもの。対して孝明天皇が即位したのは弘化4年(1847年)。江戸時代の後期、幕末の直前です。黒船来航が嘉永6年(1853年)ですからその6年前です。明治維新を目前とした慶応2年(1866年)に崩御せられるまで激動の時代を過ごされました。次の明治天皇は京都から(当時の)東京府に移ります。よって平安京の始まりと終わり言える天皇が平安神宮の御祭神というわけです。

 

平安神宮の創建は京都の中では非常に新しく明治28年(1895年)です。平安京遷都1100年を記念しての創建です。平安京に都を移した桓武天皇を御祭神とするのは必然だったのでしょう。今でこそ活気のある京都ですが、この頃は東京に首都が遷ったことで衰退していました。武士の時代が終わり文明開化、富国強兵に進んだ日本は西洋文化を重視し1000年の都は廃れていったのです。京都の維持継承のために平安神宮が創建されたのでした。

現在の日本では一般的に使用されていない暦として皇紀というものがあります。皇紀とは初代天皇である神武天皇が即位したとされる年(紀元前660年)を元年とする年の数え方です。神武天皇の時代は古事記等に描かれる神話の世界といえるので歴史学としては正確ではないですが。戦後は使われませんでしたが第二次世界大戦中はよく用いられました。皇紀でいうと昭和15年(1940年)がちょうど皇紀2600年にあたり、この年に平安京有終の天皇として孝明天皇も御祭神として祭られることになりました

 

平安神宮の社殿は桓武天皇が開かれた平安京当時、大内裏の正庁である朝堂院を約8分の5の規模で再現しています。正庁というのは正面の大広間という意味です。そのため一般的な神社、特に歴史の古い神社と趣が異なり、平坦な広い土地に建物があるという感じです。天皇陛下がお住まいになった内裏を表しているわけです。また創建が新しいので非常に綺麗で近代建築を感じさせます。大極殿(外拝殿)、應天門(神門)、蒼龍楼、白虎楼、歩廊、龍尾壇などが明治28年(1895年)の創建当時に造営されたもの。孝明天皇を御祭神に祭るときの昭和15年(1940年)に本殿、祝詞殿、内拝殿、翼舎、神楽殿(儀式殿)、額殿、内外歩廊斎館、社務所などが増改築されました。歴史のある京都ではかなり新しい造りです。有名な岡崎公園前の神宮通りにある大鳥居が完成したのが昭和3年(1928年)です。

 

大鳥居の先に広々とした岡崎公園があり、そこを通り過ぎると平安神宮の入口である應天門です。これは平安時代に起きた「応天門の変」で貞観8年(866年)に放火されて炎上した應天門を縮小復元したものです。神門であり国の重要文化財に指定されています。應天門をくぐると広大な広場があります。正面には外拝殿である大極殿があります。太極とは宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で天皇陛下が坐する御殿を意味するのが太極殿です。こちらも国の重要文化財です。太極殿の前に向かって右側に蒼龍楼、左側に白虎楼がありどちらも国の重要文化財です。蒼龍楼は東方、白虎楼は西方。平安京の造りを模しています。蒼龍、白虎の名称は四神(青龍・朱雀・玄武・白虎)からです。蒼龍の蒼は蒼いで青。白虎は白。東の青、西の白で東洋思想の五行式体表(東→青、南→赤、中央→黄、西→白、北→黒)と関連するものなので、私は気になってしまいます。太極殿の前には右近の橘左近の桜が植えられておりこちらも陰陽論であるので注目しました。

応天門の変になぞらえたのか分かりませんが昭和51年(1976年)に新左翼活動家による放火があり(平安神宮放火事件)、本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失しました。これらは昭和54年(1979年)に再建されました。

 

平安神宮は文字通り平安京を再現した神社であり、平安京の歴史と深く関わります。歴史を知り、現地を訪れて参拝することで理解が深まります。

 

甲野 功

 

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