開院時間

平日: 10:00 - 20:00(最終受付19:00)

: 9:00 - 18:00(最終受付17:00)

 

休み:日曜祝日

電話:070-6529-3668

mail:kouno.teate@gmail.com

住所:東京都新宿区市谷甲良町2-6エクセル市ヶ谷B202

~わが青春のクイックステップ~

2024年7月18日 学連OBOG練習会 BEST ART にて
2024年7月18日 学連OBOG練習会 BEST ART にて

 

 

昨日は恒例の『学連OBOG練習会モダンの部』に参加しました。学生競技ダンス連盟、通称「学連」。私は平成8年(1996年)に東京理科大学入学後し、学連という世界に足を踏み入れました。それにより、その後の人生を方向付けることになりました。四半世紀前の決断が今現在の状況に繋がっています。

 

私はいわゆる運動神経というものが良い方ではありません。走るのは遅いですし球技全般が苦手です。昭和52年(1977年)生まれだと男の子は野球をするのが当たり前の時代。プロ野球のファンであるのは当然でどこのファンなのかが問われたものでした。野球に興味が無かった私にはとても生きづらい小学生時代でした。運動で得意と言えたのは物心つく前から行っていた山登り。それと小学校2~6年生の4年間スイミングスクールで習った競泳です。山登りは父親が登山家並に山にいく人で相当鍛えられたと思います。競泳も4泳法を覚えて個人メドレーまでしました。選手コースに進む前に中学校進学を期にスクールは辞めました。山登りの強さを人に見せることはほぼありません。中学校の課外活動における登山は余裕でしたがそれが記録になることもありません。そして中学にはプールがありましたが水泳部がありませんでした。そのため特技を発揮する場はなく。高校では水泳部がありましたがプールが無かったので入部を断念。珍しい山岳部が存在したのでそちらに入部。ただインターハイに挑戦する部ではなかったのでやはり記録を見せることはありませんでした(山岳部のインターハイはテント設営など。純粋な山登りの時間を競うものではなかったです)。

それが東京理科大学で舞踏研究部という学生競技ダンスの大会をみると。大学名の入った背番号を付けて競技をします。学連の基本理念は<学校を背景とした団体競技>。『理科大』と書かれた黒字に黄色の背番号。大学を背負って他校と勝負する姿が新鮮でした。当時は社交ダンス経験者の部員はほぼ0。誰もが一からのスタート。それも魅力でした。

 

社交ダンスはスタンダード(当時の学連はモダンと呼んだ)とラテンアメリカン(ラテン)の2種類に分かれます。学連の東部ブロックは2年生以降、専攻分けを行い、どちらかの種目に専念します。初めて観戦した競技会で当時の東京理科大ALL主将カップルがラテン2種目優勝したのを目の当たりにし、最初はラテン志望でした。しかし今も昔もラテン強豪校である理科大はラテン選手の層が厚く、先輩をみても同級生をみても追いつけるレベルではないと感じていました。同期にはのちに全日本選抜ラテン総合を理科大史上初めて制し、プロに転向する伊從彰造がいました。そしてALL主将は冬の全日本サンバで理科大史上初の日本一となりプロに転向する田中佑汰さんです。その二人以外にも強豪がラテンには多数いて、人気の無くて弱いモダンに進んだ方が良さそうだという打算が心の中に芽生えていました。そんな1年生の前期、競技会でみたある選手のダンスに魅了されました。それが筑波大学の安田健太郎さんでした。やはり卒部後にプロに転向する方で、モダン弱小校だったあの頃の理科大にはいなかった強豪選手です。安田健太郎組のクイックステップをみて、私はクイックステップをやりたいと願い、モダンに進む決心をしたのでした。私には学連時代に大きな影響を受けたダンサーが4名います。一人が入部した年の主将であり学連トップ選手だった田中佑汰さん。競技ダンスの師匠となり今では当院のサポート選手となっている都立大学卒の坊迫有紀先生。モダンの道を決定付けさせた筑波大の安田健太郎さん。そして1学年上で学連時代にとてもお世話になった武蔵野美術大学の本池淳さん。この4名は全員学連後にプロになりました。その本池淳さんが担当しているのが『学連OBOG練習会モダンの部』です。

 

今回の練習会のテーマがクイックステップでした。モダンには5種目のダンスがあります。ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ、ウィンナーワルツ(ヴィニーズワルツ)です。今年から学連にも導入が始まったウィンナーワルツ。あの頃は正式種目ではありませんでした。よってモダン専攻の選手は4種目を練習します。プロ、アマチュアの競技ダンス選手と学連選手の大きな違いが学校単位で活動することなのですが、もう一つが単科戦の意識が強いということ。種目ごとに順位をつける競技形式が多いのです。プロやアマチュアは複数の種目毎の成績を総合して順位をつける総合戦ばかりです。学連では最大にして最重要な大会が冬に行われる全日本学生競技ダンス選手権大会、通称「冬全」が単科戦であるため、最終的に一つの種目に絞ることになります。私の場合、圧倒的に好きで熱を入れて練習をしたのがクイックステップ。これが踊りたくてモダン専攻を決めたようなものです。

 

そして当時の学連でクイックステップの名手だったのがかの本池淳さんでした。4年時には東部日本戦でクイックステップの部で優勝。満を持して最後の冬全もクイックステップを選択。優勝するものだと信じていました。余談ですが、私が1年生時の冬全ではクイックステップで優勝したのが名古屋大学の大西組でした。夏の全日本選抜でラテン総合優勝しモダン専攻で冬全に出場し優勝するという前代未聞の偉業を成し遂げました。現在テレビでも活躍する大西兄妹の両親です。翌年の冬全クイックステップも他ブロックが優勝。全日本戦は全国から選手が集まり地域ブロックごとの戦いもあるのです。最も規模が大きく選手層が厚い東部ブロックからクイックステップの優勝者が出ていないことが悔しく思っていました。私も3年生の時に本池さんと同じように冬全のクイックステップに出場しましたが当然のように1次予選落ち。本池さんが今年は東部ブロック代表で冬全クイックステップをとってくれると信じていました。結果は本池組の準優勝で終わります。優勝者がソロで踊るオナーダンスをするためフロアーサイドで待機していた本池さんのパートナーがその場でうなだれている姿を今でも鮮明に覚えています。優勝者はまたも他ブロックの選手でした。

 

私にとってクイックステップは別格の種目。初めて学連の競技会で入賞したのもクイックステップでした。最終的にタンゴの方が成績は良かったのですが、4年最後の冬全にクイックステップを選択することに迷いはありませんでした。偶然にも師匠にあたる坊迫先生も学連最後の冬全はクイックステップに出て優勝を逃していました。最後の冬全は2次予選で敗退するのですが、1次予選のダンスは過去最高のものでした。あれ以上のものは出せないというくらい。4年間の全てを出し切った感のある中、2次予選は大したものが出せず同店決勝にも残ることなく終わりました。しかし私のクイックステップへの情熱は後輩にも引き継がれ、後に冬全クイックステップ準優勝をしてプロに転向する三森秀明をはじめ近い後輩にはクイックステップの名手が多くなりました。

 

学連生活が終わってから相当な時間が経ち、本池先生はプロ競技を引退し代々木に自身のスタジオをオープン。2年前からこの学連OBOG練習会を東京外国語大学卒部の金光先生とともに講師を担当しています。そして遂に私の中の本命である本池先生のクイックステップがテーマの回が来たのです。やっと来たかと意気込んで会場に向かいました。当日は入れ替わりで世代が被ったことはないのですが、先輩方が口をそろえてあの人は凄かったと称賛するタンゴ、クイックステップの名手である日本大学OBの方や本池先生や金光先生とは違うプロ団体の先生も参加するというものでした。モダン種目の中では特に人気がないのがクイックステップでダンスパーティーでも曲がかかる頻度が低いのです。何より他の種目と異なり、ホップ、ランという跳ねる・走る動きがあるため消耗が激しいのです。この熱中症アラートが出る時期にやるのは年齢層が高めの練習会では敬遠されがちなのですが普段よりも参加者が多かったです。

 

私の年齢になると自分より先輩になかなか会わなくなるのですがこの練習会では学連の先輩が多数いました。世代や団体、職業、出身大学の垣根を越えて集まりました。学連時代のチャンピオンもそうでない人も。関西の大学出身の人も。プロラテンで日本一に輝いた金光先生も練習会に参加していました。なお同業者たるあん摩マッサージ指圧師が私を含めて3名いるというのも珍しい状況です。学連OBOGという共通項が普段は一緒にならない人々を同じ会場に集めていると感心します。

 

クイックステップをするからなのか分かりませんがいつになく基礎練習が厳しい本池先生。ホールドという基本の構えをするのが常なのですが、片足立ちでそれを行います。ボックスというこれも基本練習があるのですが、いつもより時間が長く、フロアーサイドにいるリーダーはライズ&ロアーという動作をしなさいと指示が出ます。何より声を出しっぱなし。学連式の練習会で懐かしいわけです。一般的な社交ダンスのグループレッスンではありえない体育会系のノリでした。

本題のクイックステップに入ると、まずフォワードロックというこれまた基礎中の基礎というステップから。学連時代もその後もフォワードロックをどれだけ研究して考えたか分かりません。そしてクイックステップ特有の動きになり、ホップからのハーフシャッセ。これも散々練習してやってきたもの。細かい技術をレクチャーされながらカップル練習をしました。現役のトップ選手と組んで踊るという貴重な体験でした。更にホップ・シャッセ・ランというクイックステップ特有の動き回る動き。フロアーを猛スピードで駆け抜ける姿に憧れた1年生の頃。これがやりたくてモダン専攻にしたのでした。山登りで自然と鍛えられた足首が最も活かされるのです。本当に学連時代を思い出しました。

 

大いに汗をかいた後は打ち上げの飲み会へ。学連は練習会や競技会のあとは飲み会をするというのがセットでした。コロナウィルスやコンプライアンスが厳しくなった現在は無くなっていった文化だそうですが、我々世代はばっちり残っています。そこで諸先輩方の考え、理念を聞いて学ぶ時間でもあります。そして部歴が上の人が多く支払うというシステムも同じでした。

 

ダンスをしていても実はそこまで楽しくありません。どうしても考えているように体が動くのか、動けないのは何故なのか、上手な人はどのようの身体を使っているのか、といった本業に関わることや研究の方に頭がいってしまいます。音楽にのって楽しむという感覚が薄いわけです。学連OBOG練習会でも同好会でもどこか釈然としないもやもやとした気持ちが残っています。ところが今回はクイックステップだったせいか、とにかく楽しいが先行しました。技術的にできるようにという意識はありますがそれよりも素直に楽しい。飲み会も含めてそんな練習会でした。

 

学連時代に本池さんにクイックステップの奥義を教えてもらったことがありました。話した当人はそのことを忘れていましたが私は20数年ずっと覚えています。

クイックステップは誰よりもハッピーに踊り、見ている人をハッピーにさせること

大学2年生のときに本池さんに言われた言葉を実感しました。

 

甲野 功

 

★ご予約はこちらへ

電話   :070-6529-3668

メール  :kouno.teate@gmail.com

LINE :@qee9465q

 

ご連絡お待ちしております。

 

こちらもあわせて読みたい

社交ダンス、競技ダンスについて書いたブログはこちら→詳しくはこちらへ