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~京都 延暦寺横川~

あじさい鍼灸マッサージ治療院 比叡山延暦寺 横川
比叡山延暦寺 横川

 

 

広大な敷地の比叡山延暦寺。一人で比叡山に向かった私は私鉄、ケーブルカー、ロープウェイを使い比叡山山頂駅に着きました。そこから徒歩で山道を歩き東塔西塔エリアへ。想像以上の山道でした。そこからもう一つ行きたかった横川(よかわ)エリア。そこまではさすがにバスを使うことにしました。それだけ二つのエリアから離れていました。奥比叡ドライブウェイを使ってバスで向かいました。車道は歩行することができず、山道を登っていくと約2時間はかかるということでした。当日は登山も目的でしたが一日の京都観光が延暦寺で終わってしまうのでバスを選択しました。今回はその延暦寺横川エリアの紹介です。

 

比叡山延暦寺 境内案内 横川(よかわ)

 

東塔、西塔からみると北にあり、西塔から4kmほど。この区域は第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれました。

 

バスを降りると入口があり、ここから横川地区だと分かります。道を進んでいくとまず龍ヶ池弁財天社が現れます。小さな池に龍ヶ池八大龍王と掲げられた社があります。伝承によれば昔この池に大蛇が住み着いて害を与えていました。元三慈恵大師良源がその大蛇を龍に姿を変えさせて観音様の念力によって封印。その後弁天様を祭り、弁天の使者として元大蛇は龍神として使いになったといいます。

龍ヶ池弁財天の先には根本如法塔があります。慈覚大師円仁が法華経を写経し納める堂として造られたのが根本如法堂。後に、その根本如法堂跡に根本如法塔が建てられました。横川発祥の聖蹟。現在の塔は大正14年(1925年)に再建されたものです。

 

龍ヶ池の前方にはこの区域の本堂にあたる横川中堂があります。高台にあり階段を上っていきます。横川の中心となる建物で首楞厳院と呼ばれます。舞台造りという建築方法で遣唐使船をモデルとした船が浮かんでいる姿に見えます。嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁が創建し、延暦寺五大堂(飯室谷不動堂、根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂)の一つに数えられます。中央部が2m程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師円仁作と伝えられる聖観音菩薩(国重要文化財)が祭られています。昭和17年(1942年)に雷火で全焼してしまいます。このとき御本尊は炎火を逃れました。現在の建物は昭和46年(1971年)に復元されたものです。

本堂の先は美しい山道があります。道の脇には西国三十三所石仏群が点在しております。道の突きあたりには赤い鐘楼があります。その前を左に曲がると四季講堂(元三大師堂)があります。慈恵大師良源(元三大師)が住んだ定心房が、康保4年(967年)の村上天皇の勅命により四季に大乗経典の講経論義を行う道塲に定められたことから四季講堂と改称します。元三大師の死後は元三大師を祀るようになったことから元三大師堂とも称されます。現在のお堂は承応元年(1652年)の後水尾天皇の勅願によるもので国重要文化財に指定されています。おみくじは元三大師が考案したと言われており、元三大師堂はおみくじ発祥の地とされています。また魔除けの角大師(元三大師が鬼になったもの)の護符発祥の地でもあります。

鐘楼まで戻って左に曲がったところを反対に右に曲がったさきには恵心堂があります。恵心僧都源信が隠居していた所で、阿弥陀如来を祭り念仏三昧の道場です。現在の堂は坂本・生源寺の別當大師堂を移築したものとなります。恵心源信はこの恵心堂において『往生要集』や『二十五三昧式』などを著わし、後の浄土宗や浄土真宗などの源となる日本浄土教の基礎を築きます。『往生要集』は文学的価値も高く源氏物語にも引用されています。内部非公開でひっそりと佇んでいます。

 

延暦寺横川エリアは比叡山の中でもかなり奥の方にあり、オーバーツーリズムが問題となっている京都においても観光客が多くなく、静かな場所でした。整備されていますが山奥という感じ。標高が高く修行の場であることを感じさせます。市街地からはかなり離れていますが訪れてみて良かったです。

 

甲野 功

 

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